第36話
船倉は再び闇に包まれる。
「クソっ垂れ! 何がボンボヤージュだ!」
一人になっても蒼穹の怒りは収まらない。
だが御側衆がこれから始める陰謀だけは明らかになった。
何とかしてその野望を阻止せなければプロテウスの……否、このブロムランドの未来は深い闇に包まれる。
蒼穹はバラストの小石を拾い上げ再び縄を擦り出した。
「まずこの船底から脱出し、御側衆からマスケット銃と書類を奪取し処分する。その後、船を脱出。プロテウスの元にたどり着いて事の真相を話す……」
それは蒼穹にとって恐ろしいほど高難易度のミッションだった。
しかしやり遂げねば待っているのは自分達の身の破滅だ。
「切れろ、切れろ、切れろ、切れろ!」
蒼穹は念仏を唱える様につぶやきながら縄を擦る。先ほどの様に集中力が途切れる事はない。迫りくる危機の前でモチベーションが上がったのだ。
そして遂に……。
「切れた!」
縄が切れ、蒼穹は船の最下層で自由を手に入れた。それは芥子粒の様な小さな自由だった。だが絶望から脱する為の大きな種だ。
「さてと、休んでいる場合じゃないな……」
暗い中、蒼穹は手探りで周囲を調べる。見つけたのは幾つかの木箱だった。
蒼穹は木箱の表面を触る。蓋には鍵は無くごく簡単な閂で閉じられていただけだった。
蓋を開けると中には柔らかな小さな肉質のものであふれていた。
蒼穹はその触り心地に見覚えがある。
「共生体だ……」
ブロームが魔法を起こす為の生物。蒼穹はそれを肉の代用品として食べてきた。
「とりあえず食っておくか……」
多分、この船旅で蒼穹の食事は用意されないはずだ。ならば少しでも胃の中に入れて体力を維持しなければならない。
蒼穹は共生体を鷲掴みにするとそのまま口の中に放り込んだ。だが一口目で顔を歪める。
「苦げぇ! とても食えた物じゃない!」
牧場でおかみさんが出してくれた料理と比べたら雲泥の差だ。
「他には無いのか?」
蒼穹は仕方なく口に残った分を飲み込むと違う木箱を開けた。
そして新たに見つけた共生体を鷲掴みにすると飲み込む様に食べていく。だが二度目に開けた木箱の中身も酷い味だった。
結局、蒼穹は船倉に収められた木箱のほとんどを開け、中の共生体を片っ端から味見してみた。しかしどれも人間の舌では耐えられない不快な味だった。
「うげ~気持ち悪い……」
その味の悪さに辟易すると蒼穹は遂に共生体を食べる事を諦めた。
だが後味はまだ喉の奥に残っている。
「ユーグレナもよくこんな物、食ってられるな……」
蒼穹はため息を吐きながら項垂れる。
だが確か彼女も共生体は薬の様な物だと言っていた記憶がある。
「良薬は口に苦し……味わったりする物じゃないんだろうな」
一方で酷い食事であっても腹は膨れた。
「胃の中に入っちまえばみんな同じだ……」
蒼穹は渋々、そう自分を納得させると次の行動に移る。
食事は済んだ。なら今度はここから脱出する方法を探さねばならない。
「この天井の扉が開けば良いんだけど……」
蒼穹は頭上の扉に触れてみる。だがその時、船の横っ腹に何かが衝突した。
「うわっ」
その衝撃に蒼穹の体は船底で飛ばされる。
「痛てて……何だ?」
しかし今までの様な海原からの揺れとは明らかに違う。
それどころか衝撃は一度や二度では収まらない。
幾度となく船体が打ちのめされ、その度に蒼穹の体は弾き飛ばされる。
まるで樽の中にでも押し込まれて谷底に落とされた様な気分だ。
「このままじゃ、死んじまう!」
キロドネアに無実の罪を着せられる前に殺される。
そう思った矢先、衝撃で船体が破損した。バリバリと音を立てながら目の前で舟板が引き裂かれていく。
裂け目から緑色の波飛沫と外の光が差し込んだ。
その光を背に不気味な影が浮かぶ。影は巻貝の様な巨大な殻を被っていた。
「ヴィーマ!」
破壊者の正体を知って蒼穹は戦慄する。軍船をヴィーマが襲っているのだ。