第二百九十五話 ヴェネト・カルテル
空中都市イル・ラヴァーリの海上部分に侵攻したヴェネト共和国軍は、軌道昇降機の近郊まで攻め込んだものの、その防御の固さに攻めあぐねていた。
空中都市イル・ラヴァーリの海上部分は、幾つもの艀を鉄鎖で繋いで陸地に見立てられているものの、ヴェネト共和国軍は艀の上に重量のある大口径の大砲を船から揚陸させることができず、持ち運びが容易な小口径の火砲と簡易投石器、弓矢などでイル・ラヴァーリの治安警察部隊と戦っていた。
ヴェネト共和国軍を率いているのは、酸化鉄のような赤い将官服に身を包んだ金髪の女、アノーテ・デ・ザンテであった。
アノーテが前線を歩きながらヴェネト共和国軍の士官達に指示を出す。
「銭だ! 銭にならないモノに要は無い! お前達! 捕らえた住民は奴隷商人に売るから、殺すんじゃないよ!」
ヴェネト共和国は、通常の国家とは異なる有力商会の集合体であり、有力商会の商会長が集まって国家の運営を行っていた。
ヴェネト共和国が『ヴェネト・カルテル』と諸外国から揶揄される由縁でもあった。
アノーテ・デ・ザンテ自身も、有力商会のひとつであるアノーテ珍品堂の商会長である。
アノーテは自軍の前線士官の肩越しに、イル・ラヴァーリの治安警察部隊が立て籠もる防御陣地を眺めると、前線士官がアノーテに報告する。
「あの防御陣地の防壁は非常に硬く、大砲でも破壊できません。砲弾も弾かれます。・・・何なんですか?」
報告を受けたアノーテは、防壁を睨んで考える。
防御陣地の防壁は、軌道昇降機の外壁と同じ物質でできているようであった。
ヴェネト共和国軍は、小口径の大砲を治安警察部隊が立て籠もる防御陣地に向けて多数撃ち込んでいたが、撃ち込んだ砲弾は防御陣地の防壁によって鈍い金属音を立てて弾かれていた。
(なんだ? あの防壁は? 魔法が掛けられているのか? ・・・いや、違うな。・・・金属ではない。・・・かと言って、陶器でもなさそうだ)
アノーテは考えを改め、士官達に指示を出す。
「判らない事は、考えなくていい! 壊せない防壁を壊す事を考えるより、陣地に肉迫して斬り込んで奪取しろ! くれぐれも、艀を燃やすなよ? 私らの足場まで無くなる!」
「了解!」
アノーテは自軍の本陣のテントへ戻ると、海上の艀で略奪して集められた戦利品を検分する。
戦利品は、銅貨、安物の家具、鉄や青銅でできた金属製品などであった。
集められた銅貨を手に取って数えながら、アノーテは顔を引きつらせて短く舌打ちする。
「チッ! シケてんなぁ・・・。銀食器、一つ無ぇ・・・。海上の艀の奴らは、貧乏人ばかりか。・・・ま、捕虜を奴隷商人に売れば、少しは銭になるか」
アノーテは、周囲に居る士官達に檄を飛ばす。
「お前達! 砲弾だって無料じゃないんだ! このままじゃ、赤字だよ! 気合い入れな!!」
-- アレク達に出撃命令が出される前日。 バレンシュテット帝国 皇宮 皇帝の私室
皇帝ラインハルトとジカイラは、皇帝の私室に居た。
ラインハルトは、空中都市イル・ラヴァーリの特使が携えてきた羊皮紙の親書に目を通しながら、窓際のテラスの席に座るジカイラに話し掛ける。
「空中都市イル・ラヴァーリがヴェネト共和国軍に攻められているらしい。帝国への従属と朝貢。それと引き換えに帝国に救援を求めてきた」
ジカイラは苦笑いしながら答える。
「おいおい。空中都市イル・ラヴァーリって、はるか南大洋に浮かぶ辺境の自治都市だろ? わざわざ、そんなところを助けるのか??」
ラインハルトはしたり顔で告げる。
「ヴェネト共和国の強欲さは、帝国まで届いている。奴らのやっている事は『中立侵犯』だ。それに・・・」
ジカイラは聞き返す。
「それに??」
ラインハルトは続ける。
「帝国の周辺で、奴隷貿易や麻薬取引を許すつもりは無い」
ラインハルトの言葉を聞いたジカイラは、諦めたように答える。
「なるほどな。・・・それで、南の、あんな辺境まで帝国軍が出向くと?」
ラインハルトは微笑みながらジカイラに告げる。
「そうだ」
ジカイラは、悪びれた素振りも見せずラインハルトに告げる。
「オレ達、教導大隊が空中都市に出向くのは構わないが、出向く先までの距離と相手との兵力差が問題だ。ユニコーン・ゼロと他の帝国軍部隊が必要だ」
ラインハルトは答える。
「確かに。南大洋へ行くには、飛行空母が必要だろう。ユニコーン・ゼロは使って貰って構わない。それに、教導大隊に帝国南部方面軍を付ける。帝国南部方面軍の輸送には、東部方面軍の飛行艦隊にやらせるつもりだ」
ジカイラは顔を引きつらせて聞き返す。
「帝国南部方面軍って、たしかエリシス伯爵が率いる不死者の軍団だよな?」
ラインハルトは、何事でも無さそうに答える。
「そうだ」
ラインハルトの答えを聞いたジカイラは、天井を見上げながら考える。
(二人とも、美女と言えば美女なんだが、あの二人が傍にいると、オレは生きた心地がしないんだよな・・・)
ジカイラは、不死王のエリシス伯爵と、その副官である真祖吸血鬼のリリーが苦手であった。