第52話
だが世の中には瓢箪から駒、灰吹きから蛇が出るということわざがある様に軽い冗談が思いも依らない事を引き起こす事もある。
それは誰もが寝静まった深夜、蒼穹がいつもの様に敷物の上で熟睡していた時だった。
蒼穹の部屋に忍び込む者が居た。音もなく扉は開き敷物の側に置かれた燭台の蝋燭に再び火が灯されると寝ていた蒼穹の顔を照らす。
「むにゃ……なに?」
光の眩しさに蒼穹は目を覚ました。
「誰だ? こんな夜更けに……」
「私です」
返ってきたのはユーグレナの声だった。
「なんだ、ユーグレナか……」
蒼穹は眠い目を擦りながら体を起こすと燭台越しユーグレナを見る。彼女の裾の短い寝間着姿が淡い光の前に照らされていた。
「でも、こんな夜ふけにどしたの?」
蒼穹は眠いのか頭の中がぼやけており言葉の調子も不明瞭だ。
「もしかして、プロテウスがお呼びとか?」
「いいえ、宰相閣下もお休みです」
「ふ~ん……じゃあ、なに?」
「少し二人きりでお話がしたくて……」
「お話? うん……いいよ、別に」
「申し訳ございません。こんな深夜に……」
「気にしない、気にしない。俺と……ふわぁ~……君の仲じゃないか……」
蒼穹があくびをしながら彼女に同じ敷物に座るように促す。
同時にユーグレナの深夜の来訪に疑問も持つ。
「でも何だろう……こんな夜更けに?」
まるで思い当たる節がない。
「まさか夜這いに来たのかも……だったら大歓迎だ」
仕方なく、そんな自分の冗談で笑ってみせた。
暫くしてユーグレナはいつもの様に蒼穹の前で胡坐を掻いた。
当然、そんな座り方をすれば蒼穹の視角から下着が丸見えなのだが、この世界でその事実を気にするのは蒼穹しかいない。それが正式な作法であり下着で隠しているから見えても差し支えないというのがブローム達の羞恥心だ。
だがその事実を蒼穹は随分、感謝もした。
正直に言えばこの世界に来て蒼穹の若者としての性的欲求不満はこのユーグレナのパンチラが常に満たしてくれていた。
確かに彼女はスライムだ。全身がオレンジ色の異世界の住人で人間とは異なる。だがそれを差し引いてもユーグレナは美しく、その白い下着が目に入る度に胸が高鳴り下半身が熱くもなった。種族や理屈を超えた心の奥から湧き出る肉欲への衝動。そこにはもう異種族としての性差は無い。
それは蒼穹がユーグレナを女の子として見ている事の裏返しでもあった。
そして今晩もいつもの様にユーグレナの胡坐の深淵をチラチラと盗み見する。
だが今日だけは違っていた。
彼女の胡坐の奥を注視した瞬間、驚きで声を上げそうになる。
中を覗けばいつもある白い布が無い。代わりに目に飛び込んで来たのは湿りを帯びたオレンジ色の半透明な蜜裂の隘路だった。
「!!」
ユーグレナは下着を付けていない。その事実が蒼穹の眠気を完全に吹き飛ばし今度はしどろもどろさせる。
「ユーグレナ、パンツ穿き忘れてるよ!」
当然、そんな事実は口が裂けても言えない。
蒼穹は慌てて彼女の胡坐から目を逸らすと必死に平静を装うとする。
しかし今も目前に晒される光景はあまりにも衝撃的で官能的、その初めて見る未開の翳りを前に蒼穹の動揺が止まらない。
「ユーグレナ……その……」
蒼穹は何と答えていいのかも判らず取り合えず彼女の名を呼んだ。
多分、今の自分の顔を鏡で見れば耳まで真っ赤なはずだ。
そんな中、ユーグレナが蒼穹に尋ねた。
「あの……ソラ?」
「な、なに?」
蒼穹は何とか受け答える。
「ソラにお聞きします。これからあなたはこの世界でどうなさるおつもりですか?」
下半身のだらしの無さ反して彼女の質問は至って真面目なものだった。
「どうなさるって……今は目の前の事をただ懸命にがんばるしかないじゃないか……」
蒼穹も何とか気を取り直して答える。しかし状況がどうあれ彼女の質問にはそう答えるしかない。そして味方になってくれている人達の為に尽くすしかないのだ。
「そんな事、ユーグレナにも判ってることだろ?」
「そうですね……では質問を変えます。言い辛い事ですが、もし元の世界に絶対に戻れないと判った時、あなたはどうされます?」
「それは……この世界に骨を埋めるしかないだろうな……」
蒼穹は今まで何千回と繰り返してきた自問自答の末に出した答えだ。
それを蒼穹はそのまま口にした。
今日までその事を考えない日など一度もなかった。
「父さんと母さんに会いたい……友達と会いたい……」
再び愛する人達も元に戻りたい。
だがリーカの環が壊れたままの今、それは叶わぬ夢のはずだ。
恐らく二度と……。
それは残酷な現実だが目を逸らす訳にもいかない事実だった。そしてその結論に蒼穹は何度も苦しみ抜いた挙句、いつの間にか慣れっこにもなっていた。
お陰で初めて人前で口にしたにも関わらず涙も出なければ痛くも痒くもない。
「それが俺の答えだよ」
「そうですか……」
「でもそんな事を聞くためにこんな深夜に尋ねて来たのかい?」
それもパンツまで穿き忘れて……。そこまでは言わないがそんな事は明日のお茶の席にでも聞けば良いだけの話だ。
「いいえ、本当はもっと……その具体的なお話で……」
「具体的? 例えば?」
「例えばその……もし帰れないと判れば、あなたは一生お独りのままなのでしょうね」
「随分、痛い事をはっきり言うね……」
「申し訳御座いません。でも大切な事なのです。私は心配でならないのです。あなたがこの先も寂しくないのかと……」
そう言われると蒼穹の表情に胸が詰まる。彼等との異種族間故の齟齬に苦しめられることは今までに幾つもあった。その度に蒼穹は落胆し、この世界で自分は独りでしかないという孤独感に苛まされてきた。
「そりゃ寂しいと思う時だってあるさ……だけど結局は慣れていくしか……」
「いいえ、慣れなくても良いと私は思います!」
突然、ユーグレナが声を上げる。
その声に蒼穹は戸惑いを覚えたが彼女は言うのを止めない。
「慣れなくていいんです! もっと素直に、寂しければ誰かの傍に寄り掛かれば……」
「傍にって、じゃあ具体的にどうすれば」
「私が……私ではダメでしょうか?」
ユーグレナが答える。その声には熱が籠っている。
「それは……確かに今だって君はいてくれるよ。でも君が居るのは飽くまでも仕事だからだろ?」
「いいえ、だからその……何と言えば良いのか……。もっと……もっと私的にも私が居ればきっと寂しくないはずです。もっともっと近く肌が触れ合うまで私が居られれば……」
ユーグレナは何度も同じような意味の言葉を繰り返す。それは不器用で遠回しな言い方だった。そのせいで彼女の気持ちは蒼穹には伝わらずお互い要領を得ない。
「すみません。こういう事、慣れてないもので……」
仕方なくユーグレナは立ち上がると最後の手段に出た。
蒼穹の目の前で裾の短い寝間着を脱ぎ捨て始めたのだ。
その瞬間、自分が下着を穿き忘れていた事に気づいて一瞬、困った顔をした。
だが結局、覚悟を決め、着ていた物を全て脱ぎ捨てると彼の目の前で全裸になった。
蝋燭の明かりの前で生まれたままの姿の彼女が立ち尽くす。
自然が生んだ完璧な造形美。程よい大きさのたわわな乳房にほんのりと脂の乗った腰回り。そして恥ずかしそうに目を逸らすはにかみ顔。
「これで……判って頂けていたでしょうか?」
裸になったユーグレナの声の中には恥ずかしながらも強い意思が込められている。
一方、一糸纏わぬ彼女の姿を見て蒼穹は一瞬、時が止まったような感覚に襲われていた。
だが喉の奥から声を出してこう言った。
「き、きれいだ、ユーグレナ……」
心の底からそう思った。同時にそのオレンジ色の髪の毛からつま先までを自分だけのものにしたいという強い欲望に駆られた。
そして彼女が自分とは全く異なる種族だという事実はもうどうでも良くなった。
蒼穹は立ち上がるとユーグレナを抱きしめた。彼女の肌はほんのりと温かい。
「こういう事なんだろ……ユーグレナ」
「はい、そういう事です」
ユーグレナが笑顔を見せる。勇気を出して良かった。慣れない事をして自分の気持ちが伝わるか不安だったがそれが杞憂に終わった事に安堵する。
蒼穹はユーグレナの唇に自分のものと重ねた。彼女の湿った唇は滑らかで柔らかかった。
「でも私でよろしいのですか?」
唇が離れた途端、彼女が尋ねる。今度は言葉が欲しかった。すると蒼穹は答える。
「この世界に来て君を最初に見た時、こんな可愛い娘が居るんだってびっくりした。おかしな話だよな。君と俺とは全く別の生き物なのに。なのに君を見た瞬間……なんか、こう頭の中に雷が落ちた」
「それは何故です?」
「それを聞くのか?」
「是非とも」
「一瞬で好きになったんだよ。このオレンジ色の女の子が……」
蒼穹が照れながら答えるとユーグレナは笑う。
「なんだ……一目惚れだったんですね」
「変かな?」
「いいえ、素敵です。そんなに早く好きになってくれていたなんて、もっと早くに気付けばよかった……」
「君はどうなんだよ?」
「あなたが島で熱にうなされていた時。かわいそうだな、私がいて上げなきゃって……」
「ああナイチンゲール効果って奴か……」
「何ですそれ?」
「君がやさしい女の子だって証拠さ」
そう答えると二人は敷物の上で折り重なり合った。そしてもう一度キスをする。
「ソラ……愛しています」
「俺もだよ。ユーグレナ」
若い肉体を重ね合わせながら互いが名前を呼びあう。
蒼穹は横になった彼女の柔らかな胸の中に顔をうずめた。
「あぁ……」
ユーグレナの乳房が小刻みに震える度、彼女の甘く切ない吐息が漏れていく。
そして蝋燭の明かりが重なり合った二人の動きに合わせて揺らめき始めた時、互いが同じ事を願った。
この夜が永遠であれと……。




