第三百五十四話 巨人兵
アレク達を離宮の応接室に案内したフェリシアは、自分の部屋に戻るつもりであった。
しかし、フェリシアの足が向いたのは、ジークの寝室であった。
フェリシアは、誰もいない寝室にそっと入ると窓際に腰掛け、物憂げな表情で外の景色を眺める。
右手の指先でソフィアに掴まれた襟元を撫でながら、ソフィアとの一件を考える。
フェリシアは、生まれも、教養も、女としての容姿も、自分がソフィアに負けているつもりは無かった。
ただ、自分がソフィアと張り合って揉め事が起きると、夫であるジークの体面を潰してしまう。
だからこそ、フェリシアは、自分が一歩下がる事でソフィアとの揉め事が起こる事を避けていた。
自分がソフィアからどう思われようが、何を言われようが、平気であった。
自分がソフィアに掴み掛られた時、ジークの父である皇帝ラインハルトは、自分の娘であるかのようにソフィアを優しく諭していた。
だが、掴み掛られた自分に対しては、無言で前を通り過ぎ、目線で一瞥しただけであった。
帝都で極左テロ組織『トラキア解放戦線』によるテロ事件が起きた時、ラインハルトは剥き出しの敵意をトラキア人に向けていた。
フェリシアは、誠心誠意、夫であるジークと、その実家である帝室に尽くしていた。
少しは、自分やトラキア人に対する義父母の印象も良くなっているだろうと思っていた。
それだけに、自分の前を無言で通り過ぎて行ったラインハルトの振る舞いが悲しく、改めて寂しさと孤独を感じ、目に涙が浮かんでくる。
フェリシアは、ベッドに仰向けに倒れ込むように寝そべると、枕に顔を埋め、目を閉じる。
そのまま、深呼吸してシーツを手のひらで撫でる。
(ジーク様・・・)
フェリシアは、無意識に、そこにいるはずの無いジークの温もりを求めていた。
どれくらいの時間が経ったのか。
不意にジークの寝室のドアがノックされ、開かれる。
「失礼します」
ドアから覗き込んで来たのは、カリンであった。
「フェリシアさん、ここでしたか」
「カリンさん。どうしました?」
カリンの声にフェリシアは、ベッドから起き上がると、何事も無かったかのように取り繕う。
寝室に入って来たカリンはフェリシアに尋ねる。
「フェリシアさんこそ、ジーク様の寝室で何を?」
「ちょっと、片付けを・・・」
フェリシアは誤魔化して取り繕うが、カリンはフェリシアの目元が赤く腫れているのを見つける。
(フェリシアさん。泣いていたんだ・・・)
カリンは、敢えてフェリシアを問い詰めるような真似はせず、話し始める。
「フェリシアさん。探しましたよ? 良い知らせです」
「良い知らせ?」
「はい! ジーク様が敵との戦いに勝利され、無事に凱旋されるそうです!」
カリンからジークの勝利と無事を知らされ、フェリシアは安堵する。
「良かった・・・。ジーク様」
カリンは続ける。
「ちょっと前にジーク様から陛下に報告がありまして。・・・それで、陛下が私にフェリシアさんにも伝えるようにと・・・」
カリンの言葉にフェリシアは驚く。
「陛下が!? 私に?」
「はい! あと、皇妃様からお菓子を預かってます。二人で食べるようにと」
信じられないといった顔をするフェリシアに、カリンは語り始める。
「・・・陛下も、皇妃様も、怖い人に見えますが、とても優しい御方です。・・・御二人とも立場があるから、御自分で表立って動けないだけで。・・・私なんて、陛下に初めてお会いした時は、怖すぎて卒倒しちゃいましたから」
「・・・」
フェリシアは、言葉が出なかった。
ジークの勝利と無事。
トラキア解放戦線の一件以来、トラキア人の自分は義父母から嫌われていると思っていたが、二人とも自分を気遣い、心配してくれていた。
カリンの話を聞いてフェリシアは胸が一杯になり、言葉を発せないまま、瞳から大粒の涙が頬を伝って零れる。
カリンは尋ねる。
「フェリシアさん?」
フェリシアは、泣きながら一言だけ答える。
「ごめんなさい。嬉しくて・・・」
--メフメト王国 王宮
ソユット帝国の皇帝シゲノブ一世は、前線からの報告を受けていた。
玉座に座ったまま、地図を眺めて考える。
(結局、皇太子の軍勢の消息は追えなかった。いったい、どこに消えた?)
(そして、国境の街は、もぬけの殻だった)
(・・・情報が洩れているのか? あるいは、こちらの動きが読まれているのか?)
半時ほど考えたシゲノブ一世は口を開く。
「誰ぞある! ヴォギノと将軍十一号を呼べ!」
別室に控えていた将軍十一号が現れ、シゲノブ一世に対して跪く。
程なく重臣の一人が、ブクブクに肥ったガマガエルのような奴隷商人を連れてくる。
ヴォギノ・オギノ・ラビホル(vogino ogino Rabbihol)。
元バレンシュテット革命党の書記長にして、バレンシュテット共和国・革命政府首班の男であった。
革命戦役でラインハルトやナナイ、ジカイラ達の活躍によって革命政府が倒され、復活した帝国政府から『テロリスト』として国際指名手配を受けていたが、逃げ延びて、現在は奴隷商人として世界各地の舞台裏で列強各国とダークエルフとの取引を仲介するなど暗躍していた。
ガマガエルのような肥った醜い男ヴォギノは、シゲノブ一世に恭しく頭を下げる。
「お呼びでしょうか?」
「うむ。お前の仲介でダークエルフから買った巨人兵は、もう、この地に届いているのか?」
「はい。既に届いており、何時でも使えます」
「よし! 早速、巨人兵で部隊を作る! 将軍十一号! 巨人兵を率いて別動隊としてツァンダレイを急襲するのだ!!」
「ははっ!」
ヴォギノと将軍十一号は、シゲノブ一世の居る玉座の間から退出していった。




