第14話 『月光』
「へへへ~」
目尻が下がりっぱなしの僕。
それは、夕食の時間を迎えてもそのままだった。
その理由は簡単。
ミサキと、手を繋いじゃった……
午前中の実地教習の出来事だ。
この左手……
ミサキの優しい温もりが、今でも蘇ってくる。
合宿に来て、本当に良かった!
僕は、その温もりを逃がさないよう、力いっぱい手を握り締めた。
「なにを、ニヤニヤしてるのかな……?」
リオさんが怪訝そうな瞳で見つめながら、隣の席に腰を下ろす。
「確かに、ここのご飯は美味しいけどさ……」
そう言って、リオさんは自分の皿の上のエビフライを箸でつまみ上げた。
「だからって、ニヤニヤしてガッツポーズ?
……ちょっと気持ち悪いよ?」
「う、うるさいなぁ、そんなんじゃないよ!」
一気に夢から覚める。
まったく、幸せな気分が台なしだよ……
唇を尖らせながら、僕はエビフライを口に運んだ。
その瞬間――
「……ん!? こ、これは……!」
僕は、思わずエビフライを見つめた。
カラッと狐色に揚がった、香ばしい衣。
口の中でサクサクと音を立てて弾け飛ぶ。
その衣の下から現れた海老。
それは、プリップリの触感でボリューム感満点だ。
海の恵みがギュギュッと濃縮されたような味が、口の中いっぱいに広がっていく。
そして、備え付けのタルタルソース。
おそらく自家製であるこれが、また絶妙だった。
エビフライそのものの味を邪魔することはなく、かと言って物足りないということもない。
それらは素晴らしいバランスで混ざり合い、そして溶けていく。
口の中に広がるこの食のメロディー。
それは、僕に食べることの喜びを思い出させてくれるには十分だった。
「な、なに? 今度は目がキラキラしてるよ?」
「いいから! このエビフライ、食べてみて!」
怯えるような素振りを見せる彼女に、僕は皿のエビフライを指し示す。
「なにをそんなに……」
「いいから!」
「ん~、あたし、案外エビフライにはウルサイんだぞ……」
そう言いながら、エビフライを口に運ぶ。
次の瞬間――
「やだ、なにコレ! めっちゃ美味しいんだけど!」
その口から、歓喜の言葉が飛び出した。
「でしょ~」
「うん、これ、ホント美味しい!」
リオさんは、あっという間に1本食べ尽くす。
別に僕が作ったわけじゃないけど、何だか得意げな気分になった。
「これ……キミがニヤニヤするのも、わかる気がするわ」
「や……それはまた、別の理由なんだけど……」
僕は、頬をかく。
「ん? 何か言ったかな?」
「な、何でもないよ」
とっさに苦笑いを浮かべ誤魔化す。
彼女は少し首を傾げたけれど、今は僕に構っている暇はないようだ。
自分の皿に乗ったエビフライを、キラキラとした子猫の瞳で見つめている。
僕は小さく笑うと、自分の夕食に向き直った。
そのとき――
「あっ!?」
不意に響くリオさんの声。
「ん?」
振り向いた僕の目に飛び込んで来たもの。
それは、彼女の箸から滑り落ちたエビフライが、床の上に着地を決める瞬間だった。
「ああん、うちのエビフライ~!」
リオさんの悲鳴が響く。
慌ててエビフライを拾い上げるも……
「あかん、埃ついてもーた! もう、食べられへん~!」
どうやら、再起不能のようである。
涙目のリオさん。
でも、何より僕が驚いたのは……
「……“あかん”? ……“られへん”?」
僕のつぶやきに、彼女はハッとした表情を見せた。
「聞いたなぁ……」
そして、ホラー映画のように、ゆっくりと僕の方を振り向いた。
「リ、リオさん……関西なの?」
僕の言葉に、彼女は観念したようにため息をつく。
「隠しておきたかったんやけどね……」
「なんで? 関西弁いいじゃん」
笑う僕に、リオさんは首を横に振った。
「だって……関東の人が聞いたら、迫力あるように聞こえるっていうやろ?」
「そうかな……俺は、気さくな感じがして好きだけど……」
「……ありがとう、キミって優しいんやね」
その言葉に恥ずかしさが込み上げ、思わず頬をかく。
「……でもね!」
厳しい表情になる彼女。
「関東に来たからには、あたしは関東の言葉を使いたい」
言葉が、再び標準語へと戻る。
「ほら、『朱に交われば赤くなる』って言うじゃない?」
彼女は、ピッと人差し指を立てた。
「それを言うなら、『郷に入ったら郷に従え』でしょ……」
ため息をつく僕。
「あ~、そうとも言うかな」
「そ、そうとしか言わないよ!」
こ、これが関西の気質ってやつか……
僕は、ゴクリとツバを飲み込んだ。
そのとき――
「楽しそうだね」
不意に響く声。
僕は、慌てて振り返る。
「ご、後藤さん!」
果して、そこにはミサキが立っていた。
ミサキは、食べ終わった食器を下げるところらしい。
トレイを持ったまま、ミサキはじっと僕の顔を見つめてきた。
「え……なに?」
思わず、胸が高鳴る。
僕の緊張が高まる中、ミサキの小さな口が動いた。
「もう……私がいなくても大丈夫だね」
えっ……!?
予想外のその言葉。
「そ、それってどういう……」
「ミサキちゃ~ん!」
そのとき、ミサキを呼ぶ声。
「あ、うん、今行くー」
教習所に来て出来た友達に、ミサキは明るく応えると、
「それじゃね」
と、ニコッと微笑み去っていった。
僕の心に、大きな動揺を残して。
「なになに? 今の子、可愛いね。
梨川くんの彼女?」
興味津々という感じで、リオさんが尋ねてくる。
「そんなんじゃ……ないよ」
なんとか声を絞り出した。
「そうだよね~。うちら、まだ免許持ってないもん、彼氏彼女はないか」
そう言ってリオさんは笑う。
「彼女だったら、いつも隣にいるあたしに、ヤキモチ妬いちゃったりするかな~なんて思ったからさ~」
「え……?」
ヤキモチ……?
ミサキが僕に!?
や……まさか……
うん……悲しいけど、それはないだろな……
あんな可愛いミサキが、僕みたいなのに対してヤキモチを妬く理由が見付からない。
――って、
『いつも隣にいる』……?
リオさんの言葉に、疑問符が浮かぶ。
「ねぇ、リオさん……」
「ん~?」
「そういえば、何でいつも隣に座るの?」
恐る恐る尋ねた僕に、彼女は首を傾げた。
「……嫌?」
「や……嫌じゃないけど……」
「……けど?」
「リオさん、友達いっぱいできそうなのに、何で俺なのかな……って」
「ん~……」
彼女は、人差し指をあごに当て、考える素振りを見せる。
ややあって、その口がゆっくり開かれた。
「気になる存在だから……かな」
「え……」
予想だにしなかったその言葉。
僕の胸は、大きく高鳴った。
「き、気になるって……?」
「うん……似てるんだよね」
似てる!?
好きな人に?
もしくは、好きだった人に?
戸惑う僕をよそに、リオさんは言葉を続ける。
「……うちの犬にさ」
「犬かい!」
思わず裏手ツッコミが飛んだ。
「あはは! 好きな人に似てるって言うと思った?」
悪びれた様子もなく、彼女は無邪気に笑う。
僕は、唇を尖らせた。
「あはは、ゴメンね。残念ながら似てないよ」
「似てないってことは……好きな人はいるんだ?」
僕の言葉に、リオさんは嬉しそうにうなずく。
「彼ね、バンドやっててね」
「バンド?」
「うん……NOZAELって名前のバンドなんだけど、独特の嘔吐感ある歌声が、たまらないの」
それ、どんな感受性だよ……
という言葉が浮かんだが、口にはしないでおいた。
のざえる……
確か、どこかの方言で、“嘔吐く”って意味だったような……
「でね、ずっといいなって思ってたら……
この前、向こうから告白されちゃって……」
少し照れたように微笑むリオさん。
「それで、ちゃんと付き合うために免許を取りに来たんだ」
その幸せそうな笑顔を、僕はうらやましく思う。
目的を持って行動している人って、凄く格好良く見える。
昔から僕に足りていないもの。
それは、何かをするという行動力だから……
「ナッシーは、誰か好きな人いるの?」
不意に、彼女がくりくりした瞳で尋ねてきた。
「ちょ……その、ゆるキャラみたいな呼び方」
「いるの?」
僕の言葉を無視して、リオさんはズイッと迫る。
「そ、それは……」
思わず、心の中にミサキの姿が浮かんだ。
「俺は……」
気になっている人ならいるよ……
そう言おうとして――
でも……
『もう……私がいなくても大丈夫だね』
ミサキのその言葉が不意に蘇ってきて――
僕は、それ以上言葉を続けることが出来なかった……
夕食後、リオさんと別れた僕は、1人部屋へと戻った。
入浴も済ませ、ベッドにゴロリと横になる。
時計の針は、午後10時。
「ふぅ……明日に備えて、もう寝ようかな……」
僕はつぶやく。
電気を消して、瞳を閉じた。
でも――
ミサキの言葉が蘇り、いくら寝返りを打っても夢の世界へ向かうことは出来なかった。
「ああ、ダメだー!」
僕は飛び起きる。
「全然眠れない……」
ため息をついて、窓の外に目を向けた。
「散歩でもしたら、気が紛れるかな……」
ガタンゴトンゴトン!
自動販売機からジュースが落ちて来る。
思った以上に大きな音がした気がして、思わず辺りを見回した。
炭酸飲料のペットボトルを取り出し、そのキャップを開けて口に運ぶ。
弾ける炭酸が、僕の心を少しだけ軽くしてくれた気がした。
「ふぅ……」
一息ついて辺りを見回す。
空は雲に覆われていて、月は全く出ていない。
その暗闇の中に、白い外灯の明かりだけが点々と続いていた。
「誰もいないな……」
おそらくは皆、自室でテレビでも見ているか、明日に備えてもう寝ていることだろう。
こんな時刻に散歩なんかしているのは、たぶん僕くらいのものだ。
「はぁ……」
ため息が口から漏れる。
「ミサキのあの言葉……『私がいなくても大丈夫だね』って、どういう意味なんだろ……」
今度会ったとき、その真意を聞いてみたい。
でも……
僕に、そんな勇気があるのだろうか?
「はぁ……」
再び漏れたため息は、夜の闇の中に静かに消えていった。
――と、そのとき。
僕は、ふと顔を上げた。
夜風に乗って、誰かの声が聞こえた気がしたからだ。
「……だよ、だから」
うん、気のせいじゃない。
声は、どうやら宿舎と宿舎の間にある中庭の方から聞こえてくるらしい。
何の気なしに、その方へと足を進めた。
「……うん、大丈夫、何かあったらすぐ病院行くから」
1人の声しか聞こえて来ないところを見ると、どうやら電話をしているらしい。
「あはは、お母さんは心配性だよー」
明るく笑う声。
中庭に近付くにつれ、それはハッキリとしたものになる。
僕は、その声に聞き覚えがあった。
向かう足が、自然と早くなる。
「……あ、誰か来たみたい」
急ぐ僕の足音が聞こえたのだろう。
声の持ち主は、電話を終わらせる方向に持っていく。
この声……
僕は建物の角を曲がった。
目の前に広がる中庭。
薄暗い外灯の下に1人の女性の姿が見えた。
間違いない……!
そのとき、夜風が通り抜けた。
風は、空を覆っていた雲を吹き流していく。
月明かりに照らされて、辺りは不意に明るくなった。
スマホを片手に握り締めた彼女――
「後藤さん……」
それは、ミサキだった。
「梨川くん……?」
ミサキは、驚いた表情で僕を見つめてきた。
夜風が頬をなでていく。
淡い月明かりは、見つめ合う僕たちを優しく照らしていた……




