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第54話

「それで弟に事実を話さない理由ってのは何だよ?」

「折角だから、今の自分がやりたい事をしてみたくなった」

「やりたい事?」

「スガイソラよ。私は似姿になれないあの忌まわしい体から解放された。だが本当に忌まわしいのはそんな掟があるこのブロームの社会だ。私にとってその社会から切り離された意義は貴様が考えている以上に大きい」

「何だよ。ここでアウトロー宣言かよ」

「しかし不思議な組み合わせだとは思わないか。私と貴様、この世界に訪れた者と去り行く者が同じ体の中に居るというのは」

「……」

 ナベカムリは語り続ける。

「そしてそんな私の願いはただ一つ。このダイラタントを変える事。無論、良い方にだ」

「ダイラタントを変えるだって?」

「以前、まだこの王都に住んでいた時だ。私は召喚物の書物を持ち出して解析を何度となく試みた。あの複雑怪奇で刺激的な世界。我々の想像力を遥かに超えた超現実を読み解きたかった。しかしその努力の全てが徒労に終わった。ブロームの知恵だけでは召喚物の解読は不可能だったのだ。だが今は違う。貴様が居てくれる。ならば私は貴様の目を借りて今度こそ自身の手で召喚物の解析を行いたいのだ」

「その為に弟と離れ離れになるっていうのか? こんなに近くに居ながら」

「そうだ。解析に全身全霊を注ぐには俗世のしがらみは煩わしすぎる。それに今の私は弟の側に居た所で何の役にも立たない厄介者だ。それ以上に召喚物の書物から学ぶ知識を通して社会に尽くす方が有意義なはずだ。そしてその知識から共食いを必要としない方法を見つけ出し、この世界を作り変えたい……そう思っている」

「それが俺の脳みその中に引き籠る理由か?」

「判ってくれるか?」

「やっぱり駄目だ。確かにその構想は立派なモンだ。でもそれでも、弟が……プロテウスが可哀そうじゃないか。あいつはアンタの葬式の時、大声で泣いたんだぞ。プロテウスは一時もアンタの存在を厄介者なんて思ってはいなかった。なのに……」

「しかし今の弟は皆の上に立つ存在だ。そんな男が兄が非常識な形で生きていたと知ったらどう思う? 私心で奴を惑わせてはならぬのだ」

「何が私心だ! 体を分けた兄弟ならあいつの気持ちを受け取ってやれよ!」

「それは重々承知だ。だから私にはその気持ちだけで十分なのだよ、スガイソラ」

「勝手な言い草だな。全部、弟におっ被せるなんて。ロクでなしだよ」

「ああ、貴様に言われなくても出来の悪い兄貴だと思ってるよ。本当に……」

「ナベカムリ……」

 彼の言葉に蒼穹は戸惑う。

 ナベカムリの言葉は間違いなく彼の本心だ。それに彼も心のどこかでは本当は弟に真実を打ち明けたいはずだ。だがそれをあえて彼は拒んだ。全て覚悟の上でだ。ならばそれを尊重してやるのも友情ではなかろうか。

「判った……これは俺とアンタの秘密にしておくよ」

「恩に着る。それと一つだけ言っておくと実は貴様の感情は伝わって来るが思考まではしゃべって貰わねば判らんからな。後、貴様の体の支配権は完全にスガイソラのものだ。私の方は運動神経とは繋がっていないらしく体を操るような真似は出来ぬから安心してくれ」

「全く、好き勝手な事を人の頭の中でベラベラしゃべりやがって……」

「考え様によっては考える頭が二つに増えた事になる。しかも新しい脳みそはより利口に出来ているとなれば得した気分にならないか?」

「そんな訳……」

「ソラ!」

 城壁の向こうからユーグレナの呼ぶ声が聞こえた。居なくなった蒼穹を探しに迎えに来てくれたのだ。

 蒼穹を見つけたユーグレナの笑顔は朝日を浴びて宝石よりも眩しく尊い。

「健気で、かわいい娘だ……」

 珍しくナベカムリがユーグレナを褒め称えた。

「勿論さ。なんせ俺にとってこの世の全ての一番なんだからな」

 それに蒼穹が惚気てみせる。

「なら肌を噛む時はもっと優しく甘噛みしてやることだ。彼女、痛いのを我慢していたぞ。ブロームの娘は総じてデリケートだからな」

「ナベカムリ!」

「ハハハハハハ……」

 蒼穹が顔を真っ赤にしながら友の名を叫んだ。ナベカムリの笑い声が頭の中で響く。

 そんな愛する男の声を耳にした途端、ユーグレナは何事が起きたのかと不思議そうな顔をした。


                                                                            第一部 完

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