第二百十四話 蜥蜴人と獣耳娘と乳飲み子
--少し時間を戻した ブナレス近郊の前線上空
アレク達は飛空艇に乗り込むと、ユニコーン・ゼロの飛行甲板から離陸する。
降りしきる雨の中、上空で旋回しながら一度、編隊を組んだ後、ユニコーン・ゼロからブナレスの前線に向けて扇形に広がりながら偵察担当地域に向けて飛行する。
トゥルムとエルザの乗る機体ユニコーン四号機もアレク達同様、半時ほどで偵察担当地域に着き、高度を三十メートルまで下げて偵察を始める。
二時間ほど二人は飛空艇から地上を偵察するが、カスパニア軍の姿は無く、雨足はどんどん強くなり、やがて嵐になる。
トゥルムは口を開く。
「エルザ! このまま飛ぶと危ない! 着陸して地上で嵐をやり過ごそう!」
「了解!」
トゥルムとエルザは、飛空艇を操縦しながら嵐をやり過ごせる場所を探す。
やがて、二人は木が鬱蒼と生い茂った小高い山の中に狩猟小屋を見つけると、その入り口の前に飛空艇を着陸させる。
狩猟小屋は、山の中腹に広がる森の一角にあり、建物の周囲は開けて草むらになっていた。
平屋の一軒家であり、雨風を凌ぐことが出来る上、数日宿泊できるように暖炉までついていた。
トゥルムは口を開く。
「良い建物があった。ここで嵐をやり過ごそう」
エルザは答える。
「判ったわ」
二人が、飛空艇から非常用備品箱を降ろすと、トゥルムが建物の前に人が倒れているのを見つける。
トゥルムは口を開く。
「人だ!」
二人は非常用備品箱を置き、倒れていた人を介抱する。
倒れていた人は、乳飲み子を抱いた女性であった。
トゥルムは、女性を抱き起こして容態を見る。
「・・・既に事切れている。・・・見ろ。太腿に矢を受けている。失血死だ」
エルザは、女性が抱き抱えていた乳飲み子を介抱する。
「赤ちゃんは生きてるわ!」
トゥルムはエルザに話し掛ける。
「この天気だ。とにかく建物の中に入ろう」
「そうね」
エルザは狩猟小屋の中に乳飲み子を連れて行き、二人で非常用備品箱を狩猟小屋の中に運び込むと、狩猟小屋の中を確認する。
トゥルムは口を開く。
「良かった。暖炉や井戸は使えそうだ」
エルザはトゥルムに尋ねる。
「なんで死んでいた女の人は赤ちゃんを連れて、こんな山の中に?」
トゥルムは答える。
「きっと、カスパニア軍に追われていたのだろう。・・・矢傷を負って、ここまで逃げて来たのに、力尽きたようだ」
エルザは、乳飲み子を抱いたまま悲しげな顔で答える。
「そうなんだ・・・」
トゥルムは窓から外を眺めながらエルザに告げる。
「私は、死んでいた女性の墓を作って埋めて来る。・・・弔いは必要だろう」
エルザは尋ねる。
「まだ雨が降っているわよ?」
トゥルムは笑顔で答える。
「私は、雨に濡れたぐらい何ともない。元々、我ら蜥蜴人は湖や沼といった水辺で生活しているからな」
そう答えると、トゥルムは狩猟小屋から外に出て行った。
トゥルムが死んでいた女性の墓を作って狩猟小屋に戻って来ると、泣き叫ぶ乳飲み子を抱えてエルザがオロオロしていた。
トゥルムはエルザに尋ねる。
「どうした?」
エルザは困り顔で答える。
「この子、泣き止まないのよ!」
トゥルムは、しげしげとエルザが抱き抱える乳飲み子を覗き込む。
「ふむ。・・・産着が雨で濡れているからではないか? 我々の飛行服も濡れているし、冷えてきている。着替えた方が良い」
「そっか! 確かに雨で、びしょ濡れよね! ・・・ちょっと待っててね」
外の気温は、既に一桁台まで下がっていた。
トゥルムとエルザは、雨に濡れた飛行服を脱いで狩猟小屋の中に干すと、非常用備品箱から毛布を取り出す。
トゥルムは腰布一枚になって毛布を羽織り、エルザは全裸で毛布を羽織る。
トゥルムは、暖炉に火を起こして狩猟小屋の中を温める。
エルザは、自分の荷物からバスタオルを取り出すと、雨で濡れている乳飲み子の産着を脱がしてバスタオルでくるむ。
「これでどうかな・・・?」
乳飲み子は一瞬、泣き止んだが、再び泣き出した。
エルザは尋ねる。
「また泣き出した!」
トゥルムは、再び、しげしげとエルザが抱き抱える乳飲み子を覗き込む。
「ふむ。・・・おしめが汚れているからではないか?」
「ちょっと待ってね」
エルザは、トゥルムに言われた事を確かめるように、乳飲み子のおしめを調べる。
トゥルムの言う通り、乳飲み子のおしめは、排泄物で汚れていた。
「ほんとだ・・・。これじゃ、気持ち悪いわよね」
エルザは、非常用備品箱から調理用のコンロとタオル、救急箱から三角巾を取り出すと、お湯を沸かしてタオルを浸して絞り、乳飲み子のおしめを交換し始める。
お湯で温めたタオルで乳飲み子のお尻を拭きながら、エルザは口を開く。
「この子、男の子ね」
トゥルムも再び、乳飲み子を覗き込む。
「ふむ。男の子か」
エルザは、乳飲み子のお尻を拭き終えると、三角巾をおしめ代わりに着ける。
「これでどうかな・・・?」
乳飲み子は一瞬、泣き止んだが、再び泣き出した。
エルザは尋ねる。
「えー! また泣き出した!」
トゥルムは、三度、しげしげとエルザが抱き抱える乳飲み子を覗き込む。
「ふむ。・・・ひょっとして、お腹が空いているのではないか?」
トゥルムの言葉にエルザは驚き、狼狽える。
「ええっ!? ミルクなんて、持って来てないよ! ・・・どうしよう」
トゥルムは、何事でもないようにエルザに告げる。
「君の母乳を与えれば良い」
トゥルムの言葉に、エルザは驚くと、涙目で必死に訴える。
「私、未婚なのよ!? 妊娠も、出産も、した事無いのよ!? いくら私の胸が大きくても、母乳なんて、出るワケ無いじゃない!」
トゥルムは、エルザに謝罪する。
「ふむ? そうなのか。・・・それは、すまなかった。『胎生』(※哺乳類のこと)の者達の事は、そこまで詳しくないのでな」
エルザは、ハッとした顔をすると、口を開く。
「ちょっと待っててね」
エルザは、非常用備品箱からパンを取り出すと、ナイフで細かく刻んで柄ですり潰し、カップに入れて人肌くらいに冷ましたお湯を注ぐ。
エルザは、出来上がったものを味見する。
「うーん。イマイチ・・・」
エルザは、自分の荷物からリンゴを取り出すと、パンと同じように細かく刻んですり潰し、カップに入れて混ぜる。
再びエルザは、出来上がったものを味見する。
「少しは口当たりが良くなったかな・・・」
エルザは作った代用ミルクをスプーンに取り、乳飲み子に飲ませる。
余程、お腹が空いていたのか、乳飲み子はエルザは作った代用ミルクを少しづつ飲み始める。
「良かった! 飲んでくれた!」
エルザの笑顔にトゥルムも笑顔で答える。
「うむ。良かった」
お腹が一杯になり満足した乳飲み子は、エルザの腕の中でスヤスヤと眠りに就く。
エルザは、乳飲み子を胸に抱き抱えて背中から毛布を羽織り、暖炉の炎に当たる。
「やっと、泣き止んでくれたわ」
トゥルムは木箱の上に座ると、エルザと乳飲み子の微笑ましい姿を眺める。
トゥルムは、おもむろに口を開く。
「エルザ。良く似合っている。気を悪くしないで欲しいが、剣を振るっている姿より、今の姿の方が良く似合っている。・・・見直したぞ。君がこんなに甲斐甲斐しく赤子の世話をするとは思わなかった。・・・君は結婚したら、きっと良い妻になるだろう」
トゥルムの言葉を聞いて、エルザは照れ臭そうに答える。
「そ、そう? ありがとう。それじゃ、アレクにそう言っておいて!」
トゥルムは笑顔で答える。
「判った。隊長に、そう報告する」
トゥルムが窓から外の景色を眺めると、薄暗くなった空から雨が降り続いていた。