第二百八十六話 補給処にて(一)
--翌朝
アレクは、自分を小馬鹿にして見下す妹ミネルバが苦手であった。
アレクは良く眠れず、憂鬱な朝を迎える。
以前と同じように寮の食堂で朝食を済ませると、小隊の仲間達と共に登校する。
アレク達が教室に到着すると、ホラントへの遠征と新入生の話題で士官学校内は盛り上がっていた。
アレク達の周囲に他の小隊の者達が集まって来て、人だかりができる。
フェンリル小隊隊長のフレデリクは、身を乗り出してアレクに尋ねる。
「アレク! ユニコーンがダークエルフとヤリあったって話は、ホントか!?」
「あ、ああ」
戸惑いながら答えたアレクに、今度はグリフォン小隊隊長のルドルフがアレクに尋ねる。
「で、どうだった? ダークエルフは?」
「手強い相手だったよ」
アレクの答えを聞いた周囲を取り囲む他の小隊のメンバー達の間にどよめきが走り、互いに顔を見合わせながら呟き始める。
「・・・すげぇ」
「ジカイラ大佐や皇太子殿下でも、ダークエルフには苦戦したって聞くぜ?」
「どれだけ強いんだ? ダークエルフって?」
「人狩りや傭兵なんかとじゃ、ランクが違うだろ?」
「そんな手強い奴らと戦って、よく無事に戻って来たな」
アルは、疑問を口にする。
「・・・なんで、皆、知ってるんだ? オレ達がダークエルフとヤリあったって?」
アルの疑問に対して、フレデリクは無言で廊下を指差すと、アレク達と周囲の他の小隊メンバー達はフレデリクが指差す先を見る。
ほどなく廊下から大声で話している声がアレク達の教室に近づいて来る。
「中隊長たちがダークエルフと戦って、私の元まで退却してきたのだ! そこで、すかさず、この私、キャスパー・ヨーイチ三世が撤退戦の指揮を執ったのだ! この私の陣頭指揮によって、我ら教導大隊だけでなく、独立義勇軍も一人の犠牲者も出す事無く撤退したのだ! ダークエルフの集団と戦い、我が軍の『未曽有宇の大敗北』を回避せしめたのは、この私が陣頭で撤退戦の指揮を執ったからなのである!」
廊下中に響き渡る甲高い大声で貴族組の者たちに自慢げに話していたのは、キャスパー・ヨーイチ三世であった。
キャスパー三世は、大声で話しながらアレク達の教室の前を通り過ぎていく。
大声で周囲の貴族組の者たちに自慢げに話しながら、教室の前の廊下を通り過ぎていくキャスパーの姿を見たアレク達は、目が点になる。
アルは呟く。
「・・・あれじゃ、士官学校中に『ダークエルフと戦いました』と宣伝して回ってるみたいだな」
エルザは、ぼやく。
「・・・戦っていたのは、私たちなのに。・・・アイツ、何もしてないじゃん」
ナディアもエルザに続く。
「そうよね。・・・あのオカッパ頭、割礼してやろうかしら」
アレク達が話していると始業の鐘が鳴り、士官学校の授業が始まった。
士官学校では普段通りの授業が行われ、昼休みの時間になる。
アレク達は、連れ立って補給処に買い出しに行く。
士官学校の補給処は、食料品や文房具、生活雑貨などが購入できる、いわゆる『購買』のようになっていた。
道中、アレク達とすれ違う新入生たちが、遠巻きにチラチラとアレク達を見て、噂話をしている様子が目に付く。
「アレク先輩は、上級騎士なんだって!」
「それ上級職じゃない!? 凄い!」
「アレク先輩たちは、皇帝陛下から直々に帝国騎士十字章を授与されたらしい」
「食人鬼を倒して、ダークエルフとも戦ったんだろ?」
「凄い・・・」
「すげぇな・・・」
アルは、歩きながらニヤけて、傍らのアレクに話し掛ける。
「『先輩』か。・・・悪くねぇな」
「ああ・・・」
新入生から注がれる『憧れの目線』と、女の子達からの『黄色い声』にアレクの憂鬱な気分もどこかへ消し飛んでしまう。
アレク達は、アレクとルイーゼ、アルとナタリー、ナディアとエルザ、トゥルムとドミトリーの二人づつに分かれて補給処で買い物を始める。
アレクが陳列棚から食事の後のおやつを物色していると、ルイーゼはアレクにそっと耳打ちする。
「・・・アレク。ミネルバ様よ」
「え!?」
アレクがルイーゼが鼻先で示す先を見ると、帝国軍の軍服を模した士官学校の制服を着たミネルバが陳列棚から値引き札の付いたパンを手にしているところであった。
値引き札の付いたパンを手にしたミネルバに貴族組の新入生の男女が声を掛ける。
女の子はミネルバに話し掛ける。
「ちょっと! 貴女! そのパン、私が目を付けていたのよ!」
「え?」
驚いて振り向くミネルバに、声を掛けた女の子の連れの男が迫る。
「まったく、平民のクセに・・・。ホラ、よこせ!」
男が手を伸ばしてミネルバが手にしているパンを取り上げようとした時、平民組の新入生の男が三人の間に割って入る。
黒目黒髪の正義感溢れる熱血漢のような平民組の新入生の男は、貴族組の二人に告げる。
「よせ! 彼女が先に手に取ったんだろ!」
男同士がひと呼吸の間、睨み合うと、割って入った平民組の男は、ミネルバを連れ貴族組の男女に背を向けて、その場から離れようとする。
「気にするな! ・・・行こう!」
背中を向けて立ち去ろうとする男とミネルバに、貴族組の男は手を伸ばして引き留めようとする。
「おい! ま・・・」
貴族組の男がそこまで口にした、次の瞬間、ミネルバは振り向いて、開脚百八十度の見事な踵落としを放つ。
「ぶあっ!?」
ミネルバの右足のかかとが貴族組の男の顔面に炸裂し、貴族組の男は白目を剥いてその場に崩れ落ちる。
貴族組の女の子は、連れの男がミネルバの一撃で失神した事に驚く。
「・・・えっ!?」
ミネルバは身体を捻ると、貴族組の女の子に向けて、右足を軸に開脚百八十度の左の後ろ回し蹴りを放つ。
「ふぁっ!?」
ミネルバの左足のかかとが貴族組の女の子の側頭部を捕らえ、女の子も失神して卒倒する。
ミネルバは、そのアイスブルーの瞳で床の上に横たわる貴族組の二人を無言で冷たく見下ろす。
ミネルバが振り向いていると、間に入って助けた平民組の男も気が付いて振り向き、ミネルバに声を掛ける。
「・・・君、どうしたんだ? ・・・え!?」
平民組の男は、床の上に横たわる貴族組の二人を見て驚き、ミネルバに尋ねる。
「あの二人、どうしたんだ?」
ミネルバは右手を軽く握って口元に当て、愛嬌たっぷりの笑顔で平民組の男に答える。
「二人とも、ころんじゃったみたいです」




