表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋愛免許証 ~無免許恋愛は法律違反~  作者: 朝比奈 架音
第3章 恋と涙と逃亡者編
20/49

第19話 『感謝の気持ち』

 爽やかな風が、緑の木々を揺らす。


「バス停での……」

「絆創膏の……」


 まぶしい青空の下で、僕たちは顔を見合わせた。


 目の前の女性と女の子。

 それは、この前バス停で会った親子だった。

 あのとき、転んだ女の子に持っていた絆創膏を貼ってあげたのだ。


 エリカの間違いが人の役に立った一時(ひととき)だった。


「この間は、ありがとうね」

「い、いえ、気にしないで下さい」


 微笑む女性に、僕は慌てて答える。

 タイトなTシャツとスカート、揺れる長い髪に、胸が一瞬熱くなった。


「ところで……こんなところで何してるの?」


 首を傾げる彼女。


「いえ……ちょっと道に迷って……」

「道に迷った?」


 その瞬間――


 ぐ~~~


 僕のお腹が大きな音を立てた。


「あ……や……こ、これは……」


 そんな僕に、彼女はアハハと笑う。


「良かったら、うち来ない? この間のお礼も兼ねて、何かご馳走するわよ」

「えっ……」

「それとも、これから用事あった?」

「い、いえ、そんなのはないんですけど……ただ……」


 僕は、自分の服を見た。


「車、汚しちゃうかなって……」


 川で濡れたまま山歩きした体は、泥と葉が沢山ついていた。


「ふふ~ん、大丈夫」


 そう言うと、彼女は車から1枚のレジャーシートを取り出す。

 そして、それを助手席に敷いた。


「これなら、少しくらい汚れてても大丈夫でしょ」

「よ、用意がいいんですね……」

「小さい子がいるから、こういうのは慣れっこなのよ」


 そう言って笑う彼女の顔は、青空のように澄み切っていた。




「私、藤堂(とうどう) 琴乃(ことの)。ヨロシクね!」


 ハンドルを握る彼女は、前を向いたまま言う。


 「あたし、由梨(ゆり)


 後部座席のチャイルドシートから、薄桃色のワンピースに身を包んだユリが、足をバタつかせて言う。


「あ……僕、梨川 学司……です」

「んー、元気ないなぁ!」


 コトノさんは唇を尖らせ、


「でも……まぁ、しょうがないか! 私もお腹減ってたら元気出ないしね」


 そして、1人で納得して、明るく笑っている。


「ねー、おにーちゃん、あのねー! あたしね、弟もいるんだよー!」

「え? 弟?」


 ユリちゃんの言葉に、バス停でのシーンを思い出す。


「……ああ、そう言えば」


 確かにあのとき、もう1人小さな男の子がいた。


 ユリちゃんの隣りの席にある、青いチャイルドシート。

 それが、その子の席なのだろう。


(めぐる)って言うんだよー」

「メグル君かあ」

「うんっ! メグルは、あたしと一緒に幼稚園に行ってるの」


 幼稚園……

 懐かしい響きだ……


 元気に話すユリちゃんに、妹のエリカの姿を重ね、僕はそっと微笑んだ。


 でも……

 こんなことが本人に知られたら――


「エリカ、そんなに子供じゃないもん!」


 とか言って怒るんだろうな……


 僕は思わず苦笑した。


 ……って、あれ?


「ユリちゃんは、幼稚園お休み?」


 その言葉に、ユリちゃんはコックリとうなずく。


「あたしねー、今日は咳コンコンのキツネさんになっちゃったの」


 そう言って、わざと咳をする。


「朝、ちょっと咳が出て、グズってたから、お休みにして病院に行ってきたのよ」


 コトノさんが補足し、車内に取り付けられた鏡で我が子の様子をチラリと見た。


 僕はその鏡を知っている。

 振り返らなくても、チャイルドシートの様子が見られる便利なアイテムだ。

 母さんも、エリカがまだ小さかった頃に使っていた。


「それで、今がその帰りってわけ」

「なるほど……」

「今は、こんなに元気なのにね」


 僕が振り返ると、ユリちゃんは無邪気な笑顔を見せる。

 コトノさんは、仕方ないという風にため息をついて苦笑した。




 車は山を抜け、なだらかな道を走る。

 まだまだ自然は多いけど、ぽつりぽつりと民家も見え出した。


「……それで、君は?」

「え?」


 不意に話を振られ、困惑する僕。


「あんなとこ、1人で歩く人なんて、なかなかいないよ?」

「僕は……」


 一瞬、頭に教習所、そしてミサキの顔が浮かぶ。


「僕は……」


 ミサキと過ごした教習所での日々が蘇り、僕は思わずうつむいた。


 偶然の再会。

 技能教習のときに握った手。

 温かく、柔らかな温もり。

 月明かりの下、2人でヤマボウシの白い花を眺めたりもした。


 心と心が触れ合って――

 そして、それを恋と認識して――


 ミサキも、僕と同じ気持ちでいるものだと思っていた。


 でも――

 それは違っていたんだ……


 こんな苦しみが待っているなら、もう恋なんかしない方がいい。


 そもそも、陸上からも教習所からも……

 そして……

 ミサキからも逃げ出す僕に、人の心に触れる資格はないのかもしれない。


 僕がいなくても世界は回る。

 僕なんかいなくても、きっとみんな気にしないだろう。


 そう、僕なんか……


「な、な~んか、ワケありねぇ」


 深く肩を落とす僕に、コトノさんは頬をかいた。


「僕なんか……僕なんかが……」


 久しぶりに襲い来る負の感情。

 心身共に疲れきった僕に、それに抗う術はない。


「……ねぇ」


 そのとき、不意にコトノさんが車を止めた。


「何を悩んでるかはわからないけど……」


 その顔は、真っ直ぐ前を見詰めたまま。


「無責任かもしれないけど……若い頃はいっぱい悩んでいいと思う。

 悩んで、苦しんで……

 それで少しずつ大人になっていくものだから」


 風が、その長い髪を揺らしていく。


「……でもね!」


 不意に、ハンドルを握る手に力が入る。

 コトノさんは、ゆっくりと振り向いた。


「“僕なんか”なんてこと、言わないで」


 その瞳は、とても真剣だった。


「君には君の魅力があるはずだから」

「僕の……魅力?」

「そうよ。小さい子に手を伸ばす、優しい心を持っているんだから」


 そう言って、コトノさんはチャイルドシートの愛娘に微笑む。

 ユリちゃんも、ニッコリと微笑みを返した。


「助けたって言っても、あれくらい……」

「それでも、私たちは君に感謝した。

 君には何でもないことでも、私たちは凄く嬉しかったのよ」

「そ、そんな……」

「ふふ……君はまだ若いんだし、焦ることないわよ」


 戸惑いを隠せない僕に、コトノさんは優しく言う。


「いっぱい悩んで大きくなれ、少年!」


 そして、Vサインをビッと突き出してきた。

 落ち込む僕を力付けようと、明るく振る舞ってくれているのだろう。

 その優しさが、素直に嬉しかった。


「ありがとう……ございます……」


 そう、つぶやくように言い、静かに顔を上げた。

 僕を見詰めているコトノさんと目が合う。


「す、すみません……初対面の人に、こんな姿……」


 不意に恥ずかしさが込み上げて、思わず謝罪が口から漏れた。


「ふふっ、若い頃はありがちなことよ」


 そう言って笑う。

 その笑顔に、少しだけ心が軽くなった気がした。


「それじゃ、行くわよ!」


 コトノさんは前に向き直ると、アクセルを踏んだ。

 排気熱を感じさせるエンジン音が辺りに響き渡る。

 赤いオープンカーは、風を切って再び走り出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ