第11話
そんな暮らしを続けて一週間ほど経ったある日、蒼穹が不意にユーグレナに問い質す。
「ノームってブロームもこの王都に住んでいるんだよね?」
「はい、王都の外周にノーム達の住む町が広がっています」
「ふむ、外周か……。なあ、ユーグレナ。外に出てみたいんだけどいいかな?」
「出て何をなされます?」
「今度は自分の目で確かめたいんだ。ノームの町とかも見てみたい」
蒼穹は自分の寂しさを外に向けて紛らわそうとした。それにここに来て一週間が経つ。その間、ずっとこの屋敷の中で引き籠りっぱなしだ。
もはや我慢も限界に来ている。外の空気を思い切り吸って気分を換えたいと思うのは当然の心理だ。
しかし蒼穹の要求をユーグレナは拒む。
「今、あなたが屋敷の外に出る事は危険です。なぜならあなたはまだこの世界の事を知らなすぎだからです」
「判ってるよ。けど、そこを何とか……。あの貰った覆面もしっかり被るし、君が傍に居てくれても構わないから」
「ダメです。閣下からも言われています。今、暫くはここで我慢させろと」
「我慢ってもう一週間も我慢してるじゃないか!」
蒼穹は思わず声を荒げる。
しかしユーグレナは決して首を縦に振らない。
「不満でしょうが今は堪えて下さい。ですが屋敷の中では比較的自由は確保されています。無論、閣下の執務室や誰かの個室には立ち入り禁止ですが」
「ちっ! 判った、そうするよ……」
不満は積もっていたが、結局、蒼穹はユーグレナの言葉に従った。閉じ込められるのが理不尽でも理由があるのなら反論のしようもない。
午後の休憩になるとユーグレナは蒼穹を散歩に連れ出た。
散歩と言っても広大な宰相家の邸宅内の庭を回遊するだけだっだ。だが、それだけでも屋敷内に閉じ込められていた蒼穹にとっては良い気分転換になった……訳でもなかった。
庭園は宰相家の名に相応しく完璧に整備され隅々にまで気配りが行き届いていた。きっと名うての庭師のノームが剪定を行ったに違いない。
一方で植え込みの植生は凄まじいものだった。どれもが陸に上がった海藻の様な代物で一種の禍々しさや毒々しさをこれでもかと醸し出していた。
お陰で庭園は人間の美的感覚とは全く異なる空間を作り出していた。
「こっちにまで生臭さが染み付きそうだ……」
蒼穹が昆布の様な植え込みを指で突きながらつぶやく。
スライム達には何とか慣れてもこの世界の植物だけは一週間経っても脳みそが拒絶する。
結局、その異様な草木のせいで蒼穹の気分は鬱屈が増すだけだった。
「お気に召しませんか?」
蒼穹の気難しい表情を察したユーグレナが訊ねる。
「うん、まあ……前衛的なお庭な事で……」
蒼穹はぶっきら棒に言葉を濁す。単刀直入に変だと言ってやろうかとも思った。
「そんな事よりも……」
「外出の件ならお止めしたはずです。ノームの町には行かせません」
「……」
ユーグレナの素っ気ない言い回しに蒼穹は溜息を吐いた。
「お茶を煎れて参ります。この先のテラスでゆっくり致しましょう」
ユーグレナが離れていくと一人になった蒼穹は傍にあった庭石の上に腰掛けた。
そして何気なく空を見上げた。雲が浮かぶ晴れ模様だった。しかし鳥の姿は見えない。
「当分は食客の身分……いや引きこもり生活が続くのか……」
上げ膳据え膳で寝床付き。宰相の権勢が続く限り生活の保障はされる。
だが閉じ込められたままではヴィーマに殺される前に退屈で死にそうだ。
そして退屈は蒼穹に両親の事を嫌でも思い出させる。
「父さん……母さん……」
失って初めて判る親の有難さ。しかし幾ら呼んでも両親は息子に答えてはくれない。
そう思うと更に気が滅入る。
「駄目だ、駄目だ、駄目だ! もっとポジティブシンキングで行かなきゃ!」
蒼穹は瞼に浮かぶ両親の顔を無理やり振り払うと、自分のこれからの事を考えようと強く言い聞かせた。
「俺に一体、何が出来るのか?」
蒼穹は考える。この世界でも生きていく為に何が必要が? だがその為にはユーグレナの言った通りこの世界の事をもっと知らねばならない。
「結局、今は我慢か……」
辛いが今は黙って勉強を続けるしかない。
「まあ、いいか……。先生は結構、美人でかわいいし」
その瞬間、蒼穹は不意に発した自分の言葉に驚いてみせる。
「ユーグレナが美人だって?」
彼女はスライムだ。造形が美形だからといって異種族に違いない。性的な対象とすべきではないはずだ。だが彼女の下着が目に飛び込んだ時、体が熱くなったのも事実だ。
「スライムに欲情って……」
それは変態的行為のはずだ。それに向こうも同じ考えのはずだ。意思疎通が可能といっても生物として乗り越えられない壁があるはずなのだ。
「弛んでるのかな? 気を引き締めていかないと……」
蒼穹は自分にそう言い聞かせた。
そんな時、庭の隅からボソボソと小さな声が聞こえた。
「旦那さん……。旦那さん……」
それは蒼穹が初めて聞く声だった。
「こっち、こっち……。こっちに来て下さいんなまし」
蒼穹は庭石から立ち上がると声の方に向かった。