第31話
蒼穹の島での生活もひと月が過ぎようとしていた。
武器として使えそうな物を見つけてはそれを梱包し船に乗せて宰相の元へと送る作業もひと段落し、今は召喚物全体の調査研究を行っていた。
召喚物は全て地球から来たものらしかった。らしかったとは蒼穹自身が調べても意味不明な物が多くあったからだ。
それらは多分、蒼穹が生きていた年代よりも遥か未来の機械の様に思われた。だがどれもエネルギー切れを起こし起動すらおぼつかない。
「駄目だ。やっぱり動かないや」
蒼穹は見覚えの無い機械のスイッチを押しながらため息を吐く。
「あまり気になさらないで。閣下はあなたに再生まで期待されてはいないと思います」
「でも動くものなら動かしたいってのは人情じゃないか」
「むしろ閣下は地に足が着いた成果をお望みです。翻訳の作業の方は進みましたか?」
ユーグレナは目の前の蒼穹用の文机の上を見ながら質問する。
文机にはノートと筆記用具と数冊の書物の他に召喚物の中から見つけた国語辞典や英和辞典までもが置かれていた。
それらは召喚された書籍をブロームの言葉へと翻訳する、地道な作業の為の資料だった。
「それこそ何年も掛かる作業だよ。明日明後日で終わる作業じゃない。それに翻訳作業っていうのは俺の世界では専門職が居るくらいで高校生の俺なんかに……」
「でも手を動かし続けなければ前には進みません。それに閣下ですら成果が目に見えなければあなた自身の待遇を上げる事は難しいと思います」
「もう、判ってるよ……」
蒼穹は文机の前に座るとユーグレナと向かい合って作業を再開した。
しかし蒼穹は資料とノートとを睨みつけながら頭を悩ませる。不思議な事にブロームの話し言葉は日本語だった。一方で書き言葉はブロム語と呼ばれる彼等独自の言語で、翻訳家でも言語学者でもない蒼穹にとって未知の言語だった。
結局は蒼穹が地球の書物を口で読み上げユーグレナがブロム語に書き直す作業なのだが使える書物が日本版であるとは限らない。
そうなれば蒼穹が英和辞典片手にで自力で翻訳していかなければならないのだが一般書籍ならまだしも英語以外の言語や専門書ともなると完全にお手上げ状態だった。
一方でユーグレナは蒼穹との翻訳作業に至福の時を感じていた。彼が書物を読み上げ、それを書き写す。この時間だけは心を通い合わせ、同時に彼を独り占め出来る。それを思うとユーグレナの胸の中では悦びがこみ上げて来る。
もうユーグレナは自分の中で蒼穹に対して特別な感情がある事を自覚していた。
だが一方で蒼穹の生活面、特に肉嫌いは未だ改善されてはいなかった。
お陰で文机の前の蒼穹の体は僅かの一ヶ月でやせ細り顔色も悪い。
「困ったわ……多分、今の彼は食べ盛りのはずなのに、こんな調子じゃまた倒れるかも」
悩んだ末、ユーグレナはプロテウスに手紙で蒼穹が肉を食えない事実を打ち明けた。
すると宰相の下から快速船で大量の荷物が送られてきた。
荷物の中身はブローム達が特殊な力を発動させる時に使う共生体だった。
共生体には本来、魔法発動の能力が込められているスライムとは別種の生物だが、送られてきた共生体はその能力を失っていた欠陥品だった。
「だが、それらも成分は肉のはずだから代用として食べさせてみると良い」
宰相からの手紙にはそう書かれていた。
「こんな物が効くのかしら?」
共生体はブロームの感覚からすれば薬に近い。だから能力が発揮されない共生体をわざわざ体内に取り込むことは無い。
「でもあの宰相閣下のお考えならば……」
自分には及びもつかない何かがあっての事のはずだ。
試しにユーグレナはその日の夕食に共生体を使った料理を蒼穹に出してみた。
「でもこれだってブロームだろ?」
「違いますよ。共生体は神が我々に与えて下さった全く別種の生き物です」
そう説得されると蒼穹は渋々、共生体を口に放り込む。
だが噛み終わった直後、ぼそりとつぶやく。
「ああ、これは食える……」
蒼穹は食べる事が出来た。それは一ヶ月ぶりの肉の味だった。
「ありがとう……本当に……本当に美味いよ」
蒼穹はユーグレナに頭を下げながら食べ続けた。そして食べながら泣いた。
泣けたのは彼女が親身になって自分を気遣ってくれていた。
その心遣いに感動したからだ。
こんなにもやさしい女の子が傍に居てくれる。もう、この世界で自分は孤独でない。
それを思い知らされた蒼穹にとって、こんなにうれしい事は無かった。
「ユーグレナ……みんな君のお陰だよ」
蒼穹の言葉にユーグレナも瞳を潤ませた。
そして大きな山が一つ越えた事に胸を撫で降ろした。