本章 1-3 好敵手
その日は青空が澄み渡っていた。
ライリアーナは風に乗ってきたバラの香りを静かに吸い込み、深呼吸をする。
「ライリアーナ様、どうかいたしました?」
そばにいたトリストル侯爵家令嬢のソフィアが不思議そうにライリアーナの様子を伺う。
穏やかに微笑むライリアーナ。
「薔薇の香りを楽しんでましたの」
ゆっくりとティーカップを口に運ぶライリアーナ。
カルカイザ公爵家のテラスでバラ園を眺めながら、学園の貴族令嬢達を招待してお茶会が開かれていた。
学園の女子たちの誰もが憧れるライリアーナのお茶会は6〜7人ほどのメンバーが恒例になっていた。
ライリアーナが3年生になった今ではだいぶ顔触れが決まってきていた。
「そういえば先日、王太子殿下が件の令嬢と親しげにお話しされているのを見かけましたの」
2年生であるトワイル子爵令嬢であるマリエッタが少し不機嫌に話し出した。
「その後おひとりでいたところに話しかけましたのよ。
『婚約者のいる殿方とあまり親しげになさるものではありませんわ』と。
そうしたら『私に言わずに殿下に申し上げたらどうですか?』ってお返事されましたの!
わたくし大事にならない様にあの方に忠告申し上げましたのに!
殿下の目の届かないところでわたくしが意地悪をしているみたいに仰るのよ!失礼だと思いません?」
よほど腹が立ったのか、マリエッタは少しだけ乱暴にクッキーを手に取って口に運んだ。
口の中に広がったクッキーの美味しさにおもわず気を取られ、いま話した出来事からは気が逸れて幸せそうにひとくち、もうひとくちとクッキーを頬張る。
「まぁひどいわね」
「彼の方はお家が没落されてからの立ち振る舞いには目に余りますわね」
「ご自分だけが不幸なのだと勘違いなされているのではない?」
「まったくですわ」
横目でマリエッタの幸せそうにお菓子を頬張る顔を愛でながらライリアーナが令嬢達にひとこと言添えた。
「辛い時ほど周りが見えなくなるのは仕方ない事ですわ。
殿下も国のあり方を色々な方々にお会いして学ぶことが必要ですもの。
バルギス家のことはずっと心を痛めてらしたから、今はなんとかしてあげたくて仕方ないのでしょう。
しばらくは何も言わず見守った方がいいと思いますわ」
「ライリアーナ様…」
「さすがですわ。私はすぐ主観に走ってしまいますの。ライリアーナ様のように広い目線でものを考えなくてはダメね」
「わたくしもライリアーナ様のようになりたいですわ」とお菓子をひとしきり堪能して紅茶を飲んだマリエッタが言う。
すると令嬢達がマリエッタを眺め、令嬢達の気持ちが和む。
「マリエッタ様を見ていると些末なことを気にしてるような気持ちになりますわ」
「?わたくしなにか変なことを言いましたか?」
慌てるマリエッタにクスクスと笑う令嬢達。
「貴女はそのままでいて頂戴」
にっこりと微笑むライリアーナにマリエッタは不思議そうに頷いた。
その晩、ライリアーナは学園の授業で出された課題をこなしていた。
過去に起きた天災を歴史表に書き出していた。
「お嬢様、少し休憩なされてはいかがでしょうか」部屋の中央にソファーテーブルが置いてあり、そこにカモミールティーの入ったティーカップが置かれた。
「あら、もうそんな時間なのね」
ペンを止めて歴史表を眺める。
こうして書き出しているとこの国は水害が多い。
それだけ水が豊富なのだが、溢れ出した水が人々を苦しめてきたことも事実だ。
「だからこそバルギス男爵の功績はこの国にとってとても重要なのに」
ライリアーナはため息をつく。
ソファーに座り、カモミールの香りを楽しむ。
ひとくち飲み込み、あたたかい吐息を吐き出す。
サリシアはまだ子供なのだ。
世の中の悪意を初めて知り、怯え憎んでいた。
そこに優しく接してくれた王子様に心から救われたのだろう。
無垢で純粋な彼女は自分の落ちた身分を掬い上げる力のある高貴な彼にすがった。
そしてカイラスはその姿をみて哀れみ、サリシアにすがられたことで自己肯定感を満たされ、心の心地よさを恋心に置き換えることで、サリシアに対しての罪悪感を誤魔化しているのではないか?
「まあ…憶測でしかないのだけど」
カップに残ったカモミールティーを飲み干すと、残った課題を終わらせるために再び机に向かった。
(しばらくは様子見ね。だけどあまり楽観視はできないわ…)
学園舞踏会の開催まであと3ヶ月となった頃、カイラスとサリシアは人目を憚らず二人だけで親しげに会うようになっていた。
その姿はライリアーナの前でも改めることはなかった。
ライリアーナの視線に気がつくサリシア。
ニンマリと強かに微笑んだ。
ライリアーナの眉が密かに動く。
二人の視線が混じり合う。
その時ライリアーナとサリシアはお互いの立場や想いなどは取り払われ、二人の素の心がむき出しのまま敵意を向け、『負けてはならない』と心が研ぎ澄まされていく感覚に陥った。
「まぁ、なんですの?あのお顔。ライリアーナ様に失礼ではなくて?」
女生徒の一人が声を上げる。
ハッと冷静になるライリアーナ。
(わたくしは…今なにを…)
ライリアーナは戸惑った。
今まで彼女に対面で敵意を剥き出す者などいなかった。
たとえ心の中でライリアーナを疎む者がいたとしても堂々と態度に現す者はいない。
カルカイザ家に敵意を表せるものなどこの王国には居なかったのだ。
つい先ほどまでは。
ライリアーナの心が湧き立った。
(わたくしと対等に渡り合おうとしている)
もはや名ばかりの没落貴族のサリシアが逆に何も失うものなどないかのように正面からぶつかってくる。
(面白い‼︎)
ライリアーナの瞳が氷のように煌めいた。
サリシアはそのライリアーナの煌めく瞳を見惚れてしまった。
驚くほと美しかったのだ。
にっこりと微笑んだライリアーナがその場を立ち去った。
サリシアはライリアーナから目が離せずにいた。
「サリシア?」
カイラスが親しげに名を呼んだ。
拳を握り、自分がライリアーナに呑まれたことを知る。
「なにもありませんわ。カイラス様」
サリシアはライリアーナの背中を睨みつけるように、悔しさをのみこんだ。