第三百四十四話 出陣式前夜、ジークとフェリシア
--夜。
ジークは、閨にフェリシアを呼ぶ。
ジークの第三妃のフェリシアは、黒目黒髪で目元にほくろのある美人で、トラキアの王族に生まれ、気が強くプライドが高いため、一見、ツンとした高飛車な女に見えるが、ベッドの中では従順であった。
ジークはフェリシアの性癖を見抜き、フェリシアとの閨の際には、毎回、様々な趣向を凝らしていたが、メフメト王国を占領したソユット帝国との戦いが迫っている事もあり、今夜の閨には特に凝った趣向は用意していなかった。
ジークの寝室に入ったフェリシアは、ベッドの上でくつろぐジークの傍らに腰掛ける。
ジークは、フェリシアに微笑み掛けながら抱き寄せる。
「すまないな。今夜は何の趣向も用意していない」
「いえ。このような時に・・・、私などのために、毎回趣向など御用意されなくても・・・」
「それでは寂しいだろう? ただ、抱いて寝るだけでは・・・」
フェリシアは、傍らのジークの胸に頬を刷り寄せると、顔を見上げる。
「・・・こうして、肌を合わせているだけで。愛されていることを実感できれば充分です」
フェリシアの黒い瞳がジークの顔を見詰める。
ジークは、両手でフェリシアの両頬に触れながらキスする。
「んんっ・・・」
フェリシアは、無意識にジークの首に両腕を回して抱き付く。
ジークは、傍らにフェリシアを抱いて眠りに就いた。
--翌朝。明け方。
腕枕をしていたジークが不意に動いた事で、フェリシアは目が覚める。
ジークの腕の中から、傍らで穏やかに眠る寝顔を眺め、フェリシアは考える。
(いつからだろう・・・)
(私は、この人を愛してる)
(・・・愛してる)
世界に冠たるバレンシュテット帝国。
救国の英雄である皇帝と皇妃。
二人の英雄を両親に持つジークは、繁栄を謳歌する帝国の皇太子であった。
ゴスフレズ王国の王宮で開催された舞踏会。
自分は修道院で育ち神職の巫女になって、舞踏会のような俗世の事など興味が無かった。
しかし、ゴスフレズ王国の王宮で初めて舞踏会に参加した時、ジークとソフィアが踊るのを遠くから眺めて切なくなった。
栄光の国際舞台で人々の注目と喝采を浴び、威風堂々と光輝く想い人の傍らにいるのは、自分ではない別の女であった。
トラキア降伏式でも、帝都の皇宮でも、『国を背負う』という重責から解放してくれたのも、戦争犯罪人として処刑される事からも、自分を守ってくれたのはジークであった。
どんなに恋焦がれても、想い人を独り占めする事はできない。
それが許されるのは正妃だけであり、第三妃の自分には望むべくもない。
フェリシアは、トラキアに生まれた自分の身の上が悲しかった。
ジークは、フェリシアの故郷である貧しく荒れ果てたトラキアを緑の豊かな大地にするためにも尽力してくれている。
フェリシアは、ジークに嫁いで皇太子第三妃となってから幾度と無くジークに抱かれ、肌を合わせてきた。
そして、気が付いた。
自分は、ジークを愛している。
彼は、帝国の英雄であり父である皇帝ラインハルトから『帝国を引き継ぐ者』として、妃である自分にも決して『弱さ』や『隙』を見せない。
普段は、正妃のソフィアを傍らに、『強者』『支配者』『絶対者』として振舞っている。
しかし、フェリシアは、ジークが閨で自分を抱いた後に見せる優しい微笑みこそジークの素顔なのだと気が付いた。
(誠実で繊細で健気で優しい人・・・)
(普段は皇太子という立場に縛られて『氷の仮面』を被っている・・・)
(『強者』『支配者』を装って振舞っている・・・)
突然、ジークの腕が動き、フェリシアを傍らに抱き締める。
フェリシアは驚いてジークの顔を見るが、ジークは熟睡したままであった。
意識が無くても自分を抱き寄せてくれるジークの優しさにフェリシアは微笑む。
フェリシアは心に決める。
ジークを独り占めする事はできない。
決して、妃同士で争ってはならない。
決して、ジークの体面を傷つけてはならない。
第三妃の自分は、正妃のソフィアと張り合うような事は避けねばならない。
妃同士の諍いは、ジークの体面を傷付ける。
ジークの体面は、皇太子の体面であると同時に皇帝ラインハルトの体面であり、世界唯一の超大国バレンシュテット帝国の体面であった。
アスカニアは男尊女卑の世界であり、その男社会は体面を重んじるメンツの世界であった。
もし、ジークに恥をかかせて体面を傷付け、メンツを失うような事になれば、父である皇帝ラインハルトによってジークは廃嫡されてしまうだろう。
それは、ジークから庇護を受けているフェリシア自身にとっても、致命的な事柄であった。
フェリシアは、眠っているジークの頬にそっとキスする。
(自分にできる事で、この人のために尽くそう)
そう決心すると、フェリシアはジークの腕の中で再び眠りに就いた。