第三百二十五話 小麦の穂先を愛でる巫女
トラキアの王侯達への叙爵を終えた翌日。
ジークは、妃達を連れて揚陸艇に乗り込むと、州都ツァンダレイ郊外へと向かう。
フェリシアはジークに尋ねる。
「ジーク様。どちらへ向かわれるのですか?」
ジークは笑顔で答える。
「そなたに見せたい物があってな」
「私に? 『見せたい物』ですか?」
やがてジーク達の乗る揚陸艇は、郊外に着陸する。
揚陸艇の跳ね橋が降ろされ、ジーク達四人は揚陸艇を降りる。
フェリシアは、目の前に広がっている光景に息を飲んで目を見張る。
そこには、膝ほどの丈に伸びた青々とした小麦畑が広がっていた。
小麦畑は、盛った黒土によって周囲より一段高くなっており、周囲には水はけを良くするため、細い用水路が四方に張り巡らされていた。
一段高く盛られた肥沃な黒い土。
吹き抜ける風に揺れる小麦。
用水路を流れる水のせせらぎ。
これらは、水源に乏しく荒れた大地が広がる貧しいトラキアでは、考えられない物であった。
フェリシアは小麦畑の中に入り、十歩ほど畑の※畦を歩くと、振り返ってジークに尋ねる。
(畦 :畝と畝の間の事。主に人が通る道の事を指します)
「ジーク様! これは!?」
ジークは、照れ臭そうに答える。
「フェリシアに見せたくてな。・・・試験的に作らせた模範農場だ。これが上手くいけば、順次、トラキア全土に同じような農場を作って行こうと思っている」
興奮冷めやらないフェリシアは、地面に跪くと指先で畑の黒土を手に取る。
「この肥沃な黒土をトラキアで作られたのですか!? ・・・一体、どうやって?」
ジークは、フェリシアに答える。
「トラキアの牧畜業で出る家畜の糞と落ち葉を土に混ぜたものだ」
フェリシアは、ジークの答えを聞いて目を丸くして驚く。
「家畜の糞を!?」
ジークは、トラキアで作った農場に帝国の農業技術を導入し、家畜の糞による堆肥と落ち葉からの腐葉土で農場の土壌を改善して、用水路による灌漑を行ったのであった。
フェリシアは、立ち上がって周囲の小麦畑を改めて見回しながら、風に揺れる青々とした小麦の先を指先で撫でながら小麦畑の畦を歩く。
(荒れていたトラキアの大地が緑の耕地に・・・穀物の豊かな実りが・・・)
この農場がトラキア中に作られていけば、貧しかったトラキアは豊かになる。
用水路による灌漑と農場での畑作によってトラキアの荒れた大地が緑豊かな耕地に変わり、トラキアの人々は飢えからも乾きからも救われ、豊かに平和に暮らすことができる。
『トラキアを緑の大地に変えてみせる』
ジークは、フェリシアとの約束を守って見せたのであった。
フェリシアは想いで胸が一杯になり、両手を広げて小麦の穂先を指先で撫でながら、畑の畦を歩き続ける。
カリンは、その様子を見て傍らのジークに告げる。
「ジーク様。フェリシアさん、とても嬉しそうですね」
ジークは、目を細めて答える。
「うむ。『小麦の穂先を愛でる巫女』・・・絵になるな」
アストリッドも微笑みながらジークの意を汲んで答える。
「今度、画家に描かせて離宮に飾りましょう。この農場を作られたジーク様の功績を民に示すためにも、良い機会です」
「そうだな」
ジークはアストリッドにそう答えると、小麦畑の真ん中で立ち止まったフェリシアの元に、畑の畦を歩いていく。
ジークは、後ろからフェリシアの両肩に手を置くと耳元で囁く。
「フェリシア。気に入って貰えたかな?」
フェリシアは、零れる涙を隠す様に俯くと、自分の肩に置くジークの手に自分の右手を重ねる。
「・・・はい。・・・ジーク様。私との約束を、守って下されたのですね」
ジークは、微笑みながら答える。
「そうだ。・・・だが、農場の建設は、まだ始まったばかりだ」
「はい」
「それと、もう一つ、作らねばならないものがある」
「・・・それは?」
ジークは、フェリシアの肩から腰に両手を移すと、再びフェリシアの耳元で囁く。
「私とそなたの子供だ」
ジークは、驚くフェリシアに続ける。
「私達が緑豊かにしたトラキアを引き継いでいく者が必要だ。それは、私とそなたの子供に引き継いで貰わねばなるまい?」
「はい」
ジークによるトラキア開拓事業は順調に進み、鉄道の建設と街道の整備が進められ、用水路による灌漑と農場での耕作が進められていった。




