第55話
菅生蒼穹がこの異世界ダイラタントに来て四年の歳月が流れた。
ブローム達とヴィーマ達の戦争は九年目に突入している。
その中で菅生蒼穹自身も戦場に立ち殻付きの化け物と戦い続けていた。
「閣下、中央本陣で戦闘が開始されました」
ノーム出身の士官が戦場に立つ師団長に報告をする。士官の名はパラメーバ。この師団の副官という立場だ。
その声に師団長がうなずくと副官に尋ねた。
「本陣から何か言って来たか?」
「何もありません。こちらのタイミングに任せるという最初の指示通りのままです」
「では我々も始めようか」
「了解しました」
副官は師団長よりも二回り以上年長だった。だが副官は師団長が若い事で嫉妬したり侮蔑する事はない。むしろ一個人として尊敬していた。
「全軍、進軍開始! 敵の右翼を突く」
師団長が叫んだ。それを配下の士官たちが規律良く復唱する。
師団長の名は菅生蒼穹、首都防衛戦以降、救国の英雄。『ブ』の貴族称号の代わりに大賢者の肩書を持つひとりの若者だった。
その大賢者スガイソラの号令の下、旗下の兵士達が身を屈めながら前進を開始した。
「大賢者殿、遂に始まったな」
頭の中の声が響く。
「そうだ、皆、この日を待ち焦がれていたんだ……。そうだろ?」
「勿論、指折り数えて待っていたものだ」
頭の中のナベカムリも高揚していた。
蒼穹は今、ブロムランド軍の将軍の一人として聖地アーケゾアを見上げる平原の上に立っていた。
自分の命令一つでブロムランド軍の中でも精強を誇る一万人の将兵達が手足の様に動く。
その光景はなかなか壮観だ。
「男子たるものかくあるべし……だな、大賢者殿」
「全く今太閤って奴だ。四年前、湯舟に浸かる前には考えてもみなかった光景だよ」
「それだけ貴様が弟に……否、皆に信頼され期待されているという証拠だ」
敵であるヴィーマの大軍は聖地の丘に陣取りこちらと相対していた。
その数は我が軍とほぼ同じ七万の大軍勢だ。
「さて、数は同じでも敵は我が軍の兵士よりも強靭だ。真面に張り合えばとても相手にならない……」
「それは個々の差だ。連携すれば十分に対応出来るさ」
「それほど上手くいくかな?」
「自分の弟が総大将だろ? もっと大船に乗った気で信じてやっていいじゃないか」
蒼穹は頭の中に居るナベカムリとやり取りを繰り返す。
本陣から大きな発砲音が幾つも聞こえた。それはブロムランド軍の砲兵隊による砲撃だ。
重砲の砲弾がヴィーマの頭の上に降り注ぎ破裂する。その爆発でヴィーマ達が数を減らし勢いを弱めていく中、煙幕を焚きながらブロームの兵士達が身を屈めながら前進する。
全員が軍服の上からヘルメットを被り、手りゅう弾とライフル銃で武装していた。
戦闘の様相はこの四年で激変した。
蒼穹達が掘り起こした召喚物の資料とプロテウスの強権による新体制がブロームの軍隊を剣と鎧の古びた戦士達から近代的な装備を持つライフル兵に変貌させたのだ。
新しい軍隊は新たな戦術を産み、ブローム達の戦闘力を飛躍的に向上させていった。
この戦場で火薬の代わりに共生体の魔法力で弾丸を飛ばすライフル銃もその賜物だった。
その結果、ブローム側の勢力は甦り、ダイラタント全土に広がるヴィーマとの優劣の地図は日ごとに塗り替えられていく。
どこの戦場でも劣勢は跳ね返され確実にヴィーマを押していった。敵の恐ろしい触手攻撃も火炎魔法もライフル砲と重砲の威力の前に屈していったのだ。
しかし変わったのは軍隊だけではない。
翻訳された書物や解析された召喚物は更にブローム達の秀英達によって加速度的に復元、再構築され、やがてブロームの社会全体に広がっていった。
今、王都の街並みは四年前と比べて様変わりし近代社会へと発展していた。
そしてブローム達の生活にも大きな変化が訪れた。
召喚物から牧畜の高度な知識を得ると捕縛したヴィーマを飼いならし更に繁殖する事に成功したのだ。今、ブロムランドの食卓に乗っているのはジイバの肉ではなくヴィーマの肉だった。更に大量に繁殖されたヴィーマの食肉は召喚物の中から解読された蒸気船と蒸気機関車によって王国全土に広がった。
ヴィーマとブロームの関係は食う食われるという一方的なものから互いが捕食し合うものに変化したのだ。
その結果、ブロームの社会で共食いは消滅し、似姿になれないジイバ達は生きるという当たり前の事が許された。そして今、ジイバとなるはずだった若者達の多くは手に銃を取り他のブローム達と共に戦っている。
彼等は食われる運命から解放されたのだ。
それは研究の中心になって尽力したナベカムリの執念の賜物でもあった。
「これであと数年経て産業革命が起きる。その中から力を付けたノームが自分たちの収入に見合った地位と権利を獲得するために民主化革命を起こすはずだ。その瞬間、ノームとワイズマーは一体となりダイラタントで王政が消え民主国家が誕生する……」
蒼穹の頭の中でナベカムリがそう夢見た。
「そんなに上手くいくモノかねぇ」
蒼穹が疑問を投げかける。蒼穹は歴史の教育の中でその為に多くの血が流れた事を知っていた。蒼穹はそんな血を一滴も見たいとは思わなかった。
「無論、多くの困難がある。多分、弟はワイズマーとしての立場上、民主主義を受け入れられないはずだ。だが菅生蒼穹、貴様がノーム側に立ち弟との友情が永遠に続けば……」
「おいおい、待ってくれ。アンタの夢物語に俺を引きずりこまないでくれ。個人としての俺は今の立場で充分、満足してるんだから」
「しかしいつの日か必ずその事で考える時が来る。それは大賢者なら避けられない運命だ。そう肝に命じておけ……」