第40話
泣き止んだユーグレナが再び海を見た時、海上では異変が生じていた。
「何かしら? ヴィーマの勢いが弱まっているみたい」
「どうした、ユーグレナ?」
「ナベカムリ様。誰かがヴィーマを攻撃しているようです」
「何を寝ぼけた事を。劣勢でも海軍の軍船だぞ。攻撃していて当たり前だ」
「いえ、そうではなく別の何かが……」
そうユーグレナが答えようとした瞬間、燃え盛る軍船から大きな爆発が起こった。
その衝撃で軍船に取りついていた数匹のヴィーマが吹き飛ばされると爆煙の中から何かが飛び出し小舟の方に向かって落ちていった。
海面に細長い水柱が立つ。
ナベカムリは落ちてきた物の方に向けて舵を取った。
「あれです、ナベカムリ様!」
水柱の後に近寄ると真っ黒に炭化した人の形をしたものがアオコの中で浮いていた。
「酷い……」
目に余る惨状にユーグレナが顔を背ける。
「調べるぞ」
念のため、海中からナベカムリが触手を伸ばし海面に浮かぶ似姿を調べた。
二人は最初、それを似姿をした水夫の焼死体かと思っていた。
しかしナベカムリが触った瞬間、黒焦げの手足が震え出した。
「生きているぞ! 引き上げるんだ」
ユーグレナは黒焦げの手を掴むとそのまま小舟の中に引き上げた。
「よいしょ!」
アオコまみれの黒焦げが小舟の船底で転がった。その瞬間、炭化した一部が剥がれ落ち中身を晒した。剥離した箇所を見た途端、ユーグレナは目を見張る。
「嘘……」
それは見覚えのある血管の通った不透明な白い肌。ブロームでは決してあり得ない皮膚の質感。
「ソラ! スガイソラ! ナベカムリ様、スガイソラです!」
「なんと! これは奇跡か?」
小舟の上でユーグレナは寝かせたままの蒼穹の体を触った。ボロボロと炭化した表面が落ちていくと中から人間の少年が姿を現す。
「ううん……」
蒼穹が呻き声を上げた。
「ソラ! ソラ! しっかりして下さい! ソラ!」
ユーグレナは必死に呼びかける。すると蒼穹が瞳を開け、声の方に顔を向けた。
「ユーグレナ?……」
蒼穹から返事が返ってくるとユーグレナは胸を撫でおろす。
「ああ、良かった……」
「でも、どうして君が?」
蒼穹が不思議そうな顔をする。こんな海の上で彼女と再会するとは思いも依らなかったからだ。
「そんな事よりお体の具合は? 酷い火傷を負っているはずです」
ユーグレナは彼の体を見回した。
黒焦げになるほどの火傷を負えばスライムでも間違いなく致命傷だ。
しかし蒼穹は暫くすると小舟の上で上半身を起き上げた。その度にボロボロと炭化した表面が剥がれ落ち、その下から人間の皮膚が姿を現す。
「どこも焼けてない……」
「良かった、無事で……本当に良かった」
人間の体は高温に対して凄まじい耐熱能力を有する。そうユーグレナは自分を納得させた。いや熱だけではない。以前、ナベカムリに首筋を短剣で切り裂かれたはずなのにその傷口は瞬く間に塞がった。きっと人間の治癒力はスライムの常識では計り知れないのだ。
「そうよ、そうに違いないわ!」
だが蒼穹本人はその事実に納得していない。
「ユーグレナ、何で俺は助かったんだ?」
蒼穹の質問にユーグレナは答えに詰まった。それは彼女自身が出した解答が間違っている事を意味する。
すると海面から声が聞こえた。
「やはり貴様の体の中にも変化が起きた可能性があるな」
「えっ?! 誰だ!」
蒼穹が声のした方向を覗くと突然、緑色の海面が大きく隆起した。
そして海中に潜んでいたナベカムリが姿を現す。
「うわああ、海坊主だぁ!」
青いブヨブヨの巨体を目の当たりにした瞬間、蒼穹が声を上げた。
だがその答えにナベカムリは不満そうに言い返した。
「海坊主とは言い様だな。せっかくここまで助けに来てやったというのに」
「ナベカムリ? どうしてアンタが?」
「友の窮状を察して追い駆けて来たに決まっている」
「それは……御足労頂き誠に感謝感激の事、この上なく候……」
「何だ、その礼の言い方は?」
「ごめん……でも、助かったよ。本当に感謝している」
「ならそこのユーグレナにも言ってやれ、色男。先ほどまで泣きながら貴様の事を心配しておったのだぞ」
そうナベカムリに言われた。
蒼穹は小舟の上でユーグレナと向き合う。そして真顔で答えた。
「ありがとう、ユーグレナ……。君が来てくれなかったら俺、本当に死んでた」
一方、蒼穹の感謝の言葉にユーグレナの胸が締め付けられる。
「いいえ、私は宰相閣下からの申し付けを守っただけですから……」
だがその声は涙声で震えていた。もし目の前のブロームの乙女が人間だったならば彼女の顔は喜びで真っ赤に染まっていたはずだ。




