第18話
その次の日、宰相宅に一人の客人が訪れた。
玄関前に停まった豪奢なベクターから紫色をした小さな饅頭が飛び降りる。
「プロテウス!」
そのスライムは出迎えた宰相を呼び捨てにしながら無邪気に飛びついた。いや、似姿の形態を取っていないところを見ると普通に子供の様だ。
「誰だ、あの子?」
「ブ・メロシラ様……王族の姫様の一人です。国王陛下の姪であり閣下の遠い親戚筋に当たられます」
屋敷の物陰から覗いていた蒼穹にユーグレナが説明してくれた。
「へえ、お姫様か……その割には懐いて懐いてらっしゃる」
「メロシラ様は閣下の許嫁で在られます」
「おや、まあ! そうなんだ。でもお姫様、随分と子供に思えるけど」
「子供も何も姫様はまだ似姿に変形できませんから子供で当然です」
ブロームにとって似姿とは成人である証である事を蒼穹は前にユーグレナから教わった。
似姿たる神に近づく事によってブロームは一人前と証明されるのだ。
「まあ若いってなら宰相閣下も人の事言えないか……」
「でも何のご用事で来られたのでしょう?」
「普通に遊びに来たんじゃないのかな?」
「かもしれませんね……」
メロシラ姫が来訪して暫くすると勉強中の蒼穹達の下に屋敷の使用人がやってきた。
「閣下がお呼びだって?」
二人がプロテウスの居る客間へと向かうとそこには宰相の他に客人のメロシラも居た。
「ユーグレナ、スガイソラ、両名参上仕りました」
「あなたがスガイソラね!」
「お初にお目に掛かります。ブ・メロシラ様」
「ふ~ん、私達と同じ言葉がしゃべれるんだ。でも私の事はメロシラでいいわよ」
そう言って気安く友好的な態度を示してくれる。
そして敷物から飛び跳ねながら移動すると蒼穹の側に近寄った。
「素顔が見たいわ。覆面をお外しなさいな」
姫様の好奇心が蒼穹に命ずる。蒼穹が一度、宰相の方を見ると彼はうなづいた。
蒼穹はゆっくりと覆面を外した。
「まあっ!」
姫様は蒼穹の素顔を初めて見た途端、声を上げた。
だがアニソネマの様に平静を装う訳でも無ければ彼女の子供達の様に脅える訳でも無い。
それは心地よい距離感での驚きだ。
「異世界の知的生命体とは聞いたけど、確かに……変ね」
「ですが自分の世界ではこれが普通です」
「普通って?」
「珍しくないという事です」
「成程ね。面白いわ」
そう言って満足そうに答えると今度は客間の中の開けた場所に立った。
「じゃあ、今度はお礼に私も良い物を見せてあげる。さっきプロテウスにも見せてあげたけど今度はあなた達の番よ」
メロシラはその場で立ち尽くすと全身に力を入れ始めた。
「う~ん……」
意識を集中させるとゼリーの様な身体が小刻みに波打っていく。そして徐々に形を変えていくと遂には紫色の全裸の幼女へと姿を変えた。
幼女は長い布を体に纏うと自慢気に言い放つ。
「どう? スガイソラ、ユーグレナ」
「おめでとうございます。似姿への変形を達せられたのですね」
ユーグレナが手を叩きながら賛美の声を上げる。
「ではメロシラ様は成人になられたという事ですね」
「当然よ! 今日から私も大人の女性よ」
しかしそう自慢気に答えた瞬間、緊張が解け元の饅頭に戻る。
「あらあら、続ける方はまだ御無理の様ですね」
「こ、これから長く出来る様に練習を繰り返すのよ!」
ユーグレナの笑顔にメロシラは拗ねながら反論した。
「ですが姫様もこれで大人への第一歩を進まれたのですから、この宰相何か記念の品を用意せねばなりませんな」
「本当? プロテウス!」
「ええ、何かご所望の品があれば用意致します」
「じゃあ、私が欲しがっている物を当ててみて!」
「それは……困りましたな」
宰相が苦笑いを浮かべながら困った顔をする。そして助け舟を求めるように蒼穹とユーグレナを顔を見る。
「へへ、宰相閣下も形無しだな」
蒼穹が笑う。だがその時のプロテウスの顔は年相応の少年の様に思えた。
「いいよ、プロテウス。俺が後で教えて上げるよ。メロシア様も満足されるはずだよ」
「ふ~ん、あなたには判るの? 異界の住人さん」
「姫様、自分も向こうで年相応の経験というものを所持しております。こんな時、女性が欲する物の定番というものが御座いましてな。まあ、能書きはさておき、必ずや姫様のご期待に添えられると保障致します」
「スガイソラ!」
プロテウスが焦燥した表情を浮かべながら叫んだ。これ以上余計なプレッシャーを掛けられては堪らないといった様相だ。
「ではプロテウス期待しているわよ。三日後にお父様がお祝い席を設けて下さるって言うの。その時にあなた達を招待するから持ってきて頂戴」
「いいえ、姫様。生憎、その日は丁度、他に重要な予定が入っておりまして大変申し訳ございませんがお祝いの席は辞退させて戴きます」
「えー! そうなの?」
メロシラは詰まらなそうに声を上げる。
「一体どこに行くの?」
「しばらく王都を離れます。ここに居るユーグレナとスガイソラを連れてある場所に向かわねばなりません」
プロテウスの答えた理由に蒼穹は目を見張る。プロテウスは先日、四日待てと言ったがこの事なのだろう。だが自分をどこに連れて行こうというのだ?
しかし今は姫様の前という事で何も言わず聞き流した。
その後、メロシラは帰り支度を始めた。宰相も姫様も蒼穹ほど暇ではなかった。
別れ際、姫様は蒼穹にこう言ってくれた。
「今日は楽しかったわ。また会いましょう。今度は向こうの事を色々教えて頂戴」
「はい、承りました」
「それとあなたが良かったらだけど私達、友達になりましょう」
姫様は似姿になりながら握手を求めた。そう言ってくれたのはプロテウスから数えて二人目だった。
「はい、喜んでお受けいたします!」
蒼穹は強く握り返した。メロシラは嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。