本章1 顔合わせ
その日サリシアは昼の食事を食堂で済ませようと学園の廊下を歩いていた。
「バルギス様」
「少しよろしいこと?」
3人の令嬢達がサリシアの足を止めさせた。
無表情で令嬢達を見るサリシア。
(…よくないわ…って言いたいところだけど)
サリシアの今の立場では断る事はできなかった。
男爵としての爵位はあるとはいえ、今は領地も持たず、王国での役職も失った。
今はバルギス男爵が所有している土木建築に長けた人材ギルドを所有しているだけだ。
今のバルギス家の現状を考えると、サリシアが学園に通っているうちは貴族とできるだけ人脈作りをしておきたい。
多少の愛想を振りまいてでもなるべく衝突は避けたいのがサリシアの本音だ。
(家族のためよ…)
手を硬く握るサリシア。
社交界で覚えた鉄面皮の笑顔を令嬢達に惜しげもなく振る舞う。
「わかりましたわ」
庭園に移動したサリシアと令嬢達。
その日は風か強く、少し肌寒い日だった。
そのせいか、庭園は人気がない。
「バルギス様は何故不特定の男性方とご一緒されてらっしゃるの?」
唐突に聞かれた。
「……おっしゃる意味が分かりません」
サリシアの本音だった。
彼らは勝手にサリシアに近づいてくるのだ。
サリシアから近づいたわけではない。
サリシアの返答は言葉が足らず、まるで令嬢たちを小馬鹿にしてるような態度だと彼女たちに届いた。
令嬢が怒りに声を荒げる。
「しらばっくれないで!」
「貴女、変わるがわる色んな男性方といらっしゃるではないの!なんてはしたないのかしら!」
「バルギス様から男性に擦り寄ってるのでしょう?貴族を名乗るなら娼婦のような立ち振る舞いは…!」
サリシアの眉がピクリと上がる。
(娼婦ですって!?)
思わずカッと頭に血が上るサリシア
「余計なお世話ですわ!」
…と、心の中で返答したサリシア。
(ああ、言ってしまいたいわ…!ほんとこんな事に時間を取られるのがもったいない!)
(…この方達に全く関係ない事ではないの!
いったい、どなたにご迷惑をおかけしたというのかしら?
余程お暇なのね‼︎)
イライラがつのるサリシアは我慢の限界を感じていた。
「貴女のような方がこの学園にいらっしゃるのは間違いではないのかしら?」
「ここは貴族の通う場所。
貴女のように男性に色目を使うような方、この学園に相応しくありませんわ!」
「…私は何もしておりません
彼の方たちは勝手に私の周りにまとわりついてくるのです」
必死に怒りを表に出さないよう言葉少なく返答するサリシアだが、それが余計に令嬢たちに火をつけた。
「まあ!お聞きになりました⁉︎」
「そのような仰り方!失礼ではなくて⁉︎」
(あなたたちだって失礼じゃないの!!
私に嫉妬してるのではないの?
いかにも貴族らしい低俗な人達…!!)
(私は知っている。
貴族達がどれほどゴシップが好きか)
(たかが噂話で私刑を行い、平気で人を貶める)
(貴族なんてろくな人間がいない
最低な人達!)
改めて令嬢達の顔を見るサリシア。
令嬢達に向ける視線に遠慮が消える。
突き刺さるようなサリシアの視線に思わず言葉が出てこない令嬢達。
「…なんですの?その態度。
私達にそんな態度をとって良いと思ってらっしゃるの?」
イラついた口調でサリシアを咎める令嬢はやや怯えた様子だった。
サリシアが我慢できなくなり、何かひとこと言ってやろうと口を開きかけたその時
「何を騒いでいるのか」
と背後から男性の声が飛んできた。
サリシアが振り返るとカイラス王子が立っていた。
「‼︎ 殿下‼︎」
一斉に令嬢達とサリシアが軽く膝を折り、首を垂れる。
「よい、学園内だ。楽にしろ」
改めて顔を上げる令嬢達。
「このようなところで何をしている。
見たところひとりに向かって複数で詰め寄っているように見えるが」
どきりとして、青ざめる令嬢達。
「ち…違うのです、殿下…!」
「そうか、私の言葉に反論するか」
「!!!」
青ざめた令嬢は真っ青になってこうべを垂れ、顔を上げられず怯えていた。
「滅相もない事でございます!」
「自分たちがどのように見られているか、もっと気をつけるべきではないか?
貴族とは民衆の模範であるべきだ。
だが今のそなた達の行いはどうだ?
立場を利用して弱い者に私刑を行っていただけではないか」
カイラスの冷たい視線にサリシアを囲んでいた令嬢達はカタカタと震え出し、顔色がどんどん悪くなっていった。
「バルギス男爵家はこの国を守るためによく働いてくれた。
今は公職から外されているが、それもいっときの事だろう。
いずれ男爵が元の地位に戻った時、そなた達はどうするつもりだ。
彼女が笑って許すと思うのか」
「!!!」
カイラスの言葉にサリシアと令嬢たちが驚いてカイラスの顔を凝視した。
その言葉はバルギス家の復興を王太子であるカイラスが約束したも同然であった。
(殿下…!)
サリシアはついカイラスの顔を見つめすぎてしまい、ハッと不作法に気がついて頭を下に向け、涙がこぼれそうなのを必死に堪える。
父の功績を王太子が認めてくれたのがサリシアには何よりも嬉しい。
信用を無くしてから、貴族たちはバルギス家をことあるごとに見下し嘲笑った。
あれほどバルギス男爵の功績に救われ、富を得てきたのに感謝することなく貶めるばかりでこんな恩知らずたちのために父が働いていたのかとずっと憤慨していたのだ。
それが…こんなふうに思っていてもらえた…
今までがまんしていた感情が爆発しそうだった。
その時。
カイラスの背後から高らかに靴音が響き渡った。
全員の視線がその足音の主に注がれ、カイラスがその名を呼ぶ。
「ライリアーナ」
「殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅうございます」
いつもの美しいカーテシーを見せ、令嬢たちがその美しさに見惚れていた。
ライリアーナの登場にサリシアだけが体をこわばらせ、ライリアーナを睨みつけていた。
(カルカイザ…!!!)
サリシアが目一杯こぶしを握る。
体が小刻みに震え、憎しみが体の底から湧いてきた。
そのサリシアの様子にカイラスとライリアーナが気がつく。
だが2人ともサリシアに対しては気がつかないふりをした。
「何か言いたいことがあるのか」
自分の裁きをライリアーナに邪魔されたことで少しカイラスは不機嫌な様子だった。
「恐れながら」
「そのような一方的な断罪はいかがかと。
彼女たちにも正義がございましょう。
もう少しご配慮いただければと思います」
軽く頭を下げ、カイラスに願い出る。
「……まるで貴族の代表のような言葉だな」
「恐れ入りますわ」
カイラスの皮肉ににっこりと微笑みを返すライリアーナ。
だがライリアーナの言い分も間違ってはいない。
そしてこの学園でカイラスに物言える立場なのはライリアーナだけである。
ひとつため息を吐くカイラス。
「わかった。お前たち、もう下がれ」
令嬢たちに視線を送り、解放された彼女たちは慌ててカイラスに挨拶をして立ち去る。
「バルギス様」
ライリアーナの言葉でハッと我に帰るサリシア。
「彼女たちを許してあげてください。
わたくしからきつく注意をしておきますわ」
にっこり微笑むライリアーナ。
ライリアーナと対峙するのはサリシアにとって初めてのことだ。
はじめて対峙した敵にサリシアは言葉にならないほどの血のざわめきを全身に感じた。
真正面からライリアーナの瞳を見据え、臆することなく返答する。
「恐れ多いことですわ。
私のことなど気になさらないでくださいませ」
ぶっきらぼうに頭を下げ、無表情に踵を返してその場を立ち去るサリシア。
(いつか…その高慢な鼻をあかしてやるわ…!!見てなさい!!)
サリシアの立ち去る姿をじっと見つめるライリアーナ。
(……随分と遠慮のない敵意を見せるのね)
強い風が庭園を走り抜ける。
ライリアーナの長い髪が乱れ、手で髪を直しながらカイラスに視線を向ける。
カイラスはライリアーナと目が合った瞬間、視線を外す。
そしてそのまま踵を返し、ライリアーナに挨拶することなく立ち去っていった。
「……まったく…お二人ともわかりやすい事」
ライリアーナは軽いため息を吐き、晴れた空を見上げていた。