第39話
一方、沈みゆく軍船の上では蒼穹を襲ったヴィーマが渾身の一撃を浴びせ終えた後だった。ヴィーマは思考する。触手の裏にはあの見慣れない生き物の潰れた死体がこびり付いているはずだ。
だが触手を上げた瞬間、不可解な出来事に遭遇する。潰れているはずの死体が無い。ただ自分の一撃で瓦礫と化した甲板の成れの果てが海水の上を漂っているだけだ。
それどころかヴィーマはこの後に自らの視覚神経が狂ったかの様な光景を目撃する。
海面に浮く木っ端の隙間からヌウッと腕が伸びたかと思うと残った上甲板の端に手を掛けたのだ。腕には明らかに生気が宿っている。
緑色の海面から腕の持ち主が顔を出した。
「ぷはっ!」
蒼穹だった。
「何だ? どうなってるんだ?」
蒼穹は海面から顔を出しながら不審がる。自分は間違いなく目の前の殻付きの化け物から死の一撃を浴びたはずだ。なのに怪我が無いどころかどこも痛くも無い。覚えているのは殴られた衝撃で目の前がぐるぐる回った感覚だけだ。
だがそれ以上に蒼穹を襲ったヴィーマは困惑していた。
殺したと思った相手が死んでいない。一体、何の間違いが起こったのか?
しかしヴィーマの思考は人間よりも単純だ。死んでないのならやり直せば良いだけだ。
そして殺した後にゆっくり喰う。
今度は水平に凪ぎ払う。水面から掬い上げられた蒼穹の体が宙を飛ぶ。そしてまだ残っていたマストの中心に偶然、命中した。
これだけの威力を食らえば流石にあの生き物も木っ端微塵に潰れるはずだ。
「痛てて……」
潰れていないだと? 奴はマストに張り付いただけでかすり傷すら負ってはいない。
そして気付く。こいつは自分だけの手には負えない。
すぐに他の仲間を呼んだ。ヴィーマは二匹になり触手の先端をマストの根元で動かない蒼穹に向ける。そして先端から火を放った。
炎はブローム達と同じ共生体による魔法だった。しかしブローム達より体内容量が桁違いに大きなヴィーマの火炎放射は遥かに威力が大きい。
二匹が生み出す灼熱の高温が蒼穹と軍船のマストを襲う。
船の帆に炎が燃え移り、軍船の上は瞬く間に大火に見舞われる。炎は逃げ遅れた水夫達にも襲い掛かり船上は火炎地獄と化した。
一方でヴィーマの関心は炎の中の蒼穹に注がれていた。だが燃え盛る炎の勢いは凄まじく蒼穹の姿は確認できない。
しかしこれだけの炎だ。どれはど頑丈な体を持っていようとも生きてはいまい。身を焼かれ消し炭になっているはずだ。
だがその時、炎の中からヴィーマに向かって何かが飛び出した。
それは焼け爛れた人影だった。
人影はマストの先よりも高く飛ぶと空中でクルリと一回転し、蒼穹を襲ったヴィーマの殻の上に飛びついた。
そして殻の表面に手をかざすと凄まじい波動を放つ。
その直後、ヴィーマの巨大な巻貝の様な殻が粉微塵に砕け散った。
砕けた中からスライムの元となるドロドロの肉質が流れ出る。
まさに一瞬の出来事だった。殻を破壊されたヴィーマは瞬く間に生命活動を停止させた。
先ほどまで猛威を振るっていた触手は今はピクリとも動かない。
一匹目のヴィーマを殺した事を見届けると黒焦げの人影は次の標的を探した。
標的はすぐに見つかった。先ほど殺したヴィーマと船を焼いたもう一匹だ。
人影は電光石火の勢いで襲い掛かる。
ヴィーマは触手の先の爪を振るった。今まで数多くのスライム達を串刺しにしてきた自慢の穂先だ。
しかし人影は槍の一突きを、風に舞う木の葉の様に避けていく。
「!!」
その時、ヴィーマの体内に恐怖が生まれた。
そして黒焦げの人影に跳び付かれた瞬間、己の運命を悟った。既に自分は狩られる側に落ちていたのだ。




