第25話
しかし何事かが起こったのはその日の夜の事だった。
深夜、蒼穹は急に熱を出した。最初はただの疲れからくる発熱と思われたがみるみる体温は上昇しそのまま自室の敷物の上で寝込んでしまった。
看病はユーグレナ一人で当たった。蒼穹がこの世界の人間ではない事はまだ牧場のノーム達に打ち明けてはいない為、病人に近寄らせる訳にはいかなかったからだ。
その事はユーグレナを後悔させた。そしてこの離れ小島には医者が居ない。だが医者に見せたところで全く異世界の種族の彼の病気が治せる可能性は低かった。
助けがほしい。だがそんな時に限って誰にも手を貸してもらえない。その事に彼女は不安を抱く。
「でも私一人で切り抜けなくちゃ……」
ユーグレナは濡れたタオルを蒼穹の額に乗せ、少しでも熱を下げようと試みた。そして定期的に彼の寝間着を着替えさせ同時に汗を拭く。
だが最初の着替えの時、ユーグレナは彼の裸を前に狼狽した。
それは異界の生物に対する奇異さだと思わせたが、実際は不透明なだけで似姿と形の変わらない男性としての彼の裸に戸惑いを覚えたからだ。
違う様で似ている。これはユーグレナにとって発見でもあった。
しかし今は生物学的な観察は後回しだ。
何より彼の熱を下げる事が先決だ。
だがそんな懸命な介護も病気には何の効果もなかった。
「一体、どこで病気なんてもらってきたのかしら……」
額の汗を拭きながらユーグレナは彼の様態を不審がる。
しかし今まで何もなかった方が不思議だったのかしれない。
全く別世界の環境に放り込まれた蒼穹にとって、ここでの何てことない病気の種が恐るべき重篤を引き起こす可能性がある。そんな事を以前、宰相閣下に言われた覚えがあった。
「もう、彼自身の治癒力に賭けるしかないわね」
それが駄目なら後はリーカ神のご加護に頼るしかない。
そして蒼穹の看病は三日目に入った。
「ごめん……ユーグレナ。君に迷惑かけっぱなしで」
熱にうなされながら蒼穹が病床でつぶやく。
「そんな事、気にしないで下さい。これもお給料の内に入っていますから。それに病人は病気を治す事だけを考えていれば良いのですよ」
重湯を入れた器を運び込みながらユーグレナは答えた。
高熱は続き蒼穹の様態は今もって予断を許さない。
一方でユーグレナの心情には変化が訪れる。
この三日間、蒼穹の看病を懸命に執り行った。熱を冷ましたり体を拭いたりするだけではない。共生体を使って簡単な医療魔法を起こしたり下の世話まで手伝った。
そんな付きっ切りの看病の甲斐あって蒼穹は重湯がすすれるほどには回復した。
「よかったですね……食べられるようになって……」
「うん……熱っ!」
「ほら、ゆっくり食べて。急ぐと火傷しますよ」
ユーグレナが蒼穹の頬に付いた重湯をそっと拭った。
そんな彼に尽くしていると知らぬ間に情が湧いてくる。
「本当に……可哀そうな人」
そこに居る、ただそんな当たり前な事が異質である存在。頼れる者が居ない。それどころか命まで狙われている。この世界でどれほど味方に囲まれても孤独な存在……。
ユーグレナは思う。もう同情して一緒に沈んでいるだけでは彼は救えない。
「なら誰かがずっと傍に居て守って上げなくちゃいけないんだ。それがきっと私なんだ。それは閣下の命令じゃない。リーカ神から与えられた私の使命なんだわ」
そう心に決めた瞬間、苦しそうな蒼穹を見詰める度に胸の奥が熱くなる。
「大丈夫、ずっと私が傍に居ますから……」
ユーグレナが小さくつぶやいた。するとそれが蒼穹の耳に届く。
「どうしたの、何か言った?」
「いいえ何も、独り言です……」
暫くして蒼穹は重湯の入っていた椀を返した。中身は半分くらい残してあった。
「ありがとう、ユーグレナ……」
「随分、食べられるようになりましたね。昨日より回復してきたと思います」
「だといいけど……」
そう言いながら蒼穹は再び敷物の上で横になった。




