第三百八十四話 ジークの出立
--アレク達が二回目の野営訓練を楽しんでいる夏休みから、時を遡る。
--凱旋式が終わった後のトラキア離宮。
トラキア離宮の貴賓室には、皇帝ラインハルトと皇妃ナナイ、皇太子ジークフリートと四人の妃達が居た。
ジークは、自分に無断でキズナから出撃してきたソフィアを叱責する。
「ソフィア! キズナで自重しろと言い付けたはずだ! にもかかわらず、飛竜に乗り、帝国竜騎兵団を率いて前線に出るとは、どういうつもりだ!? お前の身体は、お前ひとりのものではないのだぞ!!」
禁欲的な紳士であり、普段は女性や妃達には優しいジークであったが、父である皇帝ラインハルトの手前、言い付けを破って実家のあるキズナからトラキアの前線に出て来たソフィアを咎めずにはいられなかった。
ソフィアの行動は明らかにジークの面子を潰すものであり、ジークとしては「自分の妃一人躾けられないのか」とラインハルトからの自分への信用と評価を無くす訳にはいかなかった。
ソフィアはジークに対して片膝を着いて最敬礼を取ると、俯きながら謝罪する。
「・・・誠に申し訳ありません」
ジークは大きくため息をつくと、ソフィアが涙ながらに訴える。
「・・・ですが! 帝国の皇太子である御身がトラキア人ごときと前線に出向かれるなど!」
ジークは答える。
「私は、勝算があって前線に出たのだ!」
ソフィアは涙声で抗議する。
「ジーク様! ・・・私を未亡人にするおつもりですか!? 私のお腹の子を父無し子にするおつもりですか!? ・・・御身に何かあったなら、私は生きてはいけません!」
ラインハルトは、ジークとソフィアのやり取りを見て二人の間に入る。
「ジーク。ソフィアはお前を想って行動したのだ。お前もソフィアも無事だった。それでもう良いだろう」
ラインハルトから諌められ、ジークは引き下がる。
「・・・ソフィア、ニーベルンゲンでキズナまで送っていく。実家で自重しろ。いいな? ・・・下がれ」
「・・・はい」
ナナイは、俯くソフィアの傍らに来て労る。
「・・・申し訳ありません」
「いいのよ。行きましょう・・・」
ナナイはソフィアを伴って貴賓室を出ると、別室へ向かう。
二人が貴賓室を出て、一呼吸した後、ラインハルトはジークに尋ねる。
「ジーク。ホラントに赴く段取りは考えてあるのか? トラキアの開拓事業も兼務となるが・・・」
「トラキア開拓事業は、灌漑用水路と上下水道、農場の建設、街道の整備、トラキア鉄道の敷設など主要なインフラ整備を進めております。このまま進めていけば、トラキアの農業も工業も物流も軌道に乗ると考えています。トラキアは、フェリシアに任せようかと。彼女に開拓事業を引き継いだ後に帝都を経由してホラントに赴くつもりです」
「ほう?」
ラインハルトとジークの目線は、フェリシアに向けられる。
ジークがトラキアを第三妃のフェリシアに任せると口にして、当のフェリシアは驚く。
「私がですか!?」
ジークは、穏やかにフェリシアに語り掛ける。
「フェリシア。私は、お前の能力を高く評価している。メルキト伯から献上された美女百人をメイドとして上手く使っている。それに、元々、トラキア連邦政府の議長をやっていたのだ。メルキト伯とジャダラン伯の二人を補佐に付ける。トラキア開拓事業が順調に進んでいるかどうか、毎月調べて私に報告してくれれば良い」
「判りました。微力を尽くします」
カリンは、フェリシアの傍らで歓声を上げる。
「フェリシアさん、凄いです! ジーク様の代理としてトラキアを任されるなんて! 私もお手伝いします!!」
フェリシアはカリンに微笑み掛ける。
「ありがとう。カリンさん」
微笑み合うフェリシアとカリンを見たジークは、アストリッドの方へ目線を向ける。
「アストリッド。フェリシアとカリンをここに残して、ホラントには、そなたを連れて行く」
アストリッドはジークの言葉に微笑む。
「判りました」
ジークの第二妃であり護衛でもあるアストリッドは、トラキア兵団での出撃時もそうだが、ジークと一緒にいる事が多かった。
-- 出発の日。
バレンシュテット帝国軍総旗艦ニーベルンゲンは、トラキア離宮併設の飛行場に停泊していた。
トラキア離宮からニーベルンゲンに乗艦するためのタラップまで、儀仗兵が立ち並ぶ通路を皇帝ラインハルトと皇妃ナナイ、皇太子ジークと妃達は歩いて行く。
ラインハルトとナナイは、そのままタラップを上ってニーベルンゲンに乗艦していく。
ジークとソフィア、アストリッドが二人に続き、フェリシアとカリンはタラップの手前で立ち止まり、タラップを上って乗艦していく帝室の者達を見送る。
ジークはタラップの手前で立ち止まると振り返り、後ろに続くソフィアとアストリッドの間を通り抜けて後戻りする。
突然、振り返って自分達の脇を通り抜けたジークをソフィアが訝しむ。
「・・・ジーク様?」
ジークは、見送りするフェリシアとカリンの元に行く。
ジークは二人に告げる。
「二人とも、留守を頼むぞ」
「お任せ下さい!」
カリンはガッツポーズをして見せる。
フェリシアは口を開く。
「ジーク様・・・」
ジークの名を口にすると、フェリシアはジークに抱き付く。
ジークの首に両腕を回してフェリシアがジークの耳元で囁く。
「ジーク様。どうかご無事で。・・・愛しています」
ジークは穏やかに微笑むと、フェリシアの頬に両手を当て、額にキスする。
「そう心配するな。トラキアを頼んだぞ」
「・・・はい」
フェリシアとカリンが見送るタラップをジークは上っていき、再びソフィアとアストリッドの間を通る。
ソフィアは、ジークからキスされたフェリシアに嫉妬して、タラップの上からフェリシアを睨みながら短く呟く。
「・・・あのトラキア女!」
タラップを上るジークは、すれ違い様にソフィアに声を掛ける。
「行くぞ。ソフィア」
ジークから声を掛けられたソフィアは、笑顔に表情を一変させると猫撫で声で答え、タラップを上っていくジークの後に続く。
「はい」
フェリシアとカリンは地上からジーク達が乗り込んだニーベルンゲンを見送っていた。
無事だろうとは頭で理解してそう思っていても、愛する夫ジークが戦場へ赴くと思うと心が付いて行けず、フェリシアの目に涙が浮かんでくる。
(・・・ジーク様。どうかご無事で)
涙ながらに手を振り、ニーベルンゲンを見送るフェリシアの胎内には、新しい命が宿っていた。
帝室の者達が乗艦を終えると、タラップは引き上げられていく。
タラップを収容して発艦準備を終えたニーベルンゲンは、二人が見送る中、ゆっくりと飛行場から離陸して巨大な純白の船体を宙に浮かべ、高度を上げて行く。
ニーベルンゲンは艦首を帝都へ向けると、速度を上げて航行していく。
バレンシュテット帝国軍総旗艦ニーベルンゲン。
皇帝座乗艦でもある純白の巨大な飛行戦艦は、まさに超大国バレンシュテット帝国の『力の象徴』であった。