第13話
その事態にユーグレナが気付いたのはお茶を持って庭に戻ってきた時だった。
「何をしているの!」
ユーグレナが塀の上の影に向かって叫ぶ。
だが彼等は答える事もなく蒼穹を捕えたまま塀の向こうへと姿を消した。
「待ちなさい!」
ユーグレナは腰に備えていたポーチから薬の様な粒を数粒取り出し一気に飲み込んだ。
そして素早く塀の傍に駆け寄るとその場で跳躍した。
「たぁー!」
オレンジ色の肢体が掛け声と共に軽やかに宙を舞った。その跳躍力は素晴らしく、塀の天端をひとっ飛びに飛び越えると塀の向こうの石畳の道の上に着地した。
「見つけた!」
拘束された蒼穹が幌付きの小さなベクターに無理やり乗せられていた。ベクターは先ほど蒼穹を拘束した灰色のノームに牽かれながら閑静な住宅街の中を猛スピードで走り去る。
「逃がさない!」
ユーグレナがベクターを追跡した。その動きもまるで猫の様に軽い。
しかしベクターの引手も石畳の上を猛スピードで遁走する。更に荷台に乗り込んでいた使用人が小さな石弓を取り出し幌の隙間からユーグレナに向かって射撃した。
ユーグレナはそれを間一髪の所で避けたが、代わりにベクターまでの距離が遠のく。
「ダメ、このままじゃあ相手に引き離される……。こうなったら!」
言うが早いかユーグレナは宰相邸の向かい側の屋敷の塀に飛び乗った。
そして塀の上を駆け抜けると、他人の屋敷の塀や屋根の上を幾つも飛び移りながら最短距離でベクターの背後を追った。
「これで相手に追いついてみせる!」
それは王都で宰相の使い走り役を続ける彼女ならではの近道だった。
塀の上を駆け回りながらユーグレナは宰相の言葉を思い出す。
「スガイソラは陛下に危険視されている。それに乗じて御側衆は必ず仕掛けてくるはずだ。己の出世欲の為にスガイソラの首を献上する。その野望を我々で阻止せねばならない」
宰相がそこまで蒼穹に肩入れするかはユーグレナには判らない。しかし守れと言われれば守るのが自分に課せられた使命だ。
そして遂に蒼穹を拉致したベクターへの先回りに成功した。
「スガイソラ!」
ユーグレナが追い付いたベクターに向かって飛んだ。
その直後、不意打ちとばかりに再び石弓の矢が彼女に向かって襲い掛かる。
ユーグレナは腰に差した愛用の短剣を抜くと矢先を弾き飛ばし幌の上に飛び乗った。
それと同時に幌の隙間からゴム紐の様に長く伸びた使用人が飛び出し、幌の天端に立った。先端には細身の彎刀が握られている。
「あなた特戦隊ね!」
幌の上で相対したユーグレナが相手の正体を言い当てる。
しかし長く伸び切った使用人は彎刀を構えたまま何も言ってこない。
「彼を返してもらうわ!」
ユーグレナが短剣で使用人に切り掛かる。ひと振り目は空を切り逆に切り返された。その攻撃は彎刀を握った大きな一本腕と戦っている様だ。しかしユーグレナも相手の剣先を避けると更に切り返す。
狭い幌の上で一進一退の攻防が続く。相手はかなりの手練れだった。間違いなく御側衆直属の特殊戦部隊。通称、特戦隊。時間が経てばこちらが不利になる。
しかしユーグレナには秘策があった。
ユーグレナが再び切り掛かった。だが一本腕は寸での所で回避する。そこへ……
「雷衝!」
掛け声と共にユーグレナの指先から雷光が煌めいた。
短剣と雷の同時攻撃。一本腕は雷撃の方を避け損ねると、衝撃で焼け焦げになった。
だが雷の威力がそれでは収まらずベクターの幌までも焼いた。
その燃え盛る幌の隙間からユーグレナは縛られた蒼穹を見つけた。
「スガイソラ!」
ユーグレナは荷台への飛び降り際、再び掌から雷を発生させ牽引役の二体のスライムに浴びせかけた。二体は背中に雷撃を浴び走りながらのたうち回る。
一方、ユーグレナは縛られた蒼穹の元に近寄ると急いで縄目を切った。
「大丈夫ですか?」
「うん、何とか……それよりも」
「説明は後、このまま逃げます!」
二人は速度を緩めたベクターから同時に飛び降りた。
そしてそのまま町の中へと逃げ込む。
「急いで、奴等が追って来るかもしれません!」
二人は走り続けた。しかし上流階級の住む町の中はどこも道幅が広い上に延々と続く長い塀が身を隠すのを邪魔をした。
「仕方ありません。このまま逃げ回りましょう。相手があれで諦めてくれるとは思えませんから……」
「そんな事よりも、あいつら何者なんだ!」
蒼穹は僅かばかり動揺していた。見ず知らずの連中に拉致されどこかに連れてかれそうになったのだから当然だ。
「彼等は御側衆の特戦隊です」
蒼穹の問いにユーグレナが答える。
「特戦隊?」
「御側衆の実戦部隊で、国王陛下の警護が主な役目です。ですが今はキロドネアの私兵と成り下がって方々で暗躍しています」
「どうしてそんな奴等が俺をさらうんだよ!」
「謁見の際、あなたが国王陛下を怖がらせた。と、宰相は言っておられました。凡そ、彼等としては陛下の御気を病む原因を排除する為、実力行使に出た。そんな所でしょう」
ユーグレナの言葉に蒼穹は憤る。あまりにも理不尽な理由だ。王様が自分を怖がるのは勝手だが敵視されて殺されるのでは堪ったものではない。
「でもこれでお判り頂けたはずです。宰相閣下があなたに外出の許可を出さなかった本当の理由を……」
「うん……」
蒼穹はその点に関しては納得せざる得ない。
宰相の庇護の下でも命の危険に晒される。
その現実に蒼穹は両親に会えない以上の幻滅を覚える。
結局、今の自分には郷愁に浸る権利すら無いのだ。
それがどんなに辛い事実であっても受け入れなければ今の自分には未来はない。
そう自覚せずには居られなかった。




