大切な時間は、まだ、始まったばかり。
鎌倉の住所通りに。俺の家らしき、建物に着いた。表札には、『藤原』の文字。俺はここに住んでるのか。順子は、言う。
「あんたさ、私、車の中で、待っとくから」
「うん。わかった。余計な事、するんじゃないぞ」
「はいはい。圭吾君」
俺は、財布の中に入っていた、鍵を出しては、恐る恐る、家の扉を開けた。ここが俺の家だと言うことなんだな。玄関で靴を脱ぐ。恐る恐るだよ、全く、もう。イヤだな。リビングらしき部屋に入る。本当だ。ギターが置いてあるよ。俺って、本当にギタリストなんだろうか。記憶が全くない。
「こら、圭吾」
髭面のおっさんが、そこにはいた。そのおっさんは俺の親父ということか。おっさんは続ける。
「お前、今まで、どこで何してた」
「お、俺。すまない、記憶がないんだ」
「記憶がないだと、この野郎。電話ぐらい、普通は寄越すだろうが。このバカが。また、村瀬か」
「はっ。村瀬って何」
「俺はお前の親だぞ。嘘、吐くなよ。お前、村瀬、村瀬と、ずっと、俺に言ってただろうが」
「すまん。おっさん。俺、わからないんだ」
「おっさんとはなんだ。親に向かって言うことじゃないだろうが。えっ。ああ、もういい。お前は部屋で寝とけ。このクソガキが」
「俺の部屋って、どこだ」
「何、寝ぼけたこと言ってる。酒でも飲んだのか、馬鹿野郎。まさか、ヤバイことしてないだろうな。このクソガキが。お前の部屋は二階だ。馬鹿者が。俺は、今から仕事だ。このバカ息子。いいか、もう、村瀬の事を二度と言うなよ。お前の愚痴に俺は疲れるだけだ。約束しろ」
「それは、わかった。村瀬とか、なんとかは俺も忘れたからな。一切、村瀬を俺は知らない。俺は忘れた」
「馬鹿が。それじゃ、寝とけよ。今日は遅くなるからな。こんな昼の三時から、俺は出勤だ。このバカ息子。金ばっかり、俺にたかりやがって。免許ぐらい取って、真面目に働け」
俺の親父らしき、おっさんは、こう言い残し、スーツを着込み、玄関から外へと出ていった。出勤か。
ややこしい奴なんだな、俺って。俺は二階へと上がる。煙草臭い部屋がそこにはあった。そうか、ここが俺の部屋か。赤いレーシングスーツとヘルメットがそこには置いてあった。俺って、レーサーなのか。記憶にない。そうか。俺、順子を下で待たせてるんだ。忘れるとこだった。俺は階段を降りて、玄関に鍵をかけ、順子の車の助手席に乗った。この記憶喪失というのは、何が何だか。
「今、出て行った、背の高い、おじさんって、圭吾君のお父さんなの。私の事、凄く睨んでたよ」
「どうやら、それっぽい。怒られたよ。あの、おっさん、俺の親父だ。100パーセント、間違いない」
「で、今から、どうしようか、記憶喪失、圭吾君」
「だな。どうしよう」
「学校へ行ってみない。何か、わかるかも。北高っていう学校だよね」
「それ、ややこしくならないか」
「いいじゃん。素敵なドラマが待ってるかもしれないよ」
「なんだか、嫌な予感がするんだけど」
「いいの。いいの。お祓いもしたことだし、いい事だらけだよ。圭吾君。きっと」
「きっと。って。順子さんよ、あんたって適当だな」
「そうだよ」
と順子は言い残し、また、大袈裟に笑う。そして、車のエンジンをかけて、学生証に記されていた、北高という俺の母校らしき学び舎へと向かうことに。ああ、この先、どうなるのだろうか。俺と云う人間よ。記憶って、なんだ。