第三百四十七話 聖戦と狂女ホレイシア・ホーンブロワー
ジークが率いるトラキア兵団は、メフメト王国領内の荒野を更に南に向けて馬を走らせていた。
アストリッドがジークに尋ねる。
「ジーク様。街道を通らずに、どちらに向かわれるのですか?」
ジークは、笑みを浮かべながら答える。
「街道は、牛車を使うソユット軍が進軍しているだろう? 荒野を進んで連中をやり過ごして南へ向かい、ソユットの奴らの尻を蹴り飛ばしてやろうと思ってな」
「ジーク様、楽しそうですね」
「ああ」
街道を使わずに荒野を南へ馬を進めるジークには、絶対の勝算があった。
--ソユット帝国 旧メフメト王国 王宮
-- その夜。
ソユット帝国皇帝シゲノブ一世は、降伏したメフメト王国の王宮に本陣を置いて居座り、その玉座に座りながら士官達から報告を受ける。
シゲノブ一世は、士官達からの『先遣隊壊滅』の報告に顔を強張らせる。
「むう・・・。こちらがバレンシュテット帝国を攻撃する前に、まさか皇太子が自ら軍を率いて越境攻撃してくるとは・・・。して、敵の軍勢は?」
平伏したまま、士官は答える。
「バレンシュテットの皇太子が率いる軍勢は、二万ほどとの事です」
重臣の一人は進言する。
「陛下。北のトラキアを治める彼の帝国の皇太子は『切れ者』と聞き及んでおります。ここは慎重に事を運ばれるのが、よろしいかと・・・」
シゲノブ一世は、歪んだ笑みを浮かべながら答える。
「フン! メフメト王国軍の先遣隊がやられたところで、こちらは痛くも痒くもない。こちらは十万の大軍だ。皇太子など、じっくりと炙り出してやる!!」
シゲノブ一世は、重臣達に告げる。
「誰ぞある! 将軍達を呼べ!!」
程なくソユット帝国軍の将軍達がシゲノブ一世の前に集まり、片膝を着く。
ソユット帝国軍は、総兵力十万の軍勢を第一陣から第十陣まで一万人ずつの部隊に編成し、それぞれ将軍と呼ばれる者が率いていた。
ソユット帝国軍の将軍達は指揮官であり、その役職に就いた時に今までの名前を捨て、皇帝から何人目の将軍かという番号で呼ばれていた。
そして、シゲノブ一世は、将軍二号という将軍を重用していた。
将軍二号は口を開く。
「陛下。参集致しました」
シゲノブ一世は、口を開く。
「第三陣から第十陣までの部隊は、越境してバレンシュテット帝国領トラキアの州都ツァンダレイを叩け! 朗報を期待するぞ」
将軍達は頭を下げる。
「仰せのままに」
シゲノブ一世は、数人の重臣達と将軍二号を伴って暗くなった王宮の通路を歩き、礼拝堂に向かう。
シゲノブ一世は重臣達に尋ねる。
「聖戦の準備は進んでいるのか?」
重臣の一人は答える。
「聖職者と宗教法学者が進めている最中です」
シゲノブ一世は重臣達に命じる。
「時間が掛かり過ぎだ。・・・あの女を使う」
皇帝からの言葉に重臣達は眉をひそめ、互いに顔を見合わせる。
重臣の一人は口を開く。
「恐れながら陛下。あのような狂女を使うなど・・・。あれは、我が帝国の恥部です」
「構わん。あんなのでも我が帝国の国教の聖女だ。・・・あれくらいイカれているほうが民衆を扇動するには都合が良いのだ」
やり取りの後、重臣の一人が到着した礼拝堂のドアを開ける。
重臣の一人がドアを開けた途端、礼拝堂から室内に充満した香の煙と異臭が漂ってくる。
「ぐっ・・・」
重臣達は一斉に布で口元を覆い、鼻に付く異臭に顔を歪める。
重臣の一人は呟く。
「この煙・・・、天使の接吻か!?」
別の重臣は答える。
「強い麻薬だ。・・・この煙など毒でしかない。長く吸うなよ」
照明のランタンが漂う香の煙を照らす、異臭が籠る妖しい雰囲気の礼拝堂の中をシゲノブ一世は平然と進み、将軍二号と重臣達が続く。
重臣の一人は天井を見上げる。
「あれは・・・?」
天井から伝うロープには、ボロボロの衣服を着た無数の遺体が首を括られた状態で吊り下げられていた。
別の重臣は答える。
「メフメト王国の聖職者達だ。異端審問の末に吊るされたのだろう」
多くの首吊り遺体がぶら下げられた空間をシゲノブ一世達は、進んでいく。
やがて、それはシゲノブ一世達の前に現れる。
普通の礼拝堂なら祭壇がある位置にそれはあった。
かつて存在したであろう祭壇は取り払われ、祭壇があった位置には、代わりに火を灯したロウソクと煙と異臭を放つ香炉で囲んだ禍々しい魔法陣が描かれていた。
魔法陣の中央には、全裸で大型犬の雄と交わる中年女が居た。
痩せた中年女は、両手に黒色の付け爪を付け、黄金でできた派手な髪飾りを付け、両目を見開いて嗚咽を漏らしながら犬と交わっていた。
犬はうつろな目で、夢中で性交に励んでいた。
その醜悪な痴態を目にした重臣達は、一斉に顔を歪める。
「むぅ・・・」
「犬と交わるなど・・・」
「狂ってる・・・」
シゲノブ一世は仁王立ちしながら、衆目の前でも夢中で犬と交わる中年女を見下して告げる。
「ホレイシア・ホーンブロワー。出番だ。聖戦を宣言しろ」
ホレイシア・ホーンブロワーと呼ばれた中年女は、魔法陣の上に寝そべったまま、自分の上に乗る犬の頭を撫でつつ、シゲノブ一世に答える。
「御意」
-- 翌朝。
シゲノブ一世は、メフメト王国の王宮前の広場に王都周辺に布陣していた第一陣、第二陣の軍勢を整列させて民衆を集める。
シゲノブ一世と将軍達、重臣達が並ぶ前で『聖女ホレイシア』は、軍勢と民衆に向かって両手を広げ、聖戦を宣言する。
「皇帝陛下と唯一神の敵、異教徒どもを打ち滅ぼせ! 神の戦士達に唯一神の加護を! この戦は聖戦なるぞ!!」
聖女による聖戦の宣言に民衆と軍勢から一斉に歓声が沸く。
熱狂する軍勢と民衆を見下す様に眺めつつ、シゲノブ一世は歪んだ笑みを浮かべながら呟く。
「くっくっくっ・・・。この狂気と熱気。・・・これこそ、我がソユット帝国の力の源泉なのだ」




