第三百六十八話 二つの親書、チェックメイトの和議
--メフメト王国 王宮
シゲノブ一世は、各方面から寄せられる敗報に焦燥感を募らせていた。
空中都市イル・ラヴァーリでは、ヴェネト共和国軍飛行艦隊『東方不敗』と戦ったソユット軍の帝国飛行艦隊は敗れて敗走。
帝国領トラキアに侵攻した二部隊のうち、第十陣は壊滅し、第九陣は撤退。
メフメト王国の降伏後、ソユット軍は各地で連戦連敗であった。
世界地図を眺めながら、シゲノブ一世は考える。
(これはマズい・・・)
(まさかイル・ラヴァーリに東方不敗が現れるとは・・・。想定外だ)
(トラキアに侵攻した第十陣は全滅。第九陣は撤退)
(バレンシュテットがこんなに強いとは。辺境を掠め取って牽制するどころではない)
(見誤って虎の尾を踏んでしまったか・・・)
更に前線から伝令がやってきて報告を伝える。
「申し上げます。バレンシュテットがトラキア国境に軍勢を集結させつつあります」
「ほう? どれくらいの規模だ?」
「三個軍団三十万と見られています」
「何だと!? 三十万!? 三万ではないのか?」
「物見からの報告ですと、三十万とのことで・・・」
報告を受けたシゲノブ一世は驚愕する。
「むぅ・・・」
シゲノブ一世は、再び世界地図を眺めながら考える。
(・・・マズい。まさか、こんな短期間に、こちらの三倍の軍勢を動員して国境に集結させるとは!)
(このまま、野戦で戦っても、三倍以上の軍勢相手には勝算が無い)
(このメフメトに籠城したとしても、補給が続かん。それに、南は南大洋だ。逃げ場も無い)
(・・・メフメトから撤退しようにも、身動きが取れん)
(事ここに及んで、多くの輸送船を失ったのが、痛い)
(皇太子め・・・!)
(・・・)
(・・・ここは、退くが上策か)
考えがまとまったシゲノブ一世は、玉座から立ち上がる。
「誰ぞある! フクロウ便を用意しろ!」
重臣の一人は答える。
「ははっ。・・・陛下。宛先はどこに?」
「スベリエ王国のフェルディナント王宛てだ!」
--三日後。夜。
--スベリエ王国 王都ガムラ・スタン 王宮
スベリエ王国の国王、フェルディナント・ヨハン・スベリエは、一人で自分の執務室にいた。
フェルディナント国王は、白い獅子の鬣を想起させる見事な銀髪を右手で掻き揚げると、堀の深い顔の眉間にしわを寄せながら、机の上にある二つの羊皮紙に綴られた巻物を睨む。
執務室のドアがノックされ、オクセンシェルナ伯爵が国王の執務室を訪れる。
オクセンシェルナ伯爵は、軍人風の男で、身に纏うスクウェアカットされた黒地のジャケットのフロントラインは、赤の縁取りが施され、左右に二列に並列に施された金ボタンで飾っている。縁が飾られたトリコーン(三角帽子)を被っていたが、執務室に入る時に脱帽する。
「陛下。お呼びでしょうか?」
「良く来たな。まぁ、座れ」
「はい。失礼致します」
フェルディナントとオクセンシェルナは、執務室のソファーにテーブルを挟んで向かい合って座る。
フェルディナントは、机の上にあった二通の巻物を手に取ると、オクセンシェルナに見せる。
「呼んだのは、他でもない。話というのは、この二つの手紙の事だ」
オクセンシェルナは、フェルディナントから渡された二通の巻物を手に取ると、それぞれに目を通す。
手紙に目を通したオクセンシェルナが驚く。
「これは!? バレンシュテット帝国の皇帝ラインハルト陛下からの親書! それに、こちらは、ソユット帝国のシゲノブ一世陛下からの親書ではありませんか!」
「そのとおりだ。・・・ワインで良いか?」
「恐れ入ります」
フェルディナントは、二つのグラスにワインを注ぐとオクセンシェルナに渡し、自分でも注いだワインを一口飲む。
フェルディナントは尋ねる。
「・・・オクセンシェルナ伯爵。伯爵は、この二つの親書をどう見る?」
オクセンシェルナは、受け取ったワインを口にすると、フェルディナントに答える。
「ふむ。・・・悪くない見返りです。・・・これは、我が国が、両国間の和議を仲介するべきですな」
「根拠はあるのか?」
「はい。バレンシュテット帝国とは、※『北方動乱』の一件から彼の帝国と我が王国との関係は良好です。ソユット帝国は、我らが北部同盟に加盟しています。北部同盟の盟主たる我が国が、両国間の和議を仲介するのは筋の通った話です」
「なるほど」
「このまま戦火が拡大して、もし、バレンシュテット帝国がソユット帝国に宣戦布告するようなことになれば、防衛条約により、北部同盟全体がバレンシュテット帝国と戦う事になります。・・・現在、カスパニアの西方協商と世界大戦を戦う我ら北部同盟にとって、百万のバレンシュテット帝国軍までも敵に回すのは、戦略上、致命的です」
「ふむ」
「今は、バレンシュテット帝国とソユット帝国は、互いに宣戦布告しないままメフメト王国で争い、その後、互いに国境に軍勢を集めて睨み合っています。・・・もし、三十万のバレンシュテット帝国軍がこのまま南下したら、南は海で逃げ場の無い九万のソユット帝国軍が壊滅することは明らかです」
「このままソユットを見殺しにしたら、ヴェネトを抑えられる国が無くなる・・・という事か」
「おっしゃるとおりです。カスパニアの西方協商に加担するヴェネト共和国を抑えているのがソユット帝国です。ソユット軍が壊滅してヴェネトが増長したら、ヴェネトの支援を受けているカスパニアが勢い付いて、我が国を圧迫してくることでしょう」
「判った。和議の仲介を引き受けよう。・・・それで、両国に提示する和議の条件はどうする?」
フェルディナントからの問いに、オクセンシェルナは、呆れたように答える。
「条件も何も・・・。軍事的には、既に※チェックメイトの状態です。・・・バレンシュテット帝国側の要求を全面的に認めるしかないでしょう」
(※チェックメイト:チェスにおいて、相手のキングを王手詰めすること。広義に対戦相手などを行き詰らせることを指す。)
「判った。そのように親書の返事をしたためるとしよう」
フェルディナントは、それぞれの親書の返事を羊皮紙に綴る。




