第三百十六話 空中都市制圧、停戦議定書
--夜半。
帝国南部方面軍は大通りを制圧し、空中都市イル・ラヴァーリ 自治庁の目前に迫っていた。
アノーテ・デ・ザンテがいる首相執務室に伝令が駆け込んでくる。
「閣下! 帝国軍がここに押し寄せています!」
アノーテは尋ねる。
「ブラックサレナ団には食人鬼の部隊が居るんだぞ? 封鎖線は? バリケードはどうした?」
伝令は答える。
「帝国軍は何千、何万という不死者の大軍勢です! ブラックサレナ団は全滅! 封鎖線も、バリケードも突破されました!」
ヴェネト軍が大通りに設置した封鎖線やバリケードは、帝国南部方面軍の不死者の大軍に飲み込まれていた。
「そんな馬鹿な!?」
報告を受けたアノーテは、驚いて首相執務室からテラスに出て大通りを眺める。
「ああ・・・」
自治庁に繋がる大通りには煌々と街灯の明かりが灯っていたが、街灯が照らし出していたのは、溢れんばかりの動死体や骸骨など、十万を越える不死者の大軍勢がひしめき合う様子であった。
アノーテは慌てて首相執務室に戻ると、士官に指示を出す。
「イル・ラヴァーリから脱出する! 私の金貨を積み出せ!!」
士官は反論する。
「無理ですよ! ここから空中港までの大通りは、敵で溢れ返っています!」
アノーテは答える。
「空中港がダメなら、軌道昇降機を使って艀へ出るんだ! 艀に接舷している艦隊は無事だ! 金貨を積んで本国へ撤退するぞ!!」
もう一人の士官は答える。
「了解しました!」
次の瞬間、大きな音と共に首相執務室のドアが外れる。
ドアを外して首相執務室に現れたのは、エリシスとリリーであった。
リリーは口を開く。
「すみません。取れちゃいました」
いつもリリーから小言を言われているエリシスは、鬼の首を取ったように嬉々としてリリーに告げる。
「ダメよ、リリー! この街の物を壊しては! 陛下の意向よ!!」
外れたドアを壁に立て掛けて、リリーが謝罪する。
「・・・申し訳ありません。力を入れ過ぎました」
アノーテは。突然、現れて、目の前で寸劇のようなやり取りをする二人に告げる。
「何者だ!? 何なんだ!? お前達は?」
エリシスは腰に両手を当てると、勝ち誇ったようにアノーテ達に告げる。
「バレンシュテット帝国 帝国不死兵団団長 兼 帝国南部方面軍総司令 エリシス・クロフォード伯爵」
エリシスに続いてリリーも名乗りを上げる。
「その副官リリー・マルレー」
士官の一人がエリシスを取り押さえようと手を伸ばすと、エリシスはその士官の手首を掴む。
<麻痺接触>
エリシスが触れた士官は、たちまち全身が麻痺して壁を背に寄り掛かって座り込み、動けなくなった。
不死王のスキルである。
もう一人の士官がリリーを取り押さえようとするが、リリーは士官の腕を捕まえると、後ろ手に捩じ上げる。
リリーの怪力に驚いた士官は、目を見開いてリリーを見る。
次の瞬間、リリーの美しい瞳の瞳孔は縦に割れ、大きく開いた口からは二本の牙が伸びる。
リリーは、後ろから士官の首筋に噛み付くと、その血を吸い始めた。
アノーテは、瞬く間に二人の士官がやられた事に狼狽える。
「貴様ら、人外か!? 吸血鬼?」
エリシスは、悪びれた素振りも見せず答える。
「『人外』とは酷いわ。不死者よ」
アノーテは、精一杯の虚勢を張って告げる。
「お、お前ら、何が望みなんだ!?」
エリシスは、微笑みながら答える。
「貴女に出来る事は、これにサインして、本国に引き揚げる事だけよ」
そう告げると、エリシスは首相執務室の机に羊皮紙を広げる。
アノーテは広げられた羊皮紙に目を通す。
「停戦議定書?・・・『ヴェネト共和国軍は、イル・ラヴァーリを放棄し、即時無条件で撤退しろ』だと!?」
「貴女には、それにサインする以外、他に選択肢は無くてよ?」
エリシスはそう告げると、麻痺して動けなくなった士官の額に二本の指を当てる。
エリシスに指で触れられた士官は、生命力を吸い取られ、瞬く間に体が干からびていく。
<吸収接触>
不死王リッチーのスキルであり、接触した相手の生命力や魔力を奪うスキルである。
目の前で士官の身体が干からびていく様を見て、アノーテの顔が恐怖に歪む。
「ヒッ! ヒィイイイ!!」
エリシスはアノーテに話し掛ける。
「貴女も、こうなりたくなければ、サッサと議定書にサインする事ね」
「わ、判った・・・」
アノーテは、震える手で議定書にサインする。
教導大隊は、大通りの一角で交代で休息を取っていた。
ジカイラとヒナが休憩していると、空からエリシスとリリーが降りてくる。
「うおっ!?」
ジカイラとヒナは、突然、空から現れた二人に驚く。
「エリシス伯爵!? それにリリー?」
エリシスは、驚くジカイラとヒナに告げる。
「驚かせてごめんなさい。自治庁の首相執務室から飛んで降りて来たの」
ヒナは唖然として尋ねる。
「飛んで来たって、自治庁の首相執務室? 最上階の!? あの高さから?」
エリシスは答える。
「そうよ。・・・ジカイラ大佐。ヴェネト共和国軍の指揮官は、停戦議定書に署名したわ。ヴェネト共和国軍は、このイル・ラヴァーリから無条件で即時撤退するわ」
ジカイラは尋ねる。
「なるほど・・・。教導大隊も撤収準備に入るようですね」
リリーは答える。
「具体的に動き始めるのは明朝からでしょう。・・・みなさん、今夜はゆっくり休んで下さい」
ジカイラは、傍らのヒナに告げる。
「ヒナ。アレク達に伝えてくれ。『停戦だ。ヴェネト共和国軍は、イル・ラヴァーリから無条件で即時撤退する』と」
「判ったわ」
空中都市イル・ラヴァーリを巡るバレンシュテット帝国軍とヴェネト共和国軍の戦いは、バレンシュテット帝国軍が空中都市イル・ラヴァーリを制圧。
ヴェネト共和国軍は停戦議定書に署名し、イル・ラヴァーリからの無条件即時撤退を受け入れる事で決着した。