第四百三十話 魂の叫びとファーストキス
ジークはベッドに身を乗り出すと、シャーロットの瞳を見詰める。
美しい銀色の瞳の奥には、男に抱かれること、経験の無いことへの恐怖と怯えがありありと見て取れた。
ジークには、シャーロットが自分に対して虚勢を張っていることが判る。
ジークは穏やかにシャーロットを諭す。
「怯えているな。そなたは男に抱かれたことなど無いのだろう。私が怖いか? ・・・『犯せ』だの、『殺せ』だの、列強と呼ばれる大国グリース王国の姫君が使う言葉では無いだろう」
処女であることを言い当てられたシャーロットは、羞恥から赤面するとジークに食って掛かる。
「怯えてなどいないし、お前など怖くない! もう一度、私と勝負しろ! 私が勝ったら私と部下を釈放しろ! いいな!?」
ジークは苦笑いしながら尋ねる。
「いいだろう。また、そなたが負けたらどうする?」
「その時は、お前の妃にでも、愛妾にでもなってやる! 専属娼婦のように扱うがいい!」
シャーロットが勇ましくそこまで言うと、不意にシャーロットのお腹が鳴る。
「うううっ・・・」
恥ずかしさの余りシャーロットは赤面したまま、お腹を押さえて俯く。
ジークは、短くため息を吐くとシャーロットに告げる。
「・・・朝食を用意させる。勝負は、その後にしよう」
そう告げるとジークは席を立ち、シャーロットのいる貴賓室を後にした。
ジークは、帰り掛けに控室にいるモニカに声を掛ける。
「モニカ。彼女に朝食の用意を」
「畏まりました」
シャーロットが軍服に着替えて貴賓室の寝室からリビングへ行くと、モニカが用意した朝食をテーブルの上に並べ終えるところであった。
「バレンシュテットのものですが、お口に合うとよろしいのですけど・・・」
モニカは遠慮がちに告げるが、シャーロットは豪華な食卓に目を見張る。
白パン、オニオンスープ、スクランブルエッグ、厚切りベーコン、茹でたソーセージ、薄切りで巻いたハム、三種類のチーズ、トマトとレタスのサラダ、その他に果物のデザートまであった。
モニカはシャーロットに尋ねる。
「飲み物はいかがなされますか? フレッシュミルク、オレンジジュース、紅茶、コーヒーなど、揃えておりますが」
「フレッシュミルクで」
空腹であったシャーロットは、用意された朝食をほとんど残さずに食べてしまう。
グレース王国はスベリエ王国のような寒冷地とまではいかないが、冷涼な土地柄で食糧事情は悪かった。
シャーロットがグレースの王宮で食べている朝食は、カリカリに焼いたトースト、マッシュルームソテー、薄く切ったベーコンかニシン、ベイクドビーンズであった。
兵士達や庶民は、冬季には茹でたじゃがいもやアルビオン諸島で獲れた魚を食べており、それに比べればシャーロットがいたグレースの王宮は遥かに贅沢であった。
シャーロットは、グレース王国とバレンシュテット帝国との食糧事情と豊かさの違いを改めて認識する。
(帝国は・・・。バレンシュテットはこんなにも豊かなのだな)
シャーロットが朝食を終え、紅茶を口にしていたところで再びジークが貴賓室を訪れてくる。
モニカが食べ終わった食器をワゴンに片付けていく中、ジークは尋ねる。
「帝国の朝食は気に入って頂けたようだな」
「ああ」
「勝負はどうする?」
「やるに決まってる! 剣を!」
ジークは、手に持っていたシャーロットの剣を手渡す。
手ぶらのジークを見てシャーロットは訝しむ。
「得物は?」
ジークは、悪びれた素振りも見せず答える。
「私は・・・これで良い」
そう告げると、シャーロットが使っていた食事用のナイフを手にする。
余裕たっぷりのジークの様子を見たシャーロットは激昂して立ち上がると剣を構える。
「馬鹿にするなぁ!」
対峙したジークは、激昂するシャーロットに食事用のナイフを見せながら告げる。
「これで十分だ」
「行くぞ!」
シャーロットは剣を振りかぶると袈裟斬りに斬り掛かる。
ジークは身を反らしてシャーロットの斬撃を躱す。
シャーロットは二回連続で頭部を狙い、蹴りを放つ。
右足、左足と、シャーロットの蹴りを避けながらジークが告げる。
「ほう? ・・・斬撃に蹴りを組み合わせたか」
シャーロットは、再び剣を振りかぶり、左上から右下へ袈裟斬りに斬り掛かると、返す刀で右から左へ水平に斬り払う。
ジークは、シャーロットの払いを避けると右腕の外側へ回って踏み込み、シャーロットの顎下に食事用のナイフを突き付ける。
「くっ・・・」
シャーロットは、顎下にナイフを突き付けられ、目を見開く。
(見えなかった!? どうなってる?)
ジークは。シャーロットの顎下にナイフを突き付けたまま、穏やかに告げる。
「また私の勝ちだな」
ジークは、顎下に当てていた右手のナイフを逆手に持ち替えると、シャーロットから二歩ほど離れる。
「そなたでは私には勝てない。上級騎士に勝てるのは、上級騎士だけだ」
そう告げられたシャーロットは、両手で握っていた剣を力無く床に落とすと、俯く。
ジークは続ける。
「・・・すまないな。私も立場上、事の真相が判るまで、そなた達を無条件に解放する訳にはいかないのでな」
シャーロットは、俯いたまま両手を握り締めると震え出し、絞り出すような声で口を開く。
「私は・・・」
「ん?」
シャーロットは両手の拳を振り上げると、泣き叫びながらジークの胸を叩き始める。
「私はッ! 勝って帰らなければならないんだ! 部下達と共に!」
「父が亡くなった時に誓ったんだ! 私が民を! 兵を! グレースを守ると誓ったんだッ!」
「あいつらに! 父が守り抜いた国を乗っ取られる訳にはいかないんだッ!」
「なぜ私の邪魔をする! 私の前に現れた!? お前のような優しい奴が!」
「憎みたいのに憎めない! なぜ手加減した!? ひと思いに殺さなかった!? 父の元に行けたのに!」
「こんなに優しいのに上級騎士なんて!」
「無敵の上級騎士相手に、騎士の私にどうしろと!? 」
「一生懸命やってきたのに・・・、頑張ってきたのに・・・。私は・・・、私は・・・」
シャーロットは泣きながらそこまで叫ぶと、ジークの胸に顔を押し付けて泣きじゃくる。
ジークは、泣き出したシャーロットの好きに胸を小突かせていた。
グレース王家の跡取り娘として生まれ、誰に頼る事もできずに一人で頑張り続けてきたシャーロットの魂の叫びであった。
帝国の皇太子として生まれたジークには、シャーロットがしてきた苦労と努力が痛いほど理解できた。
ジークが左腕をシャーロットの後ろに回してその肩を抱くと、シャーロットは驚いたようにジークの腕の中で顔を見上げる。
ジークは、軽く曲げた右手の人差し指でシャーロットの瞳から零れ落ちる涙を拭いながら微笑み掛ける。
「私達は、似た者同士だな」
ジークはシャーロットの唇に自分の唇を重ねる。
シャーロットにとってファーストキスであった。