第四百二十五話 謀略
--少し時間を戻した バレンシュテット帝国軍総旗艦 ニーベルンゲン 艦橋
艦橋にはジークとアルケット艦長、ヒマジン伯爵がいた。
航法士官は口を開く。
「ニーベルンゲン、グレース艦隊旗艦の直上に出ました。これより慣性飛行に入ります」
「了解。御苦労」
答えたアルケットはジークに目配せする。
ジークは、アルケットからの目配せに頷いて答えると士官達に指示を出す。
「ニーベルンゲン、グレース艦隊旗艦へ威嚇射撃。当てるなよ」
「了解」
ジークは続ける。
「全艦、慣性飛行のまま高度三十メートルへ降下の後、グレース艦隊へ降伏勧告せよ」
「了解」
指示を出し終えたジークは、アルケットとヒマジンに微笑みながらおどけて見せる。
「ふっ・・・。チェックメイトだ」
-- グレース王国 王都ロンデニオン 王宮 女王の私室
---夜半。
夜の帳が降りた王都ロンデニオン。歴史のある古い都市の中心に聳え立つ王宮の一角に女王の私室はあった。
女王の私室には、女王アメリアと枢機卿ユースケが居た。
暖炉の薪が燃える炎が照らす薄暗い部屋の中、二人は暖炉の前にある二人掛けのソファーに並んで座る。
薄い肌着姿のアメリアは、抑えきれない不安と恐怖から隣に座るユースケの手を両手で握り、前のめりになって見上げる目線で問い掛ける。
「本当に、本当に、大丈夫であろうのう? あの小娘の艦隊が帝国海軍を攻撃し、バレンシュテットが・・・、帝国が報復に出てきたら我が国はひとたまりもない。皇帝は情け容赦無く、帝国騎士は世界最強とも、百万の帝国軍には人外も居るとも聞く。・・・私が捕まれば処刑される。・・・嫌じゃ。死にたくない。死にたくない!」
アメリアの身体は、押し潰されそうな恐怖から小刻みに震え始める。
ユースケは、懇願するように自分を見上げるアメリアの顔を見下ろし、下卑た笑みを浮かべながら語り始める。
「女王陛下。御安心召されよ。あの皇帝は合理主義者です。一度や二度、小競り合いが起きたからといってグレースに宣戦布告し、北部同盟全体を敵に回すような真似は致しません」
「おぉ・・・」
ユースケは、アメリアに暗示を掛けるように囁く。
「カスパニアと和睦するのです。帝国があの小娘を始末したら邪魔する者はありません。我らがグレース王国は、北部同盟から離脱して西方協商と講和するのです。世界大戦を継続するなど愚かな事なのです」
アメリアは、我が意を得たりとばかりに目を見開き、ユースケの言葉に聞き入る。
「そうじゃ・・・、そうじゃ。そなたの言うとおりじゃ」
ユースケは、アメリアに囁く。
「女王陛下。さぁ、不安と恐怖を鎮めましょう」
アメリアは、ユースケにしがみつく。
ユースケは、自分にすがりつく列強グレース王国の女王の姿を見てほくそ笑む。
「ククク。そうだ。それでいい」
-- グレース王国 王都ロンデニオン 王宮 薪割り小屋
--深夜。
王宮の外れに薪割り小屋はあった。
普段は人が近寄らない薪割り小屋を目指してランタンを手に歩く人影。
人影が巻き割り小屋の中に入ると、ランタンが室内を照らし始める。
小屋に入ったのは、枢機卿ユースケであった。
「枢機卿。お愉しみだったようだな?」
ユースケは、巻き割り小屋の入口の方を見る。
夜の闇の中から入口に現れた声の主の姿は、褐色の肌に尖った耳。
意匠を凝らしたミスリルの鎧を身に付け、レイピアを腰から下げている。
ダークエルフの魔法騎士、シグマ・アイゼナハトであった。
ユースケは、嫌味を込めて答える。
「覗きとは、良い趣味をしてるな」
シグマも皮肉を込めて返す。
「女のことを見せ付けたがるような悪趣味ではないが」
「私は、若くして夫である先王を亡くし、夜な夜な火照る身体を持て余している未亡人の女王を御慰めしているのだよ」
シグマは、歪んだ笑みを浮かべる。
「先王を謀殺したお前がか? 毎夜毎夜、夫を殺したお前に抱かれて慰められているとは、なかなかに不憫な女王だな」
ユースケは悪びれた素振りも見せずに続ける。
「カスパニアに話はつけてくれたのだろうな?」
「話は通してある。グレースが北部同盟から離脱したら、スベリエの食糧庫であるアルビオン諸島は丸裸だ。戦局は一気にカスパニア優位に傾く。お前こそ、手抜かりは無いな?」
アルビオン諸島。
氷竜海の北方、東側にスベリエ王国、西側にグレース王国と、その中間に位置する五つの島からなるスベリエ王国領の諸島であり、同国の外洋貿易の中継港であるだけでなく、スベリエ王国とグレース王国が冬季の食糧を調達する北洋漁業と捕鯨の母港でもあった。
「心配無い。未亡人の女王は私の傀儡だ。女王の息子の王太子は暗愚。厄介だった先王の娘も帝国が始末してくれる」
シグマは訝しむ。
「帝国だと? 彼の帝国は、皇帝も皇太子も切れ者だ。くれぐれも侮るなよ?」
「大丈夫だ」
謀議を確認したシグマは、再び夜の闇の中にその姿を消していった。