4.仲直りは自分から
真正面から体当たりしようとするモルモを見て、モノ探しの怪物は大きな口を開けました。このままでは、食べられてしまう。
けれど、止める術なんて、ヘカッテにはありませんでした。
――どうしよう!
その時でした。
鳥かごの中にいたメンテが歌を奏で始めたのです。
竪琴のような音で奏でられるその歌は、ヘカッテが赤ちゃんの時から聞かされてきた子守歌です。歌が流れ始めると、不思議なことに怪物も、モルモも、そしてカロンも、ぴたりと動きを止めました。
そう、これは時間の魔法。メンテが歌うことで発動する、特別な力でした。時が止まると言っても、本当に止まるわけではありません。止まるのはこの歌を聞いている者の肉体だけ。思考は止まらず、魔法が発動している間は少しずつ冷静になれるのです。
ひとしきり歌い終えると、メンテはヘカッテに語りかけました。竪琴のようなその音に耳を傾け、ヘカッテは心のなかでたずね返しました。
――仲直りは自分から?
その直後、メンテの魔法が解けました。
怪物の丸のみ攻撃と、モルモの体当たりは互いに外れ、モルモはそのまま高く飛んで怪物の手の届かない場所に避難しました。
両者ともにらみ合ったまま動きません。
カロンはそれを見上げ、モルモに向かって叫びました。
「おおい、戻ってこーい!」
けれど、モルモは首を振りました。
ヘカッテは気づきました。その表情に浮かんでいたのは敵意だけではありません。さっきまでの怪物を見つめていた眼差しとは明らかに違って、なにかを確認しているようでした。
直後、ヘカッテの目にもそれは映りました。怪物の体のなかで、何かが星のようにきらりと輝いたのです。
それは、ラミィのりん粉の色によく似ていました。
――まさか!
ヘカッテが嫌な予感に震えていると、モルモが少しだけ怪物に近づきました。怪物は届かないモルモにイライラした様子で両手をあげていました。
その恐ろしい形相にも関わらず、モルモはごくりと息をのみながら、声をかけました。
「ラミィ?」
そして、もっと近づくと、今度はこう言ったのです。
「ねえ、あなた、ラミィよね?」
その言葉にヘカッテは驚きました。だって、どう見たって怪物はラミィになんて見えません。だから、きっとラミィは丸のみにされているに違いないと、ヘカッテは予想していました。
けれど、モルモはうんとその表情をうかがうと、確信をもったようにうなずいてから再び声をかけたのです。
「ラミィ。ラミィね。姿が変わっても、あたしには分かる。その目の輝き、間違いないわ」
怪物はそんなモルモを見上げ、おそろしい雄叫びをあげました。迷宮でたびたび聞こえてくる声です。さまざまな怪物が誰かを襲いたくてたまらない時にあげるものと同じ声でした。
あんなの、ラミィなわけがない。
ヘカッテは思わずモルモに声をかけようとしました。ですが、カロンはそんなヘカッテを止めました。そして、鳥かごの中のメンテもまた、ヘカッテに竪琴の音でささやきました。
ヘカッテはその音に耳を傾け、そして今度は首を傾げました。
「見守るの? どうして?」
すると、今度はカロンがヘカッテに言いました。
「メンテはチャンスをうかがっているのかもね。あれが本当にラミィならば、姿をもとに戻してあげなくては。その力が君とメンテにはあるはずだ」
「ねえ、カロン。あれは本当にラミィなの?」
どうしても信じられないヘカッテに、カロンは頷きました。
「モノ探しの怪物。その正体については色んな説があるらしい。その一つが探し物を続けて迷宮で迷い続けた人のなれのはて、と、図書館の本には書いてあった。それが正しいのならば、可能性はある」
「どうやって戻せばいいのかも本に書いてあった?」
期待を込めてヘカッテはたずねました。けれど、カロンは静かに首を横に振りました。ヘカッテはがっかりしましたが、カロンは付け加えるように言いました。
「たぶんだけれど、そういう時のためのご両親の言葉ではないのかな」
カロンの言葉にうなずくように、メンテもまた音を鳴らしました。
――仲直りは自分から。
その言葉を思い返し、ヘカッテは息をのみました。
今も、モルモは怪物に呼びかけていました。怪物の方はまだモルモを敵とみなしているようです。
けれど、モルモはそれでも諦めていません。すっかりその怪物をラミィだと思い、どうにか声を届けようと必死に飛び回り、語りかけていました。
「ラミィ! あたしだよ、分からないの?」
そんなモルモに向かって、ヘカッテはとっさに胸のなかに抱えていたあの言葉を叫びました。
「モルモ! 『仲直りは自分から』だよ!」
その言葉を聞いて、モルモはハッと我に返りました。
怪物の一撃をさけて、高く飛びあがると、じっとその姿を見下ろしながら語りかけたのです。
「ラミィ……ごめんなさい!」
その声はよく響きました。
「あたし、自分が叱られることばっかり考えてあんなひどい事を言っちゃったの。でも、いけない事だったって反省している。誰にでも失敗はあるし、ラミィひとりのせいじゃないわ。一緒に探すべきだったし、見つからなかったら一緒に頭を下げるべきだった。いまはそう思っている。だから、ごめんなさい!」
それは、感情がそのまま言葉になって口から流れ出てきたかのようでした。言葉のシャワーはたしかに怪物に降り注ぎ、怪物だけでなく少し離れた場所にいたヘカッテたちにまで降り注ぎました。
すると、鳥かごの中にいたメンテが音楽を奏でました。先ほどの子守歌とよく似たメロディですが、少しだけ違います。その歌を耳にして、ヘカッテは感じました。
メンテの歌が不思議な力を与えてくれている。
それは、たびたび、メンテがヘカッテに与えてくれる奇跡の力でもありました。そしてこの度の奇跡が起こすだろうことは何なのか。ヘカッテはもう気づいていました。
ヘカッテは心を落ち着かせてモルモと怪物の姿を見つめ、全神経を集中させながらそっと呪文を唱えました。
「暗き迷宮に希望の光を」
すると、先ほどまでとは比べ物にならないほどの光がヘカッテの指から放たれました。目をつぶすのではないか不安になるくらい強烈な光は周囲を覆い、ヘカッテたちだけでなく、モルモと怪物の姿も飲み込んでいきました。
怪物が驚いて叫びました。けれど、逃げる間もなく光はその姿を飲み込んでいき、やがて何も見えなくなりました。
再びヘカッテたちの視界が戻った時には、モルモは地面に落ちていました。そして、怪物のいたところには――。
「ラミィ……!」
ヘカッテはすぐに二人のもとへと駆け寄りました。モルモもラミィも倒れていましたが、どうやら気絶しているだけのようです。
ホッとしたその時、上空から何かが落ちてきました。きっと怪物だったラミィの身体のどこかに引っかかっていたのでしょう。落ちてきたそれを拾いあげて見てみると、それは手紙のようでした。
カロンが鳥かごを抱えて近づいてきました。一緒に手紙を覗き込み、呟きます。
「どうやら配達物のようだな」
と、そこへモルモとラミィが同時に目を覚ましました。
「郵便物は……」
起きるなりラミィはそう言って、ヘカッテの方を見つめました。
「よかった。無事だった」
と、そこへモルモがラミィに抱き着きました。
「もう、心配したのよ! でもよかった。ちゃんと元に戻って――」
「元に?」
ラミィは不思議そうに首をかしげましたが、すぐに思い出したようではっと息をのみました。そして、モルモやヘカッテたちを見つめて気まずそうな表情を浮かべたのです。
「ごめんなさい……あたし、皆をおそおうとしたのね。ありがとう、止めてくれて。本当にありがとう」
「何があったんだい?」
カロンの問いに、ラミィは答えました。
「郵便物を探していたの。探しているうちに何だか視野が狭くなっていっちゃって、道に迷ううちに思考もどんどん狭まっていっちゃって、イライラしながらやっと見つけたと思ったら、何が何だか分からなくなってしまったの。そのあとは自分でもよく分からない。おなかがすいて、モルモたちのこともおいしそうって思っちゃったの」
ヘカッテはカロンと顔を見合わせ、うなずきました。
カロンが図書館で読んだ本の通りでした。探し物をしているうちにモノ探しの怪物になってしまったのでしょう。
正体が分からないままだったら、今もラミィは怪物として迷宮でさまよっていたかもしれません。そう思うとヘカッテは背筋がぞくりとしました。
「モルモの言葉、ちゃんと聞こえたわ。こちらこそ、ごめんなさい。心配かけちゃったわね」
あやまるラミィをぎゅっと抱き締めながら、モルモは言いました。
「いいの。ラミィは悪くない。誰にだって失敗はあるわ。それにちゃんと見つけてきたのだし。とにかくよかった。ヘカッテ、みんなも本当にありがとう……ありがとう!」
そして、モルモは泣きじゃくりました。あまりに顔をぐしゃぐしゃにして泣くものですから、ラミィは笑いました。
「モルモったら。大人なのにそんなに泣いちゃって」
そう言いつつも、ラミィもまた笑いながら泣いていました。
「大人でも泣く時は泣くの。そういうものなの」
モルモはそう言って、ラミィにぎゅっと抱きつきました。
そんな二人の様子を見て、ヘカッテは満足感にひたっていました。そして、遠く離れた故郷に暮らす両親に感謝をしました。あの手紙があったからこそ、今があるのだと。ヘカッテの心を読んだようにメンテが竪琴の音を奏でました。それを聞いて、ヘカッテはそっと屈んで鳥かごを覗き込むと、小さく告げました。
「ありがとうね、メンテ」
と、そこへカロンが咳払いをしたので、ヘカッテは笑みを漏らしながら告げました。
「カロンもありがとう。また図書館に行こうね」
すると、カロンは満足そうに口元をゆるめました。
こうして、ヘカッテたちは無事に迷宮から帰ることができました。
探していた手紙は無事に配達できて、モルモとラミィが怒られることもなく、手紙を待っていた人たちも困ることもなく、すべてが無事に終わったので、ヘカッテたちも満足感をえることができました。
そして、翌日にはモルモとラミィがお礼に妖精の粉と呼ばれるとても貴重な薬の材料を持ってきてくれました。きっと魔女の修行もはかどることでしょう。
ヘカッテはすっかりはりきって、まずは両親に手紙のお返事を書きました。
鳥かごの中で仄かに光るメンテにともしび役をしてもらい、その隣にカロンを座らせて、せっせと机に向かいます。
お返事を書き終わって封をすると、ヘカッテはカロンとメンテに向かっていいました。
「明日はこれを迷宮のポストに投かんしないとね。その後で、また図書館にいこうか」
「いいね。またヘカッテの役に立つようなことが知れるかもしれない」
カロンの言葉に同意するようにメンテも音を鳴らしました。
そんなふたりの姿に微笑みを浮かべてから、ヘカッテはふうとため息をつきつつ言いました。
「大人でもケンカして仲直りすることがあるんだね」
その言葉にカロンは深くうなずきました。
「うん。大人だってそういう時もあるのさ」
「あの言葉、てっきり私へのものかと思っちゃった。でも、よかった。あの言葉のおかげでモルモとラミィが助かったのだもの」
そして、ヘカッテはふと首をかしげました。
「どうして、迷宮で迷ったひとは怪物になっちゃうんだろうね」
その問いにカロンは綿のつまった尻尾を揺らして机を数回たたき、そして答えました。
「どうしてだろうね。そればかりは図書館の本にも書いてなかったね」
「立派な魔女になったら、その理由も分かるのかな?」
首をかしげるヘカッテを勇気づけるようにメンテは音を鳴らしました。カロンもまた尻尾をゆらゆらと揺らしながら、大きな作り物の目でヘカッテを見つめます。
「分かろうとも、分からずとも、ヘカッテはきっと立派な魔女になれる。そして、ラミィのように怪物になった人々を救えるようになるだろう」
「なれるかな。今はまだお父さんやお母さんの助言がないと何も分からないのだけれど」
「なれるとも。あせらずともそのうちに、自分で言葉を見つけられる日が来るさ。今はそのための準備期間。それが修行というやつなのだよ」
メンテもまたそれを肯定するように、音を鳴らしました。
そして、メンテは歌い出しました。あの子守唄を。といっても特別な力はなく、ただ単にヘカッテを元気づけるためだけに歌っているようです。
その優しさに温かなものを感じながら、ヘカッテは二人にうなずきました。
「うん、そうだね。私、がんばる」
そして、元気よく立ち上がると、大切なお返事の手紙をいつものリュックにしまいました。
さて、気になるそのお返事の内容ですが、それはヘカッテたちだけの秘密です。