第51話
王都での戦闘から一週間後、市内では未だ復興の兆しが見えない。
どこも行方不明者の捜索や避難場での暮らしのやり繰り事が精一杯で、先々の事まで気持ちが回らないのが正直な所だった。
そんな中、ナベカムリの葬儀がしめやかに執り行われた。
しかし戦災の傷癒えぬ中での葬儀は宰相家の歴史の中で最も質素な物となった。
戦いの直後、蒼穹はプロテウスに自分とナベカムリの身の上にあった事を全て明かした。
蒼穹の話を聞いてプロテウスも流石に驚愕と動揺を隠せずにいたがすぐに平静を取り戻し、後は何事も無かったようにいつもの宰相閣下へと戻っていった。
だが葬儀の際、出棺の時となると今まで抑え込んでいた感情が爆発し兄の棺の前で大声を上げながら号泣した。
葬儀の参列者は棺にすがりつく宰相の姿に茫然とした。だが、やがて彼の泣き顔に心打たれると同じように悲しみに暮れた。
その涙の参列者の中に蒼穹も居た。蒼穹も失った友の悲しい門出を涙で濡らした。
それから更に一週間後、国の内外に向けて新しい国王の即位宣言が行われた。
正確には女王陛下の即位宣言だった。
女王となったのは国王の親戚筋に当たるプロテウスの婚約者でもあるメロシラ嬢だった。
「しかしあのおしゃまさんが女王様とはねぇ」
「いいえ、むしろ一番正しい選択だと思います」
即位のニュースを耳にしながら蒼穹とユーグレナは思い思いに感想をつぶやく。
「まあ、前の王様の時よりは百万倍は大歓迎だよ。あれから御側衆のあのコンチキショーの姿も見かけないし良い事づくめだ」
「そうですよね。メロシラ様はあなたへの好感度は高いですから、裏から手を回して殺されるという事もないでしょしね」
「プロテウスは引き続き宰相閣下か……」
「摂政も兼任されるようです」
「摂政って……伊藤博文の他に聖徳太子までやるってのか?」
「聖徳太子?」
「どっちも俺の居た世界ではお札にまでなった偉い人だよ。でも何にせよプロテウスの奴はどんどん偉くなっていくって事だよね……」
「でもそれって良い事じゃないですか?」
「まあ、そういう事にしておこうか……」
そして蒼穹の生活にも変化が訪れる。
女王陛下の命により菅生蒼穹の存在が正式に公表されたのだ。
国中がその発表に驚き同時に蒼穹の周辺も騒がしくなる。
異界からの来訪者にして救国の英雄。
そんな彼に会おうと連日、宰相邸に居候をする蒼穹の元に訪れるようになった。
合いに来る者のほとんどが宰相家と親しいこの国のワイズマーだ。
断る事もいかず、蒼穹はその対応に度々、追われていく事になる。
そして今日も午前はノームの戦災孤児を救済する団体からの寄付のキャンペーンの相談、午後は何某会婦人部と呼ばれるワイズマーの奥様方とのお茶会をさせられた。
「はぁ……疲れた」
「お疲れ様。これで今日の予定は全て終了です」
「セル島でのんびりした日々がなつかしいよ……」
「まあ仕方ありませんね。有名税だと思って今は我慢する他ありません」
「有名税ねぇ……」
「だって仕方のない事でしょ? あなたは王都を救った英雄なのですから……」
「止めてくれよ、英雄なんて、こそばゆい。それに英雄って言うのなら……」
もう一人居るじゃないか……。だが蒼穹はそう言いかけて止めた。宰相家の中ではまだナベカムリが亡くなった事に対する悲しみは癒えてない。彼の事を話題に上げる事はプロテウスの前でなくても何となく禁忌になっていた。
それに気付いたユーグレナが会話を逸らす。
「この世界の言葉にノームの噂も七十七日という言葉があります。皆、流行が過ぎると飽きが出て落ち着くはずです。それまでの辛抱ですよ」
「だと良いけど……そんな事よりさぁ」
蒼穹はユーグレナに尋ねた。
「ユーグレナのお姉さんの方はどうなの?」
「手紙を出したら皆、無事だっと返信してきました。家の方も少し壊れた様ですが、すぐに修繕出来たとの事です」
「手紙って、実家には帰ってないのかい?」
「はい、こちらの業務が忙しいので……」
「駄目だよ。帰って顔を見せなきゃ」
蒼穹は心の底からそう思った。安否の確認だけならば確かに手紙だけでも済むかもしれないが、やはり顔を突き合わせた方がお互い得る物があるはずなのだ。
「じゃあ、判った。ユーグレナ、これからお姉さんに会いに行こう」
「行こうって今からですか?」
「そう、今からだ。俺だってお姉さんの顔を見たいし子供達にも礼をしなきゃならない。あの子達、俺がヴィーマに殺されそうになった時、がんばれって応援してくれたんだ」
「はあ……」
「ああ、じれったいなぁ! 行くぞ!」
そう言って蒼穹はユーグレナの手を引くと屋敷の外に飛び出し下町へと向かった。
城門は修理中で無数の損傷が王都防衛戦時の激しさを物語っていた。
だが衛兵達は蒼穹とユーグレナを見付けると慌てて作業を中断し、整列した。
そして旗を掲げて門の下を潜らせてくれた。
「まるで御大尽様にでもなった気分だ」
「あなたはここの城門で戦った兵士の全てを救ったのです。当然ですよ」
しかし城門を抜け下町の通りに一歩足を踏み入れた途端、蒼穹とユーグレナは自分達の見通しの甘さに後悔した。
蒼穹を見つけた大勢のノーム達が目の前に押し寄せてきたのだ。通りは蒼穹を中心にノーム達で埋め尽くされ騒然とる。更に騒ぎは近隣の地区や他の通りにも伝播し城門前は瞬く間に数え切れないほどのスライムの群れで溢れ返った。
「こりゃスライムだらけだ……」
蒼穹はその数に茫然とする。
全て彼、会いたさに集まった群衆だった。
「スガイソラさん、ありがとう! あなたのお陰で王都は救われました!」
「スガイソラ、万歳!」
「英雄、万歳!」
「ブロムランドの救世主に栄光を!」
「スガイソラさん、防衛戦の後に生まれたこの子に名前を……」
群衆に囲まれた蒼穹を見てユーグレナは自分の思慮の無さを悔いる。
彼を慕って大勢の人が集まる事くらい予想がついた。しかしこの量は想定外だ。
「なのに私って、バカ……」
「痛てててててて! 誰だ、髪を引っ張ってるのは!」
もみくちゃにされる蒼穹の悲鳴が聞こえる。
「大変だわ、このままじゃあソラの身が危ない……」
だがあふれ返った群衆を前にユーグレナも手も足も出せない。
結局、騒ぎに駆け付けた衛兵達が群衆を散らし蒼穹とユーグレナを救出してくれた。
ヨレヨレになりながら蒼穹達は来た道を引き返し宰相邸へと戻っていく。
「すみません、ソラ……。私の配慮が足りませんでした。あと実家へは次の休みに必ず帰りますので」
「うん……そうしてくれ。それで良いと思うよ……」
蒼穹はくしゃくしゃになった髪の毛を手で梳きながら苦笑いを浮かべた。
そしてその日の夜、蒼穹は下町であった事をプロテウスに話すと彼は笑った。
「それは王都防衛戦の英雄も災難だったな」
「全くだ、今も髪の毛を引っ張られたところが痛くて仕方ない。禿げたらどうするんだ」
「だが今度からは気を付けてくれ。今の貴様は対ヴィーマ戦における切り札だからな」
「判ってるって。ちゃんと肝に命じておくよ。ところでこれからの事なんだが……俺はまたセル島に戻るのか?」
「いいや、ここに居てもらう。もう貴様を隠す必要が無くなったのだからな。それに合わせて召喚物の研究は王都で行われる事になった。その為の施設も人員も用意されるし向こうに保管されている召喚物も全て移動させる」
「じゃあ、もうあそこともお別れか……」
ここに来てからというもの蒼穹にとっては王都よりあの島に居た期間の方が長いのだ。思い入れは多々ある。
「行きたければ夏季休暇にでも行けばいいさ。皆歓迎してくれるはずさ」
「行っていいのか?」
「勿論だ。あそこは私の土地だ。友である貴様が行く事に関して何の不都合がある? それに君はもうこの国では自由だ」
自由という言葉に蒼穹の体が震えた。自分はやっとここで生きる為に一番大事な物を手に入れたような気がしてならない。
しかしプロテウスの話はまだ終わらない。
「それと貴様に言っておく。さっきのこれからの事の続きだ。貴様には医者に行ってもらって体の検査をしておらう。兄上の肉の欠片が体内に侵入した影響が他にあるかもしれんからな」
「影響って……俺は至って健康だよ」
「しかし腹の底までは自分で判るまい。貴様の為に言っておるのだ。もしかしたら他の要素が連鎖的に発生しておったらどうする。例えば……」
「例えば?」
「ブロームとの生殖行為が可能とか……」
「そんな……まさか」
プロテウスの説に蒼穹は笑った。
「もしそうなってるんなら……ユーグレナにお相手してもらおうかな?」
「ええっ?!」
蒼穹の言葉にユーグレナが素っ頓狂な声を上げる。
「ごめん。冗談だよ。変な事言って悪かったね」
そう言って蒼穹はすぐに謝った。
一方でユーグレナは怒る事もなく唖然とした表情を暫く浮かべたままになっていた。




