忌まわしくも魅惑的な
今回も短編でお邪魔いたします。
どうぞよろしくお願いします!(* ̄▽ ̄)ノ
姉はとても痩せている。
モデルの様にスリムなのだ。顔もとても綺麗だ。
比べて私はとても太っている。
体積はきっと姉の二倍、いや三倍はあるだろう。
顔は不細工と言わないまでも、別嬪では無い。
同じ両親から生まれたと言うのに、どうしてこんなにも違うのか。
それが本当に不思議でならない。
しかし、実は姉も過去は太っていたのだ。今の私と同じぐらいだったと思う。
姉も私も幼い頃から沢山食べた。
ピザとかフライドチキンとかミートソーススパゲティとか、そういう脂っこいものが大好物で、それらをテーブルに隙間無く並べては、ふたりでがっついた。
そんな食生活を続けていたのだから、太るのは当然だ。痩せていた時期なんて無かったのかも知れない。
母などは「あまり食べ過ぎないで」と言い、ヘルシーな食事を出されたり量を減らされたりした。
が、そんな事をしても姉と私はコンビニやスーパーに走り、好物を大量に買い込むのだから、母は大きく溜め息を吐いて諦めた。父はそれを微笑まし気に眺めていた。
母が作る料理はどれも美味しかった。だから私たちは食欲の赴くまま食べ続けた。
母が突然亡くなった。
その詳しい原因を私は知らされなかった。
父は『病気だった』としか言わなかった。
姉は私が母の話を持ち出しても、気まずそうに苦笑するばかりだったから、多分知っていたのだろう。
だが姉の様子を見て、それ以上質そうとは思わなかった。
姉が急激に痩せ出したのはその頃だった。
母が亡くなったショックで、私ですら一時的に食欲が落ちた。
消沈のまま、それでも間もなく食欲だけは元に戻り、自分で作った大して美味しくもない炒飯や、出来合いのフライドポテトなどを流し込んだ。
姉も食欲に関しては私と同じだった。
しかし姉は痩せ始めたのだ。
体重は私だって少しは落ちた。たった二キロ三キロ程度だったが。
それも食欲が戻ると同時にすぐに元に戻り、それどころか更に増えた。
なのに、姉はそうならなかった。
私と同じ様に脂っこいものを食べ続けているのに、太るどころか痩せ続けたのだ。
不思議に思って聞いてみた。
「お姉ちゃん、どうして今まで通り食べてるのに痩せるの?」
すると姉は、微笑みながら言った。
「内緒」
まるで語尾に音符でも付いていそうな軽やかさだった。
痩せたい訳では無かったが、それでも知りたかったので、更に詰め寄ろうとした。
だが姉は穏やかな、しかし何かを諦めた様な表情になって言った。
「そのうち教えてあげる」
そう言われてしまったら、私も引き下がるしか無かった。
姉は一か月ほどで、モデル並みにスリムになり、顔も綺麗になった。
その間も食べ続けたに関わらず、だ。
片や私は、まだまだ太り続けていた。
もうここまで来ると、あまり多く増える事も無かったが。
既に私の体形はダルマの様になっていたのだ。
健康診断で医者に『痩せましょうね』と言われても、構わず食欲のままに食べた。
もう母が作った美味しいご飯は食べられなかったが、惣菜や冷凍食品、レトルトなどの美味しいものを見付けたり、たまには自分で簡単なものを作りながら、唐揚げなどを頬張った。
痩せたいとは思わなかったが、常に身近にいる姉が、私と同じだけ食べていてスリムで綺麗なのだから、流石に羨ましいと思う様になっていた。
それでも止められない食欲に、私は徐々にジレンマを感じる様になっていた。
母が亡くなって二年後、今度は姉が倒れた。
突然の事だった。
リビングでソファに座り、ポテトチップスを摘みながらテレビでバラエティを見ていた時だった。
口に入れようとしていたポテトチップスを落としたかと思うと、そのままぐらりと前に倒れ込んだのだ。
その時に額をガラス製のテーブルに強かに打ち付け、傷を負って流血した。
「お姉ちゃん? お姉ちゃん!」
私は驚いて叫び、狼狽えた。
おろおろとその場でたたらを踏み、やがて救急車の存在を思い出した。
慌ててリビングの隅にある固定電話から119番に掛けた。
焦っていて電話口で何を喋ったのかはあまり覚えていない。
多分まともに言葉になっていなかっただろう。
それでも救急車は来てくれた。
ぐったりと意識の無い、真っ白な顔をした姉が救急車に乗せられ、私も同乗した。
車内は丸々と太っている私には狭くて、出来る限り救命士の邪魔にならない様に、脂肪だらけの身体を隅に押し付ける様にして縮こまっていた。
病院に到着し、姉はまず処置室に運び込まれた。
だが結果、されたのは額の怪我の治療のみだった。
血液検査やレントゲン、心電図に脳波など、出来得る限りの検査を病院はしてくれた。
だがどこにも異常は見られなかったのだ。医者も首を傾げていた。
しかし姉の意識は戻らず、そのまま入院となった。
入院中の姉を心配しながらも、私は食べ続けた。
その頃には流石に私の料理の腕も上がっていて、母の味に近付いて来た様に思う。
サクッと揚がった豚カツも、ベーコンをこれでもかとたっぷり入れたナポリタンも美味しく出来た。
父と私は毎日病院に行った。
しかし姉は意識を失ったままだった。
腕には点滴の針が刺さり、口には酸素マスクを当てられ、横たわる姉は見てるだけで辛かった。
どうにかしてあげたいと行く度に思った。
しかし医者でどうにもならないものが、父や私にどうにか出来る筈も無い。
毎日毎日、ただ姉の真っ白な寝顔を見て、しょんぼりと帰るだけしか出来なかった。
口から栄養を摂る事が出来なくなった姉は、ますます痩せて行った。
頬がすっかりとこけ、眼の下が窪み始めてしまっている。
その姿は『痩せている』では無く、明らかに『やつれている』である。
それもまた姉の痛々しさを誘った。
姉が倒れてから一週間が経とうとしていた。
原因はまだ判らない。
毎日様々な検査をしているのだが、やはり異常が見付からないのだ。
発見が難しい難病の可能性もあるとの事で、担当医を始め院内中の医者が関わっているらしいのだが、それでも判らなかった。
「パパ、お姉ちゃん大丈夫よね……?」
「ああ……」
父と私は不安に苛まれながら、そんな会話を繰り返す事しか出来なかった。
言葉数はすっかりと減り、笑顔も消えていた。いつも通りなのは父の仕事と私の学校、そして食欲だけだった。
病院から家に電話があったのは、姉が入院してから二週間程が経った頃だった。
「お姉さんの意識が戻りました」
看護師の声でそう言われた途端、私は嬉しさで眼を見開いた。
良かった!
心の底からそう思った。
これでお姉ちゃんは大丈夫。だって身体に悪いところは無い筈なんだもの──
私は早速、仕事中の父の携帯に電話をした。
「解った。会社から直接病院に行くから、病室でな」
そう言った父の声は不思議ととても落ち着いていたが、私は喜びで一杯になっていて、それどころでは無かった。
転がる様に姉の病室に入る。父はまだ来ていなかった。
「お姉ちゃん!」
叫ぶ様に呼ぶと、姉はゆっくりと私を見て微笑んだ。
しかしその痩せこけた表情に力は無く、私の胸が小さく傷んだ。
でも大丈夫。意識が戻ったのだから、これからお姉ちゃんは元気になる筈。
私は自らにそう言い聞かせながら、ベッドの傍らの丸椅子に掛けた。
「良かった〜 お姉ちゃん、急に倒れちゃうからびっくりしたよ。でももう大丈夫だよね」
さっき自分に言い聞かせた事をあらためて口に出す。
こうする事で、本当に大丈夫なのだと、更に思い込もうとしていた。
おかしい。
本当に大丈夫な筈なのに、どうして私はそうしようとしているのだろうか。
意識が戻ったとは言え、具合の悪そうな姉を眼にしているからだろうか。
急激な不安に駆られる。
私はちゃんと笑えているだろうか。
頬が引きつっている様な感覚があった。
姉はそんな私を見て、また微笑んだ。まるで何かを悟っているかの様な表情だった。
「あんたに大事な話があるの。本当はこんな事になるまでに話しておくべきだったんだけど」
姉は弱々しく、だが思った以上にしっかりした声で語り始めた。
「うちの一族の女性にはね、呪いがかけられているの……」
それがいつの事からなのか、何故なのかは判らないと姉は言った。
しかしそれは代々女性に降りかかるものなのだと言う。
かかった女性は、まるでモデルの様に痩せるのだ。
そして顔も美しくなる。
しかしそれと引き換えにされるのは、生命。
かけられた瞬間から、痩せた体重分に反比例して、残りの寿命が決められる。
「私が死んだら、呪いはあなたに移る。私はママから継いだの。ママはもともとそんなに太ってなかったらしいから、寿命も長めだったのね。でも私は凄く太ってたから、短かった。でもたった二年だなんてねぇ……」
姉はそう言って、力無く笑った。
「でもね、その呪いを継ぐかどうかは決められるの。あんたが継がなかったら呪いは消滅するしかない、と思う。親戚縁者は少ないし、女性はいないから。いたら、他の子に行くんだって。ちゃんと考えてね。私は痩せて綺麗な人が羨ましかったから、あまり深く考えずに受けちゃったから」
痩せられる?
こんなに太った私が痩せられるの?
私の気持ちは安易に大きく傾いていた。
その呪いを受け入れる方向に。
その時、父が病室にやって来た。
意識を取り戻した姉を見て安堵した表情をし、もうひとつあった丸椅子に掛けた。
その二日後、姉は亡くなった。衰弱死だった。
姉の葬儀が終わったその夜、泣き疲れて呆然とする私の頭の中に声が流れて来た。
「呪いを受けますか? 受けませんか?」
抑揚の無い女性の声で、まるで役所の窓口で手続きでも受けているかの様だった。
私は迷わず口にした。
「受けます」
すると、また声が流れた。
「承りました」
本当に事務的な手続きみたいだな。私はついおかしくなって笑みを漏らした。
それから私が痩せ始めるまで、時間は掛からなかった。
食べても食べても痩せて行く、それが嬉しくて堪らなかった。
痩せたいと思わなかったのは、以前の話。
姉は痩せ始めて綺麗になると、友人が増え、男性にも言い寄られ、毎日がとても楽しそうだった。
羨ましかった。
それまでと変わらず食べ続けている癖に、狡い、と思ってしまっていたのだ。
生命を懸けているとも知らずに。
これから私の寿命が尽きるまで、どれぐらいなのかは判らない。
私は当時の姉より太っていたから、多分姉よりも短いのだろう。
時限爆弾を抱えている気分だ。
この呪いは、きっと私で終わるだろう。
私には子供はいないし、死ぬまでに産むつもりもないし、親戚縁者に女性はもういない。
姉に嫉妬した事、……姉の死を密かに待ってしまった事、生命より見た目の美しさを取ってしまった親不孝、それらの罪は、この忌まわしくも魅惑的な呪いを終わらす事で許して欲しい。
「お父さん、ごめんね」
父は呪いの事は母から聞いて知っていたのだと言う。父は寂し気に笑うと『いいさ』とポツリと言った。
もうすぐ三つめの魂が手に入る。
男は先程まで浮かべていた寂し気な微笑を引っ込め、代わりに邪悪に口元を歪める。
その口には尖った牙が覗いていた。
この俺を好きだと言い、自分自身も、俺と繋がる事で産まれるであろう娘も引き換えにした、愚かなひとり目は長かった。
が、ふたり目は早かった。三人目もきっと早いだろう。
あんな女でもやはり娘の事は可愛かった様で、太らない様にと抗ったりもしていたが、無駄な事だった。
娘を食べなければならない様に組み込んで産ませたのは俺だ。
敵う筈が無い。
お陰で旨そうに丸々と太ってくれた。
最後の三人目が手に入ったら、ひとまず住処に戻ろうか。
それとも次を探そうか。それはまたその時考えれば良いか。
男は三人目が煎れてくれた、湯気の上がる緑色の液体を喉に流し込んだ。
ありがとうございました!(* ̄▽ ̄)ノ