第57話
蒼穹のスライムとしての能力はこの四年間で飛躍的に向上した。現在、八十八種類の共生体魔法を自在に操り、しかも能力や持続時間も向上させるまでに至った。
それは自身の人体実験すら厭わなかった蒼穹自身の努力と鍛錬の成果でもあった。
結果、魔法を使う領域ではダイラタントにおいて彼の右に出る物はいない。
それどころか単体で蒼穹を超える戦闘力を持ち合わせている生物はヴィーマを含めてこの異世界には存在しえなかった。
それと同時に人間としての代償も受けた。
肉体の一部が完全に青いスライムに置き換わってしまったのだ。
それは僅かに残っていたナベカムリの肉体の一部が体内で増殖した結果だった。
この四年の間に左腕と両脚、そして内臓の一部までもがスライム化してしまっていた。
そして置き換えは今もゆっくりと進行している。
恐らく、蒼穹の体はあと十年以内に完全にスライム化するはずだった。
もしかすれば人格までもがナベカムリと入れ替わるかもしれない。
しかし蒼穹はそれを恐れてはいなかった。
もし人を捨てスライムとして生きて行かなければならなくなっても、もし自分が自分で無くなったとしても、運命に逆らわず精一杯ダイラタントの為に尽くそうと、強く心に決めていたのだ。
それは大賢者の名に恥じない崇高な覚悟だった。
しかしそんな大賢者の力を持ってしても今は戦いで劣勢を強いられていた。
「ナベカムリ、槍の数はあと幾つだ?」
「九十九基だ!」
「九十九って、こんなんで勝てるのか?……」
蒼穹は急に不安になる。槍の塔の一つ一つに百匹以上のヴィーマが居るとすれば敵は一瞬で一万の増援を得た事になる。
そしてその問いにナベカムリは冷然と答えた。
「いや、間に合わない。このまま悠長に一基づつ潰していては我が軍が先に全滅する」
「じゃあ、どうすれば? 何か手は無いのか!」
「我々だけで聖地に強襲を掛けるのだ」
「聖地にだって?」
蒼穹がナベカムリの言葉を繰り返す。
「蒼穹、よく聞け。ヴィーマとの戦いで古今天空から槍が降ってきたという話は聞かない。なのに今回、その槍が初めて降ってきた。それは何を意味するか?」
「多分、あの槍は奴等の奥の手……」
「それを今回、あえて使ったのは奴等の中で何がなんでも聖地を取られたくない理由があるからだ。だが奪われるとなれば奴等の標的は目の前の軍勢から聖地を強襲しようとする我々の方に向くはずだ」
「もう一度、王都防衛戦と同じ戦法をやろうって言うんだな」
「そういう事だ。しかし今度は成功させる」
「判った! なら善は急げだ! このまま聖地に向かおう」
「だが気を付けろ。丘の上のヴィーマの大軍は未だ健在だ」
「心配するな。あんな奴等一発で蹴散らしてやる!」
蒼穹は方向転換し聖地のある丘の上へと向かった。
丘の上には神がこの世界に降り立った神聖な場所があるという。だがそこまでに至る丘の中腹にはまだ大勢のヴィーマが群れを為していた。
「前言撤回。流石に蹴散らすは言い過ぎた……」
蒼穹は身を低くするとヴィーマの足元の間隙を縫いながら丘の斜面を駆け登る。
敵は蒼穹の動きに後れを取る。的が小さい上に自分達の反射速度を上回れては奴等も手の施しようがない。
「この隙に一気に丘の上まで登るぞ!」
蒼穹は言葉通りに丘を登り詰め、頂上にまで到着した。
丘の上にもヴィーマ達が足の踏み場も無いほどひしめき合っていた。更に麓からの侵入者の報を受けて全ての敵が足元を警戒する。
そして蒼穹を見つけた途端、触手を振り下ろした。触手はまるで鞭の様にしなり幾重にも頭上から降りかかる。だがそれを蒼穹は全て避けていった。
「どこだ! 聖地は……神様が降り立った場所っていうのは!」
「丘の頂上の中心だ。そこに占拠されたリーカ大神殿がある。そこに向かえ!」
だがどこを見渡しても大神殿らしき建物はその痕跡すら見当たらない。
「おかしい……もう見えても良いはずなのだが」
「はずって、ナベカムリは知ってるんだろ?」
「だが実物を見た事は無い」
「無いってアンタ宰相家の御曹司だろうが」
「私は忌み子だ。聖なる領域に連れて行ってもらえる訳が……」
だが会話のやり取りの最中、蒼穹は自分の足元が急に掬われた感覚を覚えた。
「なにっ?!」
気付いた時には既に体は真下に向けて急降下している最中だった。
蒼穹が居たのは垂直に落ち込んだ深く巨大な穴の中央だった。それはまるで火山の噴火口だ。その穴の下に向かって体が真っ逆さまに落ちていく。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
蒼穹は声を上げた。穴の正体は人工的に彫られた露天掘りの穴だった。
「奴等、聖地になんて事を! 大神殿を潰してこんな穴を掘っていたのか!」
落ちながらナベカムリが唸る。どんな理由であれその行為はこの世界の全てのブローム達にとって侮辱でしかなかった。
「こんな事は断じて許されぬ!」
ナベカムリの怒りは収まらない。
やがて蒼穹は落ちながら穴の底にたどり着くと魔法で強化された身体能力を使って無事に着地した。
穴の底は頭上からの光が届いており明るかった。その広い底部では今も十数体のヴィーマ達が掘り出し作業を行っている。
「蒼穹! この背信的な行為を止めてくれ!」
ナベカムリからの声に応じ、蒼穹は穴の底のヴィーマを瞬く間に駆逐した。
「神の怒りを思い知れ……」
ナベカムリがヴィーマの死体に吐き捨てる。
穴の底は蒼穹達だけとなった。
「しかし奴等、こんな穴を掘って何をするつもりだったんだ?」
蒼穹は辺りを見回しながらつぶやく。ブロームの信仰心や戦意を挫きたいのなら大神殿だけを更地にすれば済むことだ。
そんな中、二人は穴の中央であるものを見つけた。
それはヴィーマの背丈ほどの銀色の板で丸く囲われた場所だった。蒼穹はそれとよく似た物を元の世界で何度か見た事がある。
「まるで工事現場の仮設みたいだ……」
だがその銀板は極めて未来的でブロームの技術でも作り出すのは難しいものに思えた。
「とにかく行ってみよう。奴等が聖地を掘り起こす理由が判るかもしれない」
蒼穹は仮囲いに近づくと入り口を見つけ中に入っていた。囲いの中は吹き抜けで何もない。ただ地面から一段低くなった部分に一枚の青い敷物が敷かれていた。
蒼穹は敷物の質感を確かめる。表面はツルツルと滑り軽くて丈夫だった。それは建築現場で使うブルーシートを更に上等にした様な感じだった。
無論、これもブロームの技術で作り出せる物ではない。
「何だこれ……あいつ等、ここで何をおっぱじめようっていうんだ?」
「蒼穹、慌てるな。情報不足の段階で結論を急ぐのは危険だ」
「判ってるけど……」
だが蒼穹の頭の中では疑問がぐるぐると回る。
蒼穹にとってヴィーマは本能で襲い掛かる野獣位の認識しかなかった。知性は存在せず、意思疎通が僅かばかり可能になったのはここ最近、畜産事業が始まった後の事だ。
同時にそれはブローム全体の総意でもあった。
しかしこの一角にあるものは明らかに高い科学技術を要する機材ばかりだ。
「それにあの槍の塔による強襲空挺作戦。もし奴等が本当にあの妖星から飛来している存在ならば……俺たちはとんでもない思い違いをしてたんじゃないのか?」
「とにかくその敷物をめくってみせろ。それで何かが判るはずだ」
「判ったよ……それっ!」
蒼穹は敷物の端を掴むと掛け声と共に一気に引きはがした。
鬼が出るか蛇が出るか、布切れ一枚のパンドラの箱。その向こうにあるのは神話が記す通り希望か? それとも?




