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第4話

 ベクターと呼ばれる馬車の中で鬱々とした時が過ぎていく。

 落ち込んで言葉も出ない。

「なんで俺なんだよ……」

 声を出せばきっとそんな嘆きの言葉が繰り返し出てくるに違いない。

 そんな中、スライム達のネバネバの足が道半ばで急停止した。

「どうした、ユーグレナ?」

 プロテウスが御者席に居るユーグレナに尋ねる。彼にはベクターが立ち止まった理由が判らない。

「閣下、前をご覧を……」

 プロテウスは前方を伺った。そこには二十人ほどの新たなスライムの集団が道を塞いでいた。彼等は人の形をしていたが中央に立つ一人を除いて全員が鎧で武装していた。

「御側衆だと? 何故、奴等がここに……」

 プロテウスの声が厳しい。明らかに招かれざる客と言った所だ。

 中央で立ち尽くす人の形をした赤色のスライムがベクターに歩み寄ってきた。顔立ちは壮年の紳士でプロテウスと同じ衣服を身に着けている所を見ると高貴な貴族か神官らしい。

「これはこれは宰相閣下」

「何の用ですかな? ブ・キロドネア殿」

 赤いスライムがベクターに近づくと二人は扉越しに軽い挨拶を交わした。しかし新に現れたスライムの朗らかさに比べるとプロテウスの口調は氷の壁の様に冷たい。

 そんな二人のやり取りに蒼穹は別段、興味を魅かれる訳でも無く、只ぼんやりと眺めていた。

 ブ・キロドネアと呼ばれた赤いスライムが答える。

「私どもの方に環の神殿がヴィーマに襲われたとの報告がありまして。聞けば閣下が神殿に向かわれたままだと。すわ一大事と思い、我らこうして馳せ参じた次第で御座います」

「フンッ!」

 彼の言葉にプロテウスは鼻を一度鳴らした。蒼穹にはその音がこのゼリー状の体のどこから出たのか不思議でならない。

 今度はプロテウスが答えた。

「それは御苦労な事だな。御側衆の貴殿にどんな権限があるのか存ぜぬが環の神殿に赴かれるのならこちらは止めはせぬ。どうぞご自由に先を急がれよ。そしてヴィーマの首級を取って参られるが良い」

 そう答えてプロテウスはユーグレナに目配せした。ユーグレナが黙ってうなづくとベクターは鎧姿のスライムたちを掻き分ける様に強引に前に進もうとした。

 だがキロドネアは強引にベクターの前を遮る。

「お待ちくだされ、閣下!」

 そして大仰に言い放つ。

「お通りなされる前に一つだけ教えていただこう。そこの同乗者は何者であられるか? 見ればその姿、あまりにも異様に面妖、奇妙な出で立ちではありませぬか」

 キロドネアは蒼穹を指差す。確かにスライムの彼等にとってみれば透けない肌や独立した器官である目鼻や口。そして体色とは完全に色違いの髪は未知の生物の証に違いない。

 そんなキロドネアの態度は明らかに蒼穹を歓迎されていない様に映る。

 だが息巻くキロドネアに向かってプロテウスは冷然と答えた。

「彼の名はスガイソラ。環の神殿にてリーカの環より召された存在だ。神に導かれし歓迎されるべき客人であられる」

「客人とな? なら閣下はこの者をどうなされるおつもりか?」

「無論、我が家で食客としてもてなす」

 その一言に蒼穹は静かに胸を撫でおろした。

 しかしキロドネアの方はそれで納得する気配はない。

「宰相閣下たる方がこれは異な事を。リーカの環より召喚された物は何であれ、まずは国王陛下の前に献上しその採択を受けるのが決まり。陛下の行為は神からの召喚物を横取りする様な行為に疑われますぞ」

「陛下は今、心労を患っておられる身。いくら法でも生きた存在をナマのままで見せるのは心の御負担が大きすぎる」

「しかしそれでは決まりを曲げる事になりますぞ。この召喚物の扱いに関しての法は元を正せば古来、閣下の御家から上奏された物。それを閣下ご自身がお破りになるのは……」

「判った! 我らはこのまま陛下の下に赴く。それで不満はなかろう!」

「では召喚物は私どもが」

「いいや、こちらで運ぶ。貴殿とその戦士たちには周囲の護衛を願おう」

「仰せのままに……」

 チッ。キロドネアの舌打ちが聞こえる中、ベクターは再び歩き始めた。その歩みは周囲を囲むスライムの戦士達が同行できるほどゆっくりとしたものだった。

 先頭ではキロドネアが大型の饅頭型スライムの背に乗って悠々と前を進む。

 そんな折、プロテウスは水差しを手に持ちながら透明な液体の入った湯呑を渡した。

「スガイソラ、これを飲め。飲めば気持ちが楽になる」

 蒼穹は言われるまま湯呑の中の液体を飲んだ。

 すると先ほどまで鬱々としていた気持ちがかき消されるように落ち着いてくる。

「なにこれ? 薬?」

「ただの水だ。ただし先ほどの神殿の地下から湧き出ている聖水だ。今の様に沈んだ気持ちを落ち着かせる効果がある」

 次にプロテウスが荷台に積んであった敷物を指差した。

「頭から被って身を隠せ」

「ええ……何で?」

 聖水を飲み終えた蒼穹が訊ねる。

「もう暫くして王都ミネア・トラウンに入る。貴様が周りの目に付くのは諸々芳しくない。それが道をすれ違う通行人であってもだ」

「判ったよ」

 そう諭された蒼穹は仕方なしに頭から敷物を被ると床に這いつくばり荷物の様に丸まった。そして敷物の中でプロテウスに聞いた。

「王都って事は王様がいるの?」

「察しが良いな? 貴様が察する通りこの国は王政だ。国王陛下を頂点にして政が動いている」

「なるほど。で、アンタは何?」

「この国で宰相として陛下をお支えしている」

「宰相?」

「臣下として一応、最高職に当たる」

「え?! 宰相って確か伊藤博文やライオンやドジョウがやってたあの宰相?」

 歴代総理の名を思い浮かべた蒼穹が敷物の中で声を上げる。

「そんなに意外か? 最もドジョウが何者かは存ぜぬが……」

「い、いいえ……余りにもお若い方なんで。すいません、失礼しました……」

 相手の官職を聞いて蒼穹が畏まる。しかしそれを聞いてプロテウスが微かに笑った。

「別にそんな謙る必要はない。私の実年齢から見て年若い国家宰相と思われるのは当然だ。それと貴様は異界の客だ。私、相手に頭を下げる必要もない」

「じゃあ頼りにしても良いんだね?」

「大船に乗ったつもりで……と言いたい所だが少々、事情が変わった。本当は我が家に匿うつもりだったがあのキロドネアの言った通りこれより国王陛下に会ってもらう」

「お会いしてどうすればいい?」

「何もしなくていい。礼儀さえ弁えてくれれば後はこちらが何とかする」

「うん……じゃあ全部任せるよ。ところであのキロドネアって奴は何者なんだ?」

「陛下の御側衆の主席だ。本来なら国王陛下の身辺のお世話係という職務なのだが、その陛下のご威光を笠に着て方々で首を突っ込んでくる……要は碌でもない嫌われ者だ。だが切れ者である事は確かだ。そして貴様も奴の動向には充分注意していてくれ」

 そう答えるプロテウスの声には明らかな嫌悪感がにじみ出ていた。

 そして暫くの間、不機嫌なままで居た。

 やがて周囲の景色が変わっていく。

 ブヨブヨの森が鳴りを潜めると今度は小さな石積みの塔の群れが無数に現れた。

「お墓?」

 敷物の隙間から覗き見する蒼穹がつぶやく。

「そうだ、死んだ者の魂を収める墓標だ。しかしこの数は異界の住人から見ても多すぎだと思わないか?」

 蒼穹は答えられない。確かに墓群は遠くまで続いていた。しかし王都の死者が葬られているというのなら多すぎという訳でも無い様に思える。

 だがプロテウスの次の言葉で蒼穹は息を飲む。

「ここにある墓地は先ほど貴様も見たヴィーマに殺された……、否、餌にされた者達の墓だ。よってそのほとんどに亡骸が納められていない」

 ヴィーマ。その言葉を聞いた途端、あの石造りの建物の中で喰い殺されたスライム達と殻付きの化け物の姿が甦る。

「ヴィーマは王国の……否、我らブロームにとって不倶戴天の敵だ。我らはそのヴィーマと戦っている。文字通りの戦争だ。そして今日、環の神殿の中で新たな死者が現れた。今もこのダイアラントのどこかで我らの仲間が殺されている」

 そう答えるプロテウスの表情は暗く、同時に深い怒りに満ちていた。

 そして最後に人目もはばからず叫んだ。

「我々はヴィーマに勝たねばならぬ!」

 そんな彼の気持ちは察して余りある。なぜなら蒼穹自身がその殺戮の現場に直面し実際に殺される寸前まで追い込まれたのだ。

「プロテウス……。そのさっきは助けてくれてありがとう」

 蒼穹は遅ればせながら彼に礼を言った。

 その言葉にプロテウスは安堵の笑みを浮かべる。

「貴様にそう言ってもらえただけでも助けた甲斐があったというものだ。亡くなった者も浮かばれよう」

「そんな、大袈裟な……。俺なんか只の人間なのに」

「ならばこの際、我らは友となろう」

 宰相の申し出に蒼穹は目を丸くする。

「いいの? そんな簡単に言って。俺達出会ったばっかだ。それにアンタ閣下だろ?」

「一蓮托生だ。共に進もう。それに私の勘だが貴様には只者ではない。この世界を救う何かがあるような気がしてならないのだ」

 若き宰相が気前良く持ち上げる。

 だが蒼穹は宰相からの賛美の言葉に困惑するばかりだ。

 なぜなら自分は元の世界では何の変哲もない一高校生に過ぎない。

 とても世界を救うための何かを持ち合わせてなど居なかったからだ。

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