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サリシアの章 その1

サシリア・アンバー・バルギス男爵令嬢、15歳。

王立マテルシア学園の2年生。


サリシアの朝は家族への挨拶から始まる。

「お父様、お母様、マルティス、おはようございます」

サリシアは精いっぱいの優雅さで朝のあいさつを家族にする。

「おはようサリシア」

「おはよう姉様!」

家族の柔らかく穏やかな挨拶が返ってくる。

満足した様子で楚々として席につき、今日の天気の話やスケジュールの話をしながら美味しい朝食を食べる。

サリシアはスクランブルエッグにカリカリに焼けたベーコンが大好きでいつもこのメニューだ。

美味しい紅茶で締めくくり、二杯目はミルクティーで楽しむ。


「サリシアもそろそろ結婚相手を探さないとね」


唐突に言われてミルクティーをこぼしそうになるサリシア。

「まだ早いです」思わず大きな声を出しそうになり、ハッと気がついて姿勢を正す。

何とか淑女として言葉を返すサリシアに母は聞く耳を持たない。

「もう15歳なのよ」

「婚約者くらいはいないとね」

「申し分ないお相手を探さないと」

「アタカリス伯爵家の長男の…ランギルド様が今お相手を探していらっしゃると聞きましたの」

「聡明で思慮深くすてきな方だと聞きましたわ」

乗り気な母が男爵に相談を持ちかけるが男爵はあまり乗り気ではないようで、言葉を濁す。

まだサリシアを他家に嫁がせたくはないようだ。

この話が出ると長くなるのでサリシアはそそくさとミルクティーを飲み終え、物足りなそうにカップを置く。

(もう少し飲みたかったわ…)と、一息ため息をする。


サリシアはバルギス男爵家の長女。

兄弟は7つ離れた弟がいる。

サリシアの見た目は愛らしい美少女だが、性格は負けずぎらいで、向こうっ気の強いところがあった。

思い込みが激しく、何度となく人とトラブルを起こした。

「私は悪くないわ!向こうが私に意地悪をしてきたのよ!彼女、私のドレスを羨ましそうに見ていたわ。きっと嫉妬したのね」

そんなサリシアの主張をやんわりと苦言する母。

「サリシア、それでは素敵な淑女にはなれないわよ?うまく立ち回れない女性は淑女とは認められないわ」

サリシアは母の言葉を聞いて『淑女ってめんどくさい』と顔で表現した。

サリシアが大人の淑女になるには、もう少し時間がかかりそうだ。


たがサリシアの『僻まれている』は、あながち間違っていなかった。

実際バルギス家は父である男爵が勤勉で散財に興味がなく、土地も豊穣なため裕福だ。

そしてサリシアと妻の装いには金額など気にせず高級貴族よりも目立たぬデザインで、それでいて高価なものを。

そうした良質な素材を身に纏った彼女たちはいつも美しく人目を引いた。

それを妬む下級貴族も少なくなかった。

だがそれでもあえて見栄を張らねばならない。

それが王国の貴族社会であった。


サリシアの父であるコーウェン・バルド・バルギス男爵は、美丈夫で常に穏やかな表情を浮かべていた。

子煩悩で、妻のリューシア夫人との仲も良好であった。


バルギス男爵家は王国の南部地域にある所領を担っていた。

決して広い土地ではないが、農業が盛んで、野菜を育て、温暖な気候で果物も味の良い、貴族向けの高級品を栽培していた。

ただバルギス領は雨季の水害が多いことで有名であった。

だが、被害対策のマニュアルを毎年更新することで被害を年々減らしていった。


王国での男爵は農産業の大臣の下で管理職に就き、特に水害対策のマニュアルを王国全土に伝え、実際その対策能力で被害を減らしていった。

成果を認められ、いずれは爵位がもう一つ与えらると噂されていた。


男爵の生活は王都と領主としての仕事のため、ほとんどを往復する毎日だった。

サリシアは学園に通うため、いまは母と弟と王都の邸宅で暮らしている。


王都にあるバルギス邸は大きくはないが、白い姿の美しい館として評判であった。

父に会えるのは王都での仕事をする時の間、それも忙しい時は城に寝泊まりをすることもあるため、王都の邸宅で過ごすのは1ヶ月のうち1週間くらいだ。

母や弟と共に暮らしていてもやはり寂しいため、父が邸宅にきてくれると、サリシアはご機嫌で家族とのティータイムを楽しむ。

「お父様、この間王太子殿下にご挨拶したの。とっても優しくて素敵な方だったわ」

「ほう、城にいてもなかなか殿下にご挨拶する機会などないが…さすが学園だな、身分関係なくご挨拶できるのだな」

「でも殿下の婚約者の公爵令嬢は嫌い。なんだか偉そうなの。ただ公爵家というだけで、他に尊敬出来るところが何もないような気がするわ」

「はは、手厳しいな。でもカルカイザ公の令嬢はそれは成績優秀だと聞く。人を見た目で判断してはいけないよ」

「もちろんよ、お父様」得意満面で応えるサリシアに苦笑する父の瞳は愛情に満ちていた。

サリシアは幸せだった。


そんな折、バルギス領で去年の今頃、大変な災害が起こった。


いつもなら一か月程度の雨季が、去年は3ヶ月続き、雨が止む事なく降り続いた。

川は溢れ、畑は水没し、家は流された。

土砂災害で道が塞がれ、逃げることも物資が入ってくることも出来なくなった。

バルギス家には毎日のように災害の被害情報が新しく入ってくる。


王国は災害対策のマニュアルは形ばかりで、その時の土木建築大臣や農産大臣が対応していた。

本来ならこういう場面ではバルギス男爵が水害対策を請け負うのだが、今回は他の者が対応せざるを得なかった。

農産大臣は『バルギス領は災害に慣れているし、とりあえず金があれば何とかなるだろう』と、楽観視をし、災害対策のマニュアルを読み直すことなく、備蓄していた食料品と救済金として金貨を1000枚ほどバルギス領に送った。


これがバルギス領を大混乱へと導いた。


本来なら金より人を送るべきであった。

災害の時はとにかく人手が足りなくなる。

道を塞ぐ土砂を退けるにも、食糧の運搬にも、人手がないと金も使えない。

バルギス男爵は救済金をそのまま人件費に回した。

領内の派遣ギルドは手一杯だったので、初見のギルドを頼った。


だがこれが最大の誤ちだった。

なんと前金を持ち逃げされたのだ。

今までの男爵なら信用のないギルドを頼るようなことをしなかった。

だが100年に一度の大災害だったため、ギルドの素性確認を部下に任せてしまった。

「申し訳ありません!!」

土下座した部下に重い罰を与えることもできなかった。

皆が満身創痍で災害の対処に追われ、ほとんど食事も睡眠も満足に摂れていなかった。


『バルギス男爵は最大の失態を犯した』


たちまち王国内に知れ渡った。

本来なら同情されるはずだった。

だが、豊穣な土地を持ち王国内でも地位を固めはじめたバルギス男爵。

その彼を引きずり下ろすため、普段から隙を伺っていた者たちがここぞとばかりありもしない悪評をばら撒いた。

そしてこの悪評を農産大臣が利用し、自分の失態を隠したのだ。


バルギス男爵は領地と悪評の混乱のもと失意した。

「こんなことで…いや…私がいけなかった…もっと気をつけるべきだった…」

「お父様は悪くないわ!何も知らない人達が好き勝手に言ってるだけじゃないの!」

サリシアは憤慨した。

優しい大好きな父が無能だと笑われ、ありもしないスキャンダルをねつ造され、辱められた。


新聞にはバルギス家のスキャンダルが連日書かれた。

それを読んでため息をつくリューシア夫人からサリシアが新聞を奪い取り、破いた。

「こんなの読んではダメだって言ったでしょ!」

「そう…たけど…」

サリシアは必死に家族を守ろうと、家の中に目を光らせた。


ある日お茶会の招待状が届いた。

リューシア夫人を気遣い、気晴らしにと誘ってくれた。

親しい関係の侯爵夫人の気遣いが嬉しかった。

だが楽しみにしていたお茶会から帰宅したリューシアは酷く疲れた様子だった。

リューシアは部屋に篭り食事もほとんど取らなくなった。

サリシアが聞いても何も答えない。

心配した侍女がリューシアに何があったのかひっそりと聞いた。


お茶会では今まで仲の良かった婦人達が、リューシアとまったく口を聞かず、無視された。

何を話てもニヤニヤ嗤うだけで誰も応えようとはしなかった。

「あら何か聞こえて?」

「いえ、うるさいハエの羽音ではありませんの?」

「あら嫌だ。成金男爵家の下賎な声だわ」

クスクスと乾いた笑い声が美しい庭園に響きわたる。

リューシアの驚きは絶望に変わった。

友人と信じていた人々の裏切り。

隠されていた本音。

『貴女がわたくしの友人?さて、こんな庶民臭い友人なんていたかしら?』大袈裟に鼻をつまむ。

クスクスと扇子で口元を隠しながら嘲笑う。

リューシアは必死に涙をこらえてテーブルの下で握った手が小刻みに震えた。


リューシアはその日から何日も泣き続け、ある時から泣くことをやめた。

リューシアは部屋で花瓶を割り手首を切った。

手首を洗顔の水の中に浸して部屋は鮮血で真っ赤になった。

意識がもうろうとなる中、侯爵夫人達の笑う声が部屋中を駆け回る。

「お母様!死んではイヤよ!」

サリシアの声にリューシアの意識が現実へと引き戻された。

「あ…ごめんね…ごめんなさ…」

自分の行為を理解し、謝罪した。

「お母様はなにも悪くない…!どうして皆んな私たちにこんな酷いことをするの!?」泣きながら母を抱きしめるサリシア。

リューシアはサリシアと一緒になって泣いた。

夫人は衝動的な行為だったため、出血は多かったが命には別状はなく、

けれど心の傷は癒えず、それきり寝たきりの状態になった。


それからはバルギス家邸宅内はどこか重い空気が漂うようになった。

使用人たちは不安を覚え、何人か辞めていった。



たった一つの過ちでバルギス家は奈落の底に落とされた。


そして水害の混乱を抑えきれず、復興が進まない現状から、バルギス男爵は所領を一旦王国の管理下に戻されることになった。

混乱の中、領主がいなくなったバルギス領内はさらに荒れた。

治安は悪化し、バルギス男爵が作った外に繋がる道から人々は逃げるように領内を立ち去った。


王国内では噂や憶測が飛び交い、代わりに、カルカイザ公爵家がバルギス領の仮の領主となると、まことしやかにささやかれた。


「なぜあのバルギス男爵がここまでひどい扱いをうけるのだ」

「どうも誰かの策略に嵌ったという噂だ」

「バルギス領をカルカイザ公爵が引き受けるという話があるらしい」

「なるほど…公爵はさらに力を得るわけだ…」

誰がどういう意図でその噂が広まったのかはわからない。

その噂はバルギス家にも届いた。


噂に激昂したのはサリシアだった。

サリシアは噂を真実だと思い込んだ。

もともと思い込みの激しい性格だった。

「そういうことなのね!」

「バルギス領を手に入れるため、カルカイザ公爵が裏から手を回したんだわ!」

「公爵家はバルギス領を手に入れて私腹を肥やすためお父様を陥れたのよ!」

悔しくて腹立たしくて混乱した感情が腹の底から湧き出して止まらない。

怒りで握りしめた拳が血色を失い、元々美しい白い肌が真っ白になる。

領地の没収と父の失墜、バルギス家は没落していくだろうことは明白だった。


(これだけのものを手に入れてまだバルギス領が欲しいの⁈)

(カルカイザ公爵…なんて強欲なのかしら)

(許せない…絶対に…‼︎)

薄暗い部屋の中でサリシアの瞳が鋭い光を放つ。


貴族の世界は、噂と嘘でまみれていた。

サリシアはそのほんの一部に触れただけだったが、その嘘を真実と信じることで心の均衡を保っていた。


サリシアの怒りはカルカイザ家に向けられた。

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