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第26話

 蒼穹は眠りについた。日は落ちて風が出てくると嵐となり母屋の鎧戸を雨粒が叩く。

 蒼穹が寝ている間、ユーグレナはひとり本を読んでいた。それは召喚物の書庫に収められていた一冊だった。持ち出し禁止だが蒼穹の許可を得て手元に置いている物だ。

 本には人間の生態や体の機能が平易に記されていた。イラストや写真を多用している為、人間世界の文字が読めない彼女にもおおよその内容が理解出来る。

ユーグレナは蒼穹の病気の原因が見つかればと思ったがどうも医学書ではない様でその努力も徒労に終わりそうだった。

 嵐は本降りになりはじめた。朝になる頃には止んでくれればいいが……。

 蝋燭の炎が揺れる。どこからか隙間風が入り込んでいるのか。だがそれよりも蝋燭が短い。替えようかそれとも燃え尽きるまで置いておこうか。

 そんな事をぼんやりと考えていた時、蒼穹が再び目を覚ました。 

「ユーグレナ……」

「駄目ですよ。寝てないと……」

「喉が渇いた。水を一杯くれないか?」

 ユーグレナは言われるがまま湯呑に水を汲むと蒼穹に渡した。

 体を起こした蒼穹は水を飲み干す。

「ありがとう……」

「どういたしまして」

 ユーグレナが返された湯呑を仕舞う。

 だがその時、蒼穹の視線が自分から離れない事に気づいた。

「どうしました? まだ何か欲しい物が……」

「かわいいよね、ユーグレナって……」

 蒼穹が面と向かってつぶやく。

 その一言を聞いた途端、驚きと同時にユーグレナの体の芯が熱くなる。

「な、何を言ってるんですか! もしかして熱で頭がおかしくなったんですか? だったらもっと寝てください。病人が起きていて良い時間ではありません」

 ユーグレナが蒼穹を窘める。しかし胸の奥の動揺は止まらない。

「それに知っています。あなたの言っている可愛いはジイバが可愛いとか子供がかわいいとかその類のかわいいでしょ。私達とは種族が違うんですから」

 それは彼女なりの照れ隠しだ。

 だが蒼穹はそれをはっきりと否定した。

「そんな事ないさ。初めて見た時から君の事は美人でかわいいと思った」

 美人と言われて体が強張る。異種族と言えどもここまではっきりと自分の容姿を褒められた事など無かった。彼女にとってそれは初めての経験だ。

「もう、バカ! 変な事を言わないで!」

 ユーグレナは蒼穹から視線を逸らす。だが戸惑いは隠せない。オレンジ色の表面を熱くさせながら顔を背けるだけで精いっぱいだ。

 そんなユーグレナに蒼穹は言う。

「ユーグレナ、君の事が好きだ。俺の事をずっと看病しながら見守ってくれていた君が好きになった」

 そして彼女の髪の様な細胞に手を伸ばし優しく撫でる。

「や、やめてください! スガイソラ、あなたはやはり熱でおかしくなっています」

「そうかもしれない。でも君が好きな気持ちは本物だよ!」

 そう答えた蒼穹は今度はユーグレナに迫り細い肩に抱き着いた。

「!!」

 ユーグレナは思わず蒼穹を引き離そうとした。だがこんな時に限って力が入らない。

 逆に蒼穹の腕力は思いのほか強く、とても病人の力とは思えない。

 一方でユーグレナの心の中にひとつの不安が過る。

「この後、自分はどうなってしまうのか?」

 そして脳裏に浮かんだのは先ほどまで読んでいた異世界の本の事だった。貸し出される前、蒼穹はその本の題名を「保健体育」と教えてくれた。

 本の中には異世界の人間の男女の営みが抽象的に描かれていた。男性器が作り出す精子が女性器の卵子に受精し、やがてそれは子となり女性から生まれ出てくる。

 それをスライムの世界では男女共、配偶子と言い換えるが基本的な仕組みは変わらない。

 ならばこのまま二人が先に進めばやがてユーグレナは子を成す事となる。

「そうなれば私は一体……」

 想像が飛躍する。この世界で異世界の生物と交わりその子供を産んだ最初のブローム。

 自分はダイラタントの歴史に名を残し永遠に語り継がれる事になる。それが正しいのかどうかは判らない。だが間違いなく自分の裁量ひとつでこの世界の未来が変わる。

 その歴史的瞬間の前に震えが止まらない。

 だがそんな時、頭の中で蒼穹の声が響いた。

「ユーグレナ……ユーグレナ……」

「スガイソラ……」

 彼の声を聴きながらユーグレナもその熱の籠った体を抱きしめる。しかし何かがおかしい。聞こえてくるのは覆い被さる蒼穹ではなく直接、脳裏に響く彼の声だ。

「ユーグレナ、起きて!」

「ふへ?」

 その直後、ユーグレナは覚醒した。

目が覚めた瞬間、目に映ったのは心配そうに自分の体を擦る蒼穹の顔だった。

「えっ! 夢?」

 知らぬ間に病床の蒼穹の横でうたた寝していた。そして彼に抱かれる寸前の夢を見る。

 事態を悟った瞬間、自分の愚かさにユーグレナは茫然とした。

 恥ずかしい……。穴があったら入りたい。これでは欲求不満の痴女ではないか。

 だがその一方で蒼穹の様子がおかしいのに気付く。

「どうかされました? どこかご気分でも……」

「そうじゃない。外から変な物音がするんだ」

「変な物音?」

 蒼穹の言葉にユーグレナは我に返る。そして傍に置いていた愛用の短剣を腰に佩くと感覚増強の共生体を一粒飲んで耳を澄ませた。

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