第四百四十二話 ミネルバの騎士
ミネルバに告白したキャスパーに、取り巻きである貴族組一年生の女の子の一人が声を掛ける。
ミミリィ・ニードリゲクラッセ子爵令嬢であった。
「キャスパー男爵。お待ち下さい。その御方は・・・」
そこまで口にしたミミリィは、ハッとしてミネルバの方に目線を向けると、ミネルバと目が合う。
皇帝ラインハルトと同じ凍てつくアイス・ブルーの瞳がミミリィを睨んでおり、そのミネルバの瞳が無言でミミリィを威圧していた。
『余計なことをしゃべるな』と。
「ヒィッ・・・!!」
恐怖で目を見開いたミミリィの顔から、みるみるうちに血の気が引き、ガタガタと身震いしながらその場に立ち竦む。
ミミリィは、以前、野営訓練の際に子分である二人の男爵令嬢達と、ミネルバを雑木林に呼び出して男達と騒いでいた事を咎め、三人掛かりで冷たいお茶を掛けた事があった。
結果、ミミリィは、怒ったミネルバにボコボコに叩きのめされて前歯三本をへし折られ、全裸に剥かれ、顔に自分の下着を被せられた挙句、『帝国第三皇女である』と身分を明かしたミネルバに土下座して謝罪するも、『大逆罪で一族郎党、死罪にするぞ』と恫喝され、恐怖のあまり失禁する羽目になったのであった。
顔面蒼白のミミリィは、奥歯を鳴らしながら絞り出すような声でキャスパーに告げる。
「い、い、い、いいえ。何でもありません!!」
「そうか」
ミミリィは、そそくさとその場から逃げ出すように、足早に取り巻きの貴族組の後ろの列に向かっていった。
ミネルバの目の前には、ホラントで触手を顔に押し付けて迫ってきたロロネー(初代キャスパー)と瓜二つ、そっくりな顔のキャスパー三世がいた。
(ちょっと! 嫌ぁ~! キモい! キモい! キモい! 近寄らないで! 何なの!? コイツ!!)
ミネルバは、生理的嫌悪感から美しい顔の眉間にしわを寄せ、目の前のキャスパーを張り倒して蹴り飛ばしたい衝動を必死に堪え、全身に鳥肌を立たせながら後退っていた。
やじ馬の中から二人の様子を見ていたアレクの目には、ミネルバの姿は滑稽に見えていた。
ミネルバは、キャスパーに対する生理的嫌悪感を露骨に顔に表し、あくまで『平民の純情で可愛らしい乙女』を演じながら、二歩、三歩と後退っていた。
アレクは、堪え切れずに笑いを漏らしながら呟く。
「ぷぷぷっ。あいつ、必死だな」
アルは尋ねる。
「アレク。良いのかよ? ミネルバちゃん、露骨に嫌がってるぞ?」
アレクは、ため息交じりに答える。
「はぁ・・・。心配無いよ。あいつは、ダークエルフ並みに強くて、凶悪で、腹黒いから」
気を取り直したキャスパーは、尚もミネルバに迫る。
「平民の貴女がいきなり帝国貴族たるヨーイチ男爵家の妃になるなど、戸惑われるのも無理はありません。この従騎士のキャスパー三世が生涯を掛けて貴女の傍でお守り致します。さぁ・・・」
「お断りします!」
ミネルバにキッパリと断られたキャスパーを見て、やじ馬たちが笑いを漏らす。
「ぶっ!」
「くっくっくっ」
「うふふ」
ランスロットは、ミネルバの言葉を聞くと、傍らにいたミネルバを背に庇うようにキャスパーとの間に割って入り、キャスパーに告げる。
「キャスパー男爵。彼女の返事は聞いてのとおりです。彼女は、貴方との交際を拒否しています。お引き取り下さい!」
ミネルバは、自分を守ろうと行動したランスロットに驚いて顔を見上げる。
「ランスロット!?」
キャスパーは、激昂して金切り声を上げながらミネルバを庇うランスロットに詰め寄る。
「キッ、サッ、マァー! 賎民の分際で、帝国貴族たる、この私の恋路を邪魔するとはぁー!!」
ミネルバを背に庇うランスロットとキャスパーが睨み合っていると、人混みの中からルドルフ達グリフォン小隊の面々が現れる。
ルドルフは三人に尋ねる。
「何やってんだ? お前ら?」
ランスロットは答える。
「彼女が嫌がっているのに、キャスパー男爵がしつこく迫っているんですよ!」
ブルクハルトは、怒りを露わにして口を開く。
「なにぃ!? このチビがオレ達三枚目の女神ミネルバ嬢に迫っているだとぉ!」
ミネルバは、照れるような仕草で甘えるような猫撫で声を上げる。
「そんな、女神だなんて」
ルドルフは鼻で笑うとキャスパーに告げる。
「フッ・・・。失せろ、チビ。お前は彼女に振られたんだよ」
筋肉質の女戦士も口を開く。
「女の子に迫る前に、まず、自分の顔を鏡で見ろよ?」
口の悪い女僧侶も続く。
「あははは! どう見ても、この娘とアンタじゃ、釣り合いが取れないって!」
ルドルフ達に侮辱されたキャスパーは、再び金切り声を上げて激昂する。
「キィィィ! お前らぁ~!」
「うるせぇ!!」
ルドルフは、制服のズボンのポケットに両手を入れたまま、キャスパーの顔を踏み付けるように蹴る。
「ぶはっ!?」
ブルクハルトは、ルドルフに蹴られたキャスパーを後ろから羽交い絞めにする。
「はいはい。みんなの邪魔になるから、補給処の外に行きましょうね~」
「おい!? 離せ! 離せぇ! 賎民の分際で! キサマァ!」
ブルクハルトは、腕の中でジタバタと暴れるキャスパーをそのまま持ち上げると、補給処の外に向かって歩いて行く。
そのブルクハルトの後を貴族組とグリフォン小隊の者達は付いていく。
アンナは、去り際に黒髪のツインテールを揺らしながら片目を瞑ってランスロットとミネルバに告げる。
「アイツは私達に任せて。貴方達は、今のうちに」
「すみません」
ランスロットは、アンナに礼を言うとミネルバの手を引いて補給処から出て行く。
当事者たちがいなくなって騒動が静まり、やじ馬たちが去って行く。
一連の様子を見ていたアルは呟く。
「へぇ~。貴族組からミネルバちゃんを庇うなんて、あの堅物君、なかなかやるじゃないか」
アレクは呆れたように答える。
「まぁ、あいつの腹黒さを知らないからな」
ミネルバとランスロットは、補給処から離れた路地まで来ていた。
ランスロットは呟く。
「ここまで来たら、もう大丈夫だろう。・・・追って来てないよな?」
そう呟くと、ランスロットは周囲を警戒する。
ミネルバは、ランスロットの姿を見て笑う。
「あは。 貴方って、意外に私のことを気に掛けてくれているのね」
笑われたランスロットは、少しムッとしてミネルバに答える。
「当然じゃないか。男なら女の子を守るものだろう」
ミネルバは後ろ手に両手を組むと、感心したようにランスロットの顔を覗き込む。
「ふぅ~ん」
「急に・・・どうしたんだ?」
「貴方って、地味だから気付かなかったけど、補給処で初めて出会った時も、ホラントで私が道化師の化物に襲われた時も、私を助けてくれたわよね?」
「そうだけど・・・」
「うふふ」
ミネルバは悪戯っぽく微笑むと、ミネルバの言動と行動が理解できず小首を傾げるランスロットの方を振り向いて告げる。
「ねぇ、ランスロット。・・・跪いて」
「え?」
「早く!」
「あ・・・ああ」
訳が判らないまま、ランスロットは言われた通りにミネルバの前に跪く。
ミネルバは、レイピアを抜くと跪くランスロットの肩に剣先を置いて格調高く語り始める。
「ランスロット・パウエル。汝が示した勇気と武勲、騎士道精神は見事である。我、ミネルバの名において、汝を我が騎士とする。帝国騎士よ。強く、優しく、誇り高くあれ」
この瞬間のミネルバは、まさに皇妃ナナイが皇宮警護軍団の者を騎士に叙任する姿と瓜二つであった。
ランスロットは、あまりにも様になっていたミネルバの姿に唖然として魅入ってしまい、騎士叙任式の際にするように、肩に置かれたレイピアの剣先を手に取ると、そのまま剣先に接吻する。
ミネルバはレイピアを鞘に仕舞うと、再び悪戯っぽく微笑む。
「さぁ、これで貴方は私の騎士よ。うふふ」
ランスロットは、我に返ってミネルバに尋ねる。
「姫、何だよ? それ?」
「ふふふ。・・・ナイショ」
そう答えるとミネルバは、自分達の寮へと歩いて行く。
「おい! 姫ってば!」
ランスロットは立ち上がると、慌ててミネルバを追い掛けていく。
ミネルバは、平民として士官学校にいるが、皇帝ラインハルトと皇妃ナナイの長女であり、皇太子ジークと第二皇子アレクの妹にあたる帝国第三皇女であった。
帝国第三皇女が行う騎士叙任が様になっていたのは、ある意味、当然であった。