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お面の婚約者

作者: ベジタ坊

コメディ、になっているといいなぁ……

 それは事故だった。

 婚約を結んだ殿下と二人、広大な侯爵家の庭で遊んでいた時だ。

「! 殿下‼︎」

 護衛騎士の切羽詰まった声に顔をあげると、ぷよぷよしたスライムがいた。殿下が一番それと近くて、スライムは護衛騎士の殺気に驚いたのだろう。体液を発射した。

 スライムは威嚇のために酸を吐く。

 子供でも知っていることだ。決して触れてはいけない強い酸。それが殿下に向かって吐き出された。

 二人で遊ぶから、と騎士を遠ざけていたのが仇になった。考える前に体が動くというのは、きっとあのことを言うのだろう。

 気づけば私は、渾身の力で殿下に体当たりを敢行していた。不敬だなんだと言ってはいられない。

「あ、あ、あああああっ‼︎」

 酸がかかったのは、私の顔の右側。ジュッという音とともに、激痛が駆け抜けた。あまりの痛みに身悶えることしかできない。

 周りの音など聞こえず、脳天を突き抜ける痛みに、やがて私は意識を失った。

 殿下と私が十二歳の時の事である。


 * * * * * * * * *


「お嬢さま、先ほど殿下がお戻りになったそうです」

「まあ、そうなの。今回はどのくらいいらっしゃるのかしら?」

「お戻りになった、と申し上げましたでしょう? 遊学が終わり、この国に帰って来られたのですよ」

 侍女の言葉に、胸を騒がせる。侯爵家スライム事件から、五年の歳月が流れた。

 五年間、殿下はほとんど国外にいた。一時帰国と称して帰ってくることはあったが、すぐにまた別の国へと遊学に行かれる日々だったのだ。

「そう、そうなのね。……ところで殿下は、今どちらにいらっしゃるのかしら?」

「応接室にて、お嬢様をお待ちになっています」

「……殿下はいつ、帰国したと?」

「つい先ほど、でございます」

 侍女の言葉を聞くが早いか、私は部屋を飛び出した。応接室まで一息に駆け抜ける。およそ令嬢らしからぬ行動だとわかっていても、我慢できない。

「殿下‼︎」

「久しぶりだな、元気だったか?」

 少々くぐもった声に挨拶される。

「殿下、きちんと関係者の方々に挨拶はされましたでしょうか? 王子の帰国です、然るべき手順がございますでしょう?」

「いや、まだだ。それより、その他人行儀な態度は何だ。婚約者だろう? 楽にしてくれ」

「まああ! まずは挨拶してからうちに来てって、もう何年も言ってるでしょう! あと、他人行儀にもなります、なんなのですかそのお面! 人? バケモノ!? なんか恐い!」

 私の怒声に耳を貸さず、殿下は悠々とした雰囲気を醸している。これなら馬に教書を読み聞かせた方がまだ建設的かも知れない。

 私の話が右から左な殿下は、世にも奇妙な面をつけていた。真っ赤な顔で、やたらと鼻が長い。口を開いてこちらを睨みつけるような形相は恐怖をあおる。

「これはな、テング、という生き物だそうだ。目にも止まらぬ速さで動き、不思議な術を使うらしく」

「お面の説明はいいです! あなた、せめて陛下には挨拶したんでしょう? しましたよね!?」

「いや、まだだ。やはり帰国して真っ先に会うべきはあなただと」

「さっさと挨拶して来なさい、お面殿下ー!」

 一息に叫ぶ。

 私は、侯爵家の令嬢として、王族の婚約者として、身分にふさわしい立ち居振る舞いを身につけている。常に令嬢らしくあろうと心がけてもいる。しかし、どうもこの殿下を前にすると、礼儀作法がどこかへ行ってしまうのだ。

「わかった、わかった。ではとりあえず陛下に挨拶してこよう。玄関までエスコートしてくれるか?」

 ソファから立ち上がった殿下に近寄ると、腕を組まれた。スライム事件以降、屋敷の中だけだが、私が殿下をエスコートするのは珍しいことではない。

 殿下の様子を見ながら、慎重に玄関まで案内する。

「またすぐ会いに来る」

「……ごきげんよう」

 上機嫌な雰囲気を振りまいて、殿下は王宮に向かった。

 殿下は私の顔に広がる傷跡に全く触れない。スライムに溶かされたのは、右目から頰にかけて。

 おかげで、私の視界は半分しかない。

 酸で爛れた顔は醜い。常に風にさらしていないと、すぐに蒸れて痒くなるため、布で覆うことも難しい。隠すことのできない顔について、殿下が何か言ったことはない。

 当然だ。殿下は事件以来、私の顔を見ていないのだから。


 スライムに襲われた後、殿下は何度もお見舞いに来てくれた。その度、私は殿下を拒絶した。ひどい言葉を投げつけたこともある。

 殿下は一度も怒ることなく、時間を見つけては私の元を訪れた。

「どうしても、どうしても……! 私は、殿下にこの顔を見られたくないの!!」

 通い詰める殿下の気持ちが嬉しくて、変わってしまった自分の顔を受け入れられなくて。

 どれほど拒絶しようと、扉越しに会いに来る殿下に、どうしようもなくなって叫んだ。殿下は一言、「そうか」と言ったっきり、ぱったりと屋敷に来るのを止めてしまった。

 ついに婚約解消かと、幾ばくかの安堵と大きな不安に包まれたのも束の間。

 殿下は再び屋敷にやって来た。

 バケツを被って。


「お前は俺に顔を見られたくないと言ったが、会いたくないとは言われてない。だから、お前に会えるようにしたぞ」

 殿下はどうやら、私と会うために自分の視界を塞ぐ、という結論に至ったらしい。

 扉越しに説明されて愕然とした。殿下は、婚約者のために間抜けな姿を晒すことも厭わないのだ。

 そこまでされて引きこもることはできない。ずっと閉じていた扉を、自分の意志で開いた。

「殿下……」

「ほら、今日はお前の好きそうな本を持って来たんだ。俺に読み聞かせてくれ」

 こちらが見えていない殿下は、明後日の方向に本をさしだしている。その姿に、思わず笑ってしまった。おかしいのに涙が止まらない。笑い続ける私につられて、殿下も笑い出した。

 結局その日は笑い疲れて、本を読むどころではなくなった。


* * * * * * * * *


「見ろ、どうだ、このツノ! かっこいいだろう!」

「殿下が動くたびに周りにぶつかりそうで危ないです、外してください」


「ふふん、今度のはすごいぞ、馬の尻尾の毛をつけてみた」

「抜け毛がひどいのでやめてください」


「神話の怪物をモチーフにしたん――」

「怖い、帰って!」


* * * * * * * * *


 殿下は屋敷に来るたびに違うお面をつけて来た(最初のバケツは、脱げそうだからやめたそうだ)。共通しているのは、顔を覆う形状だ。どれも決して外れぬよう、外が見えないよう作られている。殿下が遊学に行くまで、お面訪問は続いた。

 お面を被って傷物の婚約者に会いに来る、という奇特な行動も、広い世界を知ればなくなってしまうのかと寂しく思った。

 そんな私の感傷を裏切り、年に一、二度帰国するたび、遊学先のお面技術を身につけて来たのには驚かされた。

 最早彼の中で、私に会うのにお面をつけるのは普通のことらしい。


「きちんと父上や宰相たちに挨拶をして来たぞ」

 殿下が屋敷を訪れた。前回追い出してから一週間も経っていない。帰国のパーティーなどもあるだろうに、こんなに私の元に来て大丈夫なのだろうか。

「殿下。殿下の帰国を祝うパーティーが開かれるのではありませんか?」

「ああ、開かれるな」

「その準備はよろしいのですか?」

「大半は父上がやってくださる。俺は今一番必要なものの準備をしているんだ」

「必要なもの?」

 おもむろに殿下がお面を脱いだ。狼の頭を模した木彫りの面だ。あまりに唐突で、そして自然な動作に、私は制止することができなかった。

 お面の下から現れた殿下は右目を瞑っていた。私の許可なく決して顔を見ないその意思表示はとても魅力的だが、私はそれどころではなかった。

「殿下、それ、は」

「三年ほど前だったか。熊の毛をお面に使えないか、と画策してる時にちょっとな」

 殿下が私の顔を見ていないように、お面の下の殿下の顔を、私もまた見ていないのだと、その時初めて気がついた。

 数年越しに目にした殿下の顔は、記憶にあるものより精悍さを増している。少年の面影を残しつつ、青年のしなやかさがあふれる姿は、まさしく王子の称号にふさわしい。

「その、左目は」

 美しい殿下の顔には、痛々しい疵が走っていた。額から左目にかかる疵は、殿下の言うとおり古いものなのだろう。周囲の皮膚は引き攣れ、隆起している部分もあった。

「俺はお前とダンスを踊りたい。人の集まりが苦手なのは知ってる。デビューもきちんと出来ていないのも。でも、俺はお前とパーティーに出て、正式なパートナーになりたい」

 殿下の瞳は閉じられたままだ。瞼越しの強い視線を感じる。

 私は社交界にデビューする前に傷物になった。家の主催するパーティーでデビューだけはしたが、陛下の出席する場には出たことがない。それでは正式なデビューとは言えない。

 私と殿下の婚約は、すぐに解消されるものだと思っていた。だから、デビューできずともかまわないと思っていたのだが。

「王位を継ぐのは弟だ。俺はこのままお前と婚姻を結び、侯爵家の婿となって臣下に降る」

「え? どうして?」

 素で聞き返してしまった。殿下は第一王子だ。王太子だ。王妃様は一人だけなので、妾腹だのという問題があるわけでもない。

 確かに私は一人娘だが、親戚から男児を迎え入れることになっていたはずだ。

「片目では、王としての責務は担えない」

「いえ、でも殿下は優秀なのですから」

「ええい、まどろっこしいな」

 殿下が私の手をつかんだ。まだ目は開けない。どこまでも優しい人だ。

「俺は、お前のためにお面を被っていた。お前に会うためのお面を作るときに、片目を失った」

「ええ、はい」

「俺は、国よりもお前を優先してしまったんだ。国王は一人のためには死ねない。だが、俺はお前のために危険に飛び込んでしまう」

 熱烈な愛の言葉を告げられている気になってきた。

「俺は、お前が好きだ。俺のためにお前が身を投げ出してくれたように、俺はお前を守りたい」

 顔が熱い。殿下からこんな愛の告白を受ける予定はなかった。心の準備が出来ていない。

「どうか、俺の気持ちを受け入れてくれるなら、お前の顔を見つめる権利をくれ」

 殿下の手が震えている。緊張しているのだろうか。

 私が十二の時に殿下を庇ったのはなぜだろう。好きだったからだろうか。わからない。

 しかし、今目の前で手を握って、真摯に私の返事を待つ殿下は、ずっと私のことを大事にしてくれた殿下だ。私に会うという自分の目的と、顔を見せたくない私の願いを、両方叶えた殿下だ。

 いまだに目をつむり、私の願いを尊重してくれる殿下を、好きにならない人間などいない。そして、私以上に殿下を好きな人間もいないと断言できる。

「……殿下、目を、開けてください」

 殿下の手を握り返す。声が震えるのはどうしようもない。

 醜いと言われたらどうしよう、やっぱり嫌いだと言われたらどうしよう。

 毎朝鏡で見る自分の顔はよく知っている。緊張で顔が強張る。

 殿下の瞳が開かれた。五年ぶりに美しい空を見た。

 幼い頃は二つ輝いていた紺碧が、今は一つしかない。一つだけでも衰えない、むしろ輝きを増した瞳がまぶしい。

 殿下は、私の顔を見た殿下は、笑った。ずっと、お面の下でこんな顔をしていたのだろうか。だとしたら、それを見逃していた私はなんと愚かだったのだろう。

「綺麗だ、とても。俺を守ってくれた、強いお前が好きだ。これからは俺が守るから。どうか、俺と結婚してほしい」

 感極まって頷くことしか出来ない。殿下に抱き寄せられ、至上の幸福に酔いしれる。

「これでパーティーの準備ができたな」

「パーティー?」

「ああ、俺の帰国の報告と、正式に弟が立太子するお披露目のパーティーだ」

「! 今一番必要なものって、まさか」

「ああ、パートナーだ」

 殿下が私の手を強く握る。先ほどのような甘さはない。逃がさない、という気迫だけが伝わってくる。

「お待ちください殿下。もう少し、小さなパーティーから慣らしてですね、いきなりそんな大舞台は、とてもとても」

「安心しろ、誰だって最初は初めてなんだ」

「いえしかしですね」

「お面のことは心配ない。俺が責任を持って、俺とお前にふさわしいお面を用意する!」

「いえその心配はない。……お面?」

「ああ、お面だ。俺が付けていた」

「俺と、お前?」

「ああ、俺と、お前」

 俺、で殿下自身を指し、お前、で私を指す。まさか二人でお面を付けてパーティーに出席するというのか。仮面舞踏会でもないのに?

 良い注目の的になるだろう。

「お前は素顔で出てくれるか?」

 不満げな私の表情を読み取って、殿下が聞いてきた。確かに、隠す物がないのは心許ない。私たちの顔は、口さがない者達の恰好の餌食だろう。だからといって、奇抜なお面が良いわけではない。

「安心してくれ。とびっきり似合うお面を作るから」

「作る? 殿下が?」

「遊学で学んだ技術は伊達じゃないぞ」

 渇いた笑いが漏れる。他国で学んだことがお面づくりとは。なんとも殿下らしい。

「そろそろ時間だ。次会うときは、俺が完璧にエスコートしよう」

 額に軽く唇を付けて、殿下が去って行く。視界をふさぐお面がないため、私のエスコートが不要なのだ。

 今度は、私が殿下にエスコートされる。想像すると、なんとも言えない甘酸っぱさが胸にあふれた。


 * * * * * * * * *


 きらびやかなシャンデリア、色とりどりのドレス、絢爛豪華な内装。

 さすが王家主催と言うべきか、パーティーは贅をこらしたものだった。

 多くの貴族であふれる中を、私は殿下と二人で過ごしていた。

 殿下の帰国、殿下の廃太子、弟王子の立太子、そして殿下の臣籍降下。一度に多くの事が発表されたパーティーは混迷を極めるかに思えたが、意外と素直に受け入れられた。

 殿下が素顔を晒したのと、弟王子が優秀だったからだろう。

 私は今、殿下にエスコートされ、社交会デビューを果たしていた。私に近づく人はあまりいない。殿下が常に私に寄り添っているからか、もしくはお面が悪いのか。

「殿下、あの」

「俺はもう殿下じゃない」

 確かにそうだが、まだ殿下と呼ばせてほしい。

「踊るか」

「え、いえ、待って」

 私の返事を聞かず、流れてきた曲に会わせて殿下が私の体を動かす。強引だが無理のないリードに、自然と体が動く。だんだん私も楽しくなってきた。

 考えてみれば、殿下と踊る機会などなかった。婚約成立後すぐスライムに襲われ、引きこもっている間に殿下は遊学。会いに来てくれても夜会に出席などしない。

 初めてのダンスの相手が好きな人、というのはなかなかロマンチックだ。

 そっと顔を上げると、優しい笑みが降ってきた。

 男らしくも柔らかいその顔の左半分は、緑のお面で覆われている。仮面と言うべきかもしれないが、何も偽っていないのでお面なのだそうだ。

 目の部分には上質のエメラルドがあしらわれ、シャンデリアの光を受けて輝いている。

 私の顔の右半分には青いお面。瞳にはサファイアが光っている。

 私の顔には殿下の瞳が、そして殿下の顔には私の瞳がある。

「ふふふ」

「どうした?」

「いいえ、私、失くしたのが右目でよかったと思って」

「?」

「だって、殿下と並ぶと殿下の見えない部分を私が見られるから」

「それなら、俺も左でよかったよ。お前の見えないところを俺が見ていられる」

「でも、並んで歩くと顔が見えないのが残念」

「なら、ずっと踊っているか!」

 それも良いかもしれない。殿下と私、二人で二つの目を持って、互いの見えない部分を補う。

「殿下、私、殿下と婚約できてよかったです!」

「俺もだよ。お前と婚約できたことが、そして結婚できることが、何よりの幸せだ」

 殿下のために疵を負った私。私のために疵を負った殿下。

 胸にあふれる幸せが、きらきらと輝いていた。


お読みくださりありがとうございます

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― 新着の感想 ―
[一言] 殿下すっげえかっこいいな 現実がこんなやさしい世界ならいいのにと言う愚痴
[良い点] なろう に蔓延る王子という名の(ピーッ)どもに見せてやりたい漢の姿。 お幸せに。 [気になる点] タグとしてはコメディというより、純愛かなぁ。 二人の姿を見続けてきた周囲の人から見れば思わ…
[良い点] なろうに出てくる王子に性格が良いのがあまりいないので、この誠実さは新鮮に感じます。 [一言] 感動した!殿下、イイ男だなぁ。
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