第四百八十九話 嫉妬と陰謀
ダークエルフの女王ドロテアが動くことのできないラインハルトと交わろうとした、その瞬間であった。
ラインハルトとドロテアの二人がいる世界、金環月食の月明かりが照らし出す、その漆黒の空間にガラスが割れたような音と共に無数の亀裂が入り、割れ広がっていく。
漆黒となった無の空間に女の声が響き渡る。
ナナイが魔法を詠唱する声であった。
「Deus qui adjuvat et protegit justitiam.」
(義を助け、護られる神よ)
「Servum eius in hac hora protege, cum clamavero ad te.」
(我が呼ばわる、今、この時、彼の僕をお護り下さい)
「Quaeso miserere mei et exaudi preces meas.」
(我を憐れみ、我が祈りを聞き入れ願う)
「Ego sum cultor sanctus Dei.」
(我は聖別されし、神を敬う者)
「Deus scutum protegens me. rectos corde salvat Deus.」
(我を守る盾は神である。神は心の直き者を救われる)
「Deus judex justus.」
(神は義なるさばき人)
「O vos, maligni! Recedite atque abite!!」
(すべての悪を行う者よ! 退き、離れ去れ!!)
ラインハルトとドロテアのいる世界、金環月食が照らす漆黒の空間が粉々に砕け散っていく。
「・・・また会おうぞ。人間の皇帝」
ラインハルトのまどろむ意識にドロテアの声が聞こえてくる。
「ハッ!?」
ラインハルトは、死から蘇生した者のように目覚め、起き上がる。
「・・・はぁっ、・・・はぁ」
全身に冷たい脂汗が溢れ、ラインハルトは自分がいる周囲を見回す。
ナナイは、起き上がったラインハルトの傍らに来ると、隣に腰を掛けてラインハルトの身を案じる。
「大丈夫!?」
ラインハルトは、ナナイに尋ねる。
「・・・ナナイ。何があった?」
「・・・私にも判らない。小用で部屋を出て戻ってきたら、大きな真っ黒い球体がベッドごと貴方を取り込んでいて。・・・神聖魔法で追い払ったけど。・・・中で何が?」
「ダークエルフだ。奴らの女王が来た」
ラインハルトは苦々しく答える。
ーー新大陸 魔導王国エスペランサ ダークエルフの王城
半地下の大きな半円状の玄室に女王ドロテアはいた。
大きなシャンデリアが放つ魔法の青白い光が広い玄室の中を照らし、その玄室の中心にドロテアはいた。
ドロテアは、禍々しい魔法陣が描かれた大きな円形の鏡の上に一糸まとわぬ姿で目を閉じて上を向き、背を反らして鏡に座ってた。
ドロテアがビクンと大きく身震いすると、大きな音と共にドロテアが座る魔法陣が描かれた鏡にヒビが入り、砕け散る。
ドロテアは、座っている鏡が割れた事を気に留める事もなく、背を反らして鏡の上に座ったまま、上を向いて目を閉じたまま呟く。
「・・・また会おうぞ。人間の皇帝」
そう口にすると、ドロテアは背を反らして上を向いたまま、目を開いて呟く。
「・・・神聖魔法。・・・皇帝の妻。・・・あの女か」
次の瞬間、勢いよく入口の扉が開かれ、ダークエルフの魔法騎士が玄室内に入ってくる。
「女王陛下!?」
ダークエルフの魔法騎士シグマ・アイゼナハトであった。
玄室内に立ち入ったシグマの目に映ったのは、魔法陣が描かれた、ひび割れ砕けた大きな鏡の上に座る、敬愛する女王ドロテアの姿であった。
咄嗟のこととはいえ、シグマは『見てはいけないものを見てしまった』と思い、慌ててその場で片膝を着いて頭を下げ、ドロテアに謝罪する。
「も、申し訳ありません。女王陛下。大きな物音がしたので」
ドロテアは、玄室に入ってきたシグマの存在と言葉に反応することは無く、座っているその場でひび割れ砕けた鏡の破片に両手を着いてガックリと俯いてうなだれると、鏡に映る自分の顔を見詰めながらぶつぶつと呟き続ける。
「・・・妬ける。妬けるのぅ・・・。・・・妬ける。・・・・妬ける」
ドロテアの美しい顔が怒りと嫉妬に歪み、両手を着いて自分の顔が映っている鏡の破片を両手の爪で引っ掻き始める。
「妬ける! 妬ける! 妬ける! 妬けるぅ!!」
「へ、陛下・・・」
シグマは、初めて目にする女王が怒りを露わにした姿に戸惑う。
ドロテアは、込み上げてくる怒りと嫉妬を自分の顔が映っている鏡の破片に向け、割れた鏡の破片に爪を立ててガリガリと引っ掻く。
「おのれぇえええ! あの女! 今、一歩のところを邪魔しおってぇ!」
シグマが呆然と見つめる中、ドロテアは怒り狂って叫びながら鏡の破片を引っ掻き続ける。
「皇帝が我を拒んだ! お前がいるからだ! 皇帝の妻! 皇帝は我の男だ! 人間の女ごときが! お前は、夜な夜な抱かれて、満たされているのだろう! たくさんの子を授かり、産み落としてきたのだろうが! 我の男だ! 妬ける! 妬ける! 妬ける! 妬けるぅ!!」
ドロテアはそこまで叫ぶと、座ったまま乱れた呼吸を整え始める。
「フーッ。フーッ。フーッ・・・」
シグマは、ドロテアの嫉妬と怒りが一段落したのを見計らい、声を掛ける。
「・・・女王陛下。どうか、お気を確かに」
声を掛けられたドロテアはようやくシグマの存在に気が付き、その場に立ち上がると、シグマの方に顔を向ける。
「シグマか・・・」
「はっ」
女王に名前を呼ばれたシグマが畏まると、ドロテアはシグマに告げる。
「貴重な古代魔法遺産『淫夢の鏡』を失った。もう少しで人間の皇帝を落とせたのだがな。・・・しくじった」
シグマは尋ねる。
「恐れながら陛下。まさか、本気で人間と交わろうなどと、お考えを・・・」
シグマには、ダークエルフが何千年という長い年月の間、守り続けてきた『純血主義』を捨てることなど、到底、理解できなかった。
ドロテアは、玄室の入口に向かって歩き始めるとシグマに答える。
「神々が大帝に与えた『上級騎士の力』と『生殖能力』を我らダークエルフが手に入れる」
「陛下!?」
自分の考えを咎めるようなシグマの声に、ドロテアは横目でシグマに目線を向けながら、皮肉を含んだ言い方で問い質す。
「お前に『上級騎士の力』があるのか? 『女に十五人もの子を授ける力』があるのか?」
シグマは悔しそうに答える。
「いいえ。・・・どちらもありません」
ドロテアはシグマの答えを聞くと、鼻で笑う。
「フッ。・・・そうであろう。魔神たちが造りし闇の眷属で我らダークエルフが最強の種族であるにもかかわらず、地上を支配できないのは、その数が少ないからじゃ」
ドロテアは、入口近くで片膝を着いて畏まるシグマの前で立ち止まり、再びシグマに告げる。
「我と皇帝の子が産まれれば。吾子は『上級騎士の力』と『女に十五人もの子を授ける力』を兼ね備えた、地上最強の、無敵のダークエルフとなるであろう」
シグマは、薄ら笑みを浮かべながら語るドロテアを見上げながら、尚もドロテアを咎める。
「それはなりません! なりませんぞ! 人と交わるなど! 陛下!?」
ドロテアは、シグマの答えを聞き流すと、呟きながら玄室の入口から外へ歩いて行く。
「ふふふ。吾子の力は、アスカニアの神々や魔神たちをも凌ぐかもしれんのぅ・・・。くふふふふふ」
ダークエルフ達は、次の謀略を巡らせていた。




