本章 1-2 月と涙
サリシアは授業を受けながらぼんやりと身が入らなかった。
『バルギス男爵はこの国ためによく働いてくれた』
カイラスの言葉を思い出し、まるで夢見心地のまま午後の授業が過ぎていく。
学園の図書館で資料を探しながら今日提示された歴史の宿題を終わらせて馬車の待つ校門の馬車道に向かって歩くサリシアに声をかける者がいた。
(また誰かのご忠告かしら)
辟易した顔で振り向いたサリシアは相手の顔を確認した瞬間に思わず息を飲み、慌ててこうべを垂れた。
「殿下…!」
「ああ、いいよ。楽にしてくれ」
先程とは違いカイラスは穏やかに微笑んでいた。
その和やかな表情に驚くサリシア。
(こんな表情されるのね…)
カイラスの美しい顔立ちが柔らかい表情で華やかになる。
その見慣れぬ王太子の美しさにおもわず見入ってしまい、慌てて視線を足元に移した。
顔が熱い。
サリシアはなぜこんなに自分の心が揺さぶられてるのか理解できなかった。
「昼間は大変だったな。バルギス嬢は今色んな意味で注目されているからな…」
「ご心配いたみいります」
「もし今日のような事があれば私に話してほしい。バルギス男爵家には王国として借りがある。貴女には…せめて学園にいる間だけでも心穏やかに過ごしてほしいのだ」
サリシアの心がどきりと高鳴った。
「遠慮はしないでほしい」
柔らかく微笑んだカイラスの美しい容姿。
瞳の鮮やかなエメラルドグリーンが、日暮れの日の光に反射して光り輝いていた。
その美しさに身惚れ、穏やかな声が心の底に隠れたサリシアの傷を優しく包み込んだ。
ひと雫、サリシアの薄いブルーの瞳からこぼれ落ちた。
驚いたのはカイラスよりサリシアだった。
「も…申し訳ありません!これは…!」
慌てるサリシアを見たカイラスはそっと涙を拭った。
サリシアは真っ赤になって固まってしまい、そのサリシアの様子を見てハッとカイラスが気がつく。
「すまない!つい…!」
手を離し、慌てるカイラス。
カイラスは自分がしたことに驚いていた。
2人ともお互いに戸惑い、言葉が出なくなる。
「…………」
カイラスとサリシアは真っ赤になって自身の動揺がおさまるまで待った。
(え?なに?何がおこったの?)
(殿下の言葉が嬉しくて嬉しくて、気持ちが抑えられなくなって泣いてしまって、そうしたら殿下が……
私の……涙を…拭って……)
真っ赤に顔を染めるサリシア。
(落ち着きなさい!サリシア!殿下はお優しいからあの様なことをなさったのよ!
私のことなど……!)
首を左右に振るサリシア。
慌てるサリシアの様子を見てカイラスは思わず微笑み、愛おしいと思ってしまった。
「…貴女は…貴族でもこんなに純真なのだな……」
「え?」
キョトンと首を傾げるサリシアを愛おしそうに見つめるカイラス。
「また話そう。ひとりで泣くな」
「!」
カイラスの優しい言葉に心が躍るサリシア。
立ち去るカイラスの姿を見つめてなぜか胸が締め付けられ、もっと話したかったと欲がでた。
「また会えるかしら?」
(私などに会ってくださるのかしら…?)
胸元にあてた手に力が入る。
その握った拳の下でサリシアの心が小さくときめいていた。
これは恋だ。
サリシアは自分の気持ちに気がつく。
けれどそれは身分違いの叶わぬ恋だとわかっていた。
あのカルカイザの姫の婚約者だと知っている。
そんなことはどうでもいい。
だが彼の方は次期国王となられる方だ。
もともと自分などは会うことさえ難しい方なのだ。
だけど気がついてしまった。
もうこの気持ちを止められない。
ならば誰にも知られずこの気持ちを殺すしかない。
サリシアは涙を押し殺し、自分の恋心も殺した。
日暮れどきが黄昏時に変わっていく。
空を見上げれば美しい満月が照らし始めていた。
サリシアの心をその月だけが照らしいた。