第二百八十五話 帝国第三皇女
--アレク達が士官学校に帰還する数日前。
「遅れちゃう! 遅れちゃう!!」
そう呟きながら女の子は、皇宮の通路を全力疾走する。
女の子は、母親譲りの流れるような美しい金髪を綺麗にまとめ上げ、薄く化粧をして大人びて見えるものの、不意に見せる表情は、無邪気で純情な年頃の乙女そのものであった。
成長に伴い女性らしい曲線の出てきた身体は、鍛えているため程よく引き締まっており、その肌は雪のように白く、容姿端麗という言葉の通りの良いスタイルをしていた。
凛とした意思の強そうな眉は、意志の強さを良く表しているものの、父親譲りの大きく美しいアイスブルーの瞳は、明るく快活な女の子に『冷たい』『怖い』という印象を持たせていた。
女の子が駆け抜けた先は皇宮併設の飛行場の格納庫であった。
走って来た女の子は、乱れた呼吸を整えながら格納庫の中を見回す。
「あった! あれ!!」
女の子が見つけたのは、真紅の単座単翼の前翼型飛空艇であった。
真紅の機体の機首には、銀色で大きくバレンシュテット帝国帝室の紋章が描かれている。
女の子は飛空艇に駆け寄ると、かかとの高い靴を脱いで飛空艇の操縦席に投げ込み、機体をよじ登って操縦席に座る。
格納庫に叫び声が響き渡る。
「ひーめーさーまぁー!!」
女の子が声のした方を振り向くと、白髪頭の老執事が格納庫まで必死の形相で彼女を追い掛けて走って来ていた。
「いけない! パーシヴァルだ! 見つかった!!」
女の子はそう呟くと飛空艇の涙滴型の風防を閉じる。
「捕まると、説教が長いのよね」
白髪頭の老執事パーシヴァルは、女の子の乗る飛空艇の操縦席の風防に取り付くと、必死の形相で風防を手で叩きながら中の女の子に告げる。
「姫様! ぬぁりません! なりませんぞぉー! この機体は・・・!」
「爺、大丈夫よ! この機体なら間に合うわ!」
女の子はパーシヴァルにそう答えると、悪戯っぽく片目を瞑って舌を出して見せる。
「姫様! そういう事を言ってるのではありません!」
女の子は、飛空艇の操縦席で両目を閉じると深呼吸する。
(大丈夫。できるわ!)
女の子は、両目を見開くと掛け声を口にする。
「発動機始動!」
女の子は、掛け声と共に魔導発動機の起動ボタンを押す。
魔導発動機の音が響く。
「飛行前点検開始!!」
女の子は掛け声の後、スイッチを操作して機能を確認する。
「発動機、航法計器、浮遊水晶、降着装置、昇降舵、全て異常無し!」
女の子は、浮遊水晶に魔力を加えるバルブを開く。
「皇帝の鷹、離陸!」
女の子の声の後、大きな団扇を扇いだような音と共に機体が浮かび上がる。
「おわっ、とぉ!?」
機体が浮かび上がった衝撃で、パーシヴァルは取り付いていた機体から格納庫の床の上に転がり落ちる。
「発進!」
女の子は掛け声の後、クラッチを繋ぎスロットルを開ける。
飛空艇はプロペラの回転数が上がり、風切り音を立てながら滑走路を走り出すと、徐々に上昇し始めた。
パーシヴァルは、必死に滑走路まで女の子の乗る飛空艇をよろけながら追い掛けたが、離陸して飛び上がる飛空艇を呆然と見上げる事しかできなかった。
「姫様・・・、これは一大事だ・・・」
--皇宮近くにある帝都防空監視塔
早朝の打ち合わせを終えた二人の軍人は、夜勤者と交代するため監視塔を登っていく。
二人が監視塔を登り、夜勤者と交代のため仕事の引き継ぎをしていると、真紅の飛空艇が低空飛行で防空監視塔の鼻先を掠めて飛んで行く。
「なんだぁ!?」
「どこの飛空艇だ!?」
突然現れ、防空監視塔を掠めるように低空飛行で飛来した飛空艇に、軍人達は大慌てで飛行予定表を確認する。
「この時間に帝都上空の飛行予定はありません!」
「当り前だ! 帝都上空は原則、飛行禁止空域だぞ!」
軍人の一人は短く舌打ちしながら呟く。
「チッ! 帝都上空、それも皇宮近くまで未確認機の侵入を許すとは!!」
正しくは『帝都上空、皇宮近くまで侵入した飛空艇』ではなく、『皇宮併設の飛行場から離陸してきた飛空艇』であった。
指揮官らしき軍人は、他の軍人者達に指示を出す。
「皇宮警護団、及び中央軍帝都防空群へ至急連絡! 緊急発進! 迎撃機を上げろ!!」
「了解!!」
女の子の乗る飛空艇は、帝都ハーヴェルベルクの市街地上空を低空飛行していた。
程なく離陸してきた帝国中央軍帝都防空群に所属する二機の迎撃機が女の子の飛空艇を左右に挟むように現れる。
迎撃機のナビゲーターは、手旗信号で女の子に指示を伝える。
女の子は、手旗信号を見て呟く。
「『直ちに着陸せよ』!? ・・・それじゃ、遅刻しちゃうじゃない!」
女の子は、右手で赤いレバーの位置を確かめる。
(確か、このあたりに・・・。あった!!)
女の子は、手旗信号を送って来た迎撃機のナビゲーターに向かって、片目を瞑りながら左手で投げキッスをすると、右手で赤いレバーを前に倒す。
すると女の子の乗る飛空艇は、甲高い機械音と共に変速機が切り替わり、段違いに速度を上げて加速していく。
女の子の乗る飛空艇はどんどん加速していき、二機の迎撃機は引き離されていく。
迎撃機のパイロットは叫ぶ。
「未確認機、加速します!」
上官らしき迎撃機のナビゲーターは答える。
「追え!」
「・・・追いつけません!」
「馬鹿な!? この迎撃機は帝国で一番、速いんだぞ?」
「・・・引き離されます!」
「・・・信じられん。・・・何なんだ? あの機体は・・・?」
「あの真紅の機体。それに、あの紋章。・・・帝室の紋章では?」
「まさか・・・」
女の子の乗る飛空艇に完全に引き離され、二機の迎撃機のパイロットとナビゲーターは、呆然と空と計器を見詰めていた。
赤いレバーを倒した女の子の乗る飛空艇は、甲高い機械音と共に変速機が切り替わり、段違いに速度を上げて加速していく。
激しい加速度と振動のため、女の子の身体は操縦席にめり込むが、女の子は計器から目を離さずに、速度の数字を読み上げていく。
「・・・五〇〇、・・・五五〇、・・・六〇〇、・・・六五〇、・・・七〇〇、・・・七五〇!!」
そこまで読み上げると、女の子は加速度で操縦席に食い込んだ自分の身体を力付くで起こし、座る姿勢を立て直す。
「ふぅ・・・、凄い加速ね!」
女の子は微笑みながら、父親の口調を真似て呟く。
「『我に追い付く敵機無し』っと! ・・・着いたわ!」
女の子は飛空艇を旋回させると、帝都郊外にある学校の校庭に飛空艇を着陸させる。
--帝都ハーヴェルベルク郊外 フロレンシュタウフ女学院
帝都郊外に位置するフロレンシュタウフ女学院は、バレンシュテット帝国で最も厳格で伝統と格式のある『お嬢様学校』であった。
帝国各地から上流貴族出身の優秀な子女たちが集まり、帝国の歴史や伝統、淑女としてのマナーや皇宮での作法などの教育に重点が置かれている事で知られていた。
その女学院の校庭に突然、飛空艇が着陸してきたため、女学院は騒然となる。
職員室の窓から校庭を見ながら女性教師達が口々に叫ぶ。
「何事です!?」
「何ですか! あれは!?」
「真紅の飛空艇?」
「あの紋章は! まさか! ・・・皇帝陛下?」
校庭に飛空艇を着陸させた女の子は、懐中時計で時間を確認する。
「良かった! 間に合った!」
女の子は、飛空艇の涙滴型風防を開けて靴を手に操縦席から飛び降りると、靴を履いて小走りで女学院の入口を目指す。
女の子が女学院の入口にたどり着くと、そこには初老の女性・・・女学院の院長が仁王立ちしていた。
院長の姿を見た女の子は、たじろぐ。
「ゲゲッ!? 院長先生!?」
院長は、激怒のあまり額に血管を浮かび上がらせ、眉尻を痙攣させてヒクつかせながら女の子に告げる。
それは、精一杯、女の子を怒鳴りつけたい感情を押し殺して、平静を装っているようであった。
「おはようございます。ミネルバ様。・・・お話がございます」
女の子は、ミネルバ・ヘーゲル・フォン・バレンシュテット。
皇帝ラインハルトと皇妃ナナイの長女であり、帝国第三皇女にしてジークとアレクの妹であった。