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八話



 その日は早朝から雨が降っていた。

 小窓から見える雨は止む気配すらなく、窓ガラスに触れては大粒の塊となって滴り落ちていく。この分だと、しばらくは天気が崩れそうだ。

 そんな窓から見える景色を、エリザはベッドに横たわりながら、何をするともなくぼんやりと眺めていた。

 竜王が帰国してから、二、三日が過ぎた。あの日から――竜王の帰りを出迎えてから、ここの所のエリザは無気力さながら、ずっとベッドの上で過ごしていた。

 それだけならば、普段の怠け者然としているエリザと何ら変わらない。だがしかし、そこにいつもの満足感は見出せず、始終生気の抜けた面持ちで横になっていた。

 原因は分かっている。この間、竜王が放った一言――人間とすら認識されていなかったあの言葉に、エリザは多大なショックを受けてしまったのだ。



 詰まる所エリザは、竜王にとって物でしかなかったのだ。

 ただの美術品。竜王にとってのコレクションの一部。

 少し下方修正したとしても、せいぜいが竜王家に優れた遺伝子を残す為の産婦。その美々しく麗しげな姿にしか利用価値のない、憐れで可哀想なお人形。



「そんなの、前から分かりきってた事じゃないか……」

 いつか――社交界で貴族達の話を耳にした時も、似たような事を言っていたか。

 あくまでもエリザは、竜王の宝品収集によって連れ来られた、単なる物品でしか過ぎないのだと。

 きっとそれは、いつしかドラシェが竜王を継ぎ、その妻になった後でも変わりはしない。

 竜王城を美しく飾る為の生きた装飾品。その姿が老いて枯れるまで、エリザはずっと竜王を引き立てる為に生き続ける事となる。

 それは、なんて空虚な人生なのだろう。

 意味もなく意義も意志もなく、竜王家に搾り取られていくだけの毎日。



 このままだと、そんな悲惨な未来を歩む事になる――そう改めて思い知らされた時、エリザは頭の中が真っ白になるほど愕然としてしまったのだ。



 逆に言えば――竜王の決定的一言さえ聞かなければ――エリザは今でも孤軍奮闘していた事だろう。必死にドラシェにデレてもらえるよう作戦も練って、あれこれと熱烈なアプローチまで掛けて。

 結果的に、それはどうにか成功に終えたのではあるが、如何せんまだエリザの我が儘が通るほど、状況は整っていない。

 不平不満なく過ごす為には、まだまだやらなければいけない事がいっぱいある。本来なら、ここで立ち止まるわけにはいかないのだ。

 そのはずなのに――



「何でこんなにも――体が震えるんだよ……っ」



 ぶるぶると体を抱きしめながら、エリザは胎児のように身を縮こませる。

 こんな事は初めてだった。いつだってエリザは自分の意志を貫き、誰に何を言われた所で、己を曲げるような真似は決してしなかった。

 だがあくまでそれは、大抵身内の小言か、小耳に挟む程度の影口だけで、直接的に罵詈雑言を浴びさせられた事など、これまで一度もなかったのだ。

 まして相手は竜王――世界の覇権すら握っている存在に、あんな真っ向から悪口あっこうを吐かれたら、エリザでなくとも大抵な者なら誰もがひるむ。

 言わば今のエリザは、蛇に睨まれた蛙のようなもの。体が恐怖に支配されて、何もできない絶望感。無力感。

 そんながんじがらめの状態に、エリザは陥っていた。

 そのままでいれば、いつか重圧で押し潰されて心が病んでしまうかもしれない――などと陰鬱に考えていたその時、



「エリザ様。ドラシェ様がお見えになりました」



 と、扉の上面に設置されている小窓を開けて(ちなみに、外からしか開けられない仕様になっている)、見張りの兵が室内にいるエリザにふと声を掛けた。

「ドラシェ様が……ですか?」

 一体何の用だろうと眉をひそめるエリザ。この部屋に訪れた事なんて一度もなかったので、尚更不思議だった。

 何にせよ、ずっと横になっていたせいもあって髪もくしゃくしゃになっているし、ドレスだって裾にシワができてしまっている。幸いにも天蓋から垂れる長いレースのおかげで、向こうから覗けはしないが、この姿で顔を合わせるわけにはいかない。

「少々お待ち下さい」

 それだけ言って、エリザはそばにある手鏡を持ち、髪を整え始めた。手櫛ではあるが、元々直毛だし、問題はないだろう。

 最後にドレスのシワを伸ばして、

「お待たせしました。どうぞ」

 と入室を促した。

 さすがにずっとベッドの上にいるわけにもいかないので、エリザはベッドから離れ、部屋の中央へと歩んだ。

 果たしてドラシェは、扉の隙間から顔を覗かせて、

「こ、こんにちはエリザさん」

 と開口一番に挨拶を述べてきた。

「ごきげんよう、ドラシェ様。さあ、中にお入りくださいませ」

「う、うん……」

 何故か妙に遠慮した様子でドラシェはゆっくりと扉を開放し、焦れったく思えるほど緩慢な動きで、室内へと足を踏み入れた。相変わらず、無駄に腰の低い男だ。

「ご、ごめんね、この間は。ぼ、ぼくの我が儘で外に連れ出したのに、父上に、あ、あんな嫌な事を言われちゃって……」

「……いえ、お誘いしてくれたこと自体は嬉しく思っていますし、ドラシェ様は何も悪くありませんわ」

「そ、そっか。あ、ありがとう」

「こちらこそ、お心遣い感謝いたしますわ」

「ううん! そ、そんなお礼を言われるような事じゃないよっ」

「………………」

「………………」

 気まずい沈黙が続く。まさか、ただそれだけを言う為にわざわざ足を運んだのだろうか。気持ちは本当に嬉しく思うが、正直この陰鬱とした気分のままでは普段のように愛想良く振る舞う自信がないので、対応に少し困る。

「え、エリザさん。そ、その……大丈夫なの?」

 やがて、ドラシェはチラチラとエリザの顔色を窺いながら、重々しく口を開く。

「……? 大丈夫とは?」

「えっと……き、聞いた話じゃあ、ちゃんと食事が取れてないって……」

「ああ……」

 得心いったように呼気を漏らして、何とも言えず微苦笑を浮かべるだけに終わるエリザ。

「ひ、ひょっとして、どこか体でも悪いの? お、お医者さん呼んでこようか?」

「いえ、別に体調が悪いわけではありませんの。ただちょっと食欲が無いだけで……。ご心配をお掛けして申し訳ありません」

「ううん! こ、こっちこそ何だかごめんね? 急に押しかけちゃったりして。ほ、本当は父上にも、け、軽々に女の部屋なぞに赴くなって言われてるけれど……」

「えっ。それこそ大丈夫なんですか? もし竜王様に知れたら……」

 ただでさえドラシェは竜王に苦手意識を持っていそうなのに、もしこの事がバレでもしたら、相当まずい状況に立たされるのではないだろうか。

「だ、大丈夫大丈夫! こっそりここまで来たし、ち、父上には気付かれていないと思う」

 首をすごい勢いで横に振り、「それにきっと、し、仕事で忙しいだろうから」とドラシェは続ける。

「ほ、本当はね、気になったのはそれだけじゃない、んだ。ち、父上の言った事、すごく気に病んでるんじゃないかって」



 ――――大事な品に傷でも付いたらどうするのだ。



 あの時竜王に言われた言葉がエリザの頭の中で再生され、残響音となって心を蝕む。

「そ、そんな事――」

 無意識に声が震えてしまっていた。ちゃんと否定したいのに、上手く話せないジレンマに、エリザは下唇を噛み締める。

「エリザさん……」

 エリザのただならぬ雰囲気に、ドラシェも一層心配そうに眉尻を下げる。

 ああダメだ。ドラシェにまでこんなに気を使われて、自分は何をやっているのだろう。ドラシェが自身の立場を危うくしてまでこうして会いに来てくれたのに、以前のように接する事が全くできない。

 決してドラシェが嫌いなわけではない。どころか、ずっと誤魔化していたが、最近になって少しずつ好感を抱き始めている。

 それなのに竜王の息子という肩書きが――竜人であるという事実が、否応なくエリザに恐怖を与える。いつしか自分を壊すかもしれないという存在感が、エリザの心をきつく縛っていた。



「ぼ、ぼくはね、エリザさん」



 と。

 沈痛げに俯くエリザに思う所でもあったのか、ドラシェが唐突に口を開き、その先を紡ぐ。

「い、今の父上のやり方に――現竜王の政策に、少し疑問を感じてるんだ」

「…………え?」

 突然の流れに理解が及ばず、エリザはきょとんと呆ける。

「ち、父上の政策は、竜人達には比較的寛大だけど、その他の国……特に人間の大陸に対しては圧政を強いているから、し、正直ものすごく人間側の反発心が大きいんだ」

 そういえば、竜王が他国に出向いたのも、反乱を抑えるためだったか。

 元々竜王が人間のいる大陸に進軍するようになってから、各地で反乱戦争が勃発していたらしいから、その延長線上みたいなものだろう。

「今はまだ、ど、どうにか力で抑えられているし、竜人達の支持も厚いけれど、で、でも、いつまでも続かないと思う」

「何故、ですか……?」



「だって、歴史が証明しているから」



 非常に珍しい事に、ドラシェはそう言い切って、話を続ける。

「か、かなり昔にね、父上の同じように人間達を蹂躙して、世界を統一させようとした王がいたんだ。父上ほどじゃないけど、じ、実際に幾つか人間の国を植民地にしてた時期もあったみたい。で、でも結局は失墜させられて、強制労働させられていた奴隷も解放されて、も、元の状態に戻っちゃった」

「それは、また何故……?」



「自国でね、く、クーデターが起きたから」



 クーデター――つまり当時の政権に不満を覚えていた一部の者達が、武力行使に出たというわけか。

 しかし、どうにも解せない。竜人は今も昔も人間を忌み嫌っていたはず。そんな竜人達が、人間の為に内戦を起こしたとは到底思えない。何かしら理由はあるのだろうが、皆目見当も付かなかった。

「クーデターが起きた原因はね、か、格差のせいなんだ……」

 訊ねる前にドラシェが先に解答を口にして、表情を陰らす。

「格差……」

「う、うん。植民地政策のおかげで、それまで低迷気味だった経済も回復して、むしろ上昇するまでになったんだけど、じ、実際に利益を得ていたのは財政人みたいな大物だけだったんだ。だから経済が良くなっても生活が全然良くならない一般市民から不平が上がって、ついには不満が爆発して、暴動まで起きちゃって……」

 なるほど。上の者達だけで金をせしめていたわけか。市民が激動して暴れ回るのも素直に頷ける。

「で、でもね、もっと言うとその経済も破綻しかけてたんだ。ど、奴隷達にあまりに過酷な労働をさせたせいで、どんどん死者が出ちゃって、仕事も回らなくなっちゃって。け、結果的にはクーデターで政権が交代しちゃったけど、どのみち崩壊する運命にあったと思う」

 総括すると、強行的な奴隷制度と戦勝で得た資金の横流しが主原因で、政権が追い込まれるまでに至ってしまった――そんな所だろうか。

「し、正直言うとね、このままだと父上の政権も長くは続かないと思う。ちゃんと公平にお金を渡しているから、市民も生活も潤ってるけど、し、植民地にした地域じゃ奴隷を使ってるし、詳しくは知らないけど、相当酷い目に合わせてるみたい。今後もますます反乱が増えるだろうし、血もたくさん流れると思う」

 それも、人間側の方が圧倒的に。

 そこで一旦言葉を切り、僅かに間を空けるドラシェ。今までにこれだけ話した事がなかったせいか、すこし疲弊している様子だった。

 それだけに、エリザは不思議でならなかった。

 どうしてここまで必死になっているのだろう。ドラシェはエリザに、言葉を通して何か伝えたい事でもあるのだろうか。



 ドラシェが懸命になるほどの、とても大切な――



「お、お祖父ちゃんがよく言ってた。力で押さえ付けるだけの政治じゃあ上手くいかないって。現状ではまだ難しいかもしれないけど、いつかは人間と手を取り合うようにならないと、互いの軋轢しか生まない、暗い未来を歩む事になるって。だ、だから――」

 と、言葉途中で唐突にエリザの両手を取って、こちらが困惑するまでの熱視線を向けつつ、ドラシェは躊躇いがちに――されど決意に満ちた瞳で告げる。

「だ、だから、ぼくは…………!」



「――そこにいたのか、ドラシェ」



 突如として、重みのある――ちょっと気を抜いただけで腰が砕けそうなほどの威圧感が、エリザとドラシェを急激に襲った。

「姿が見えんと思って捜してみれば、こんな場所にいようとはな」

 いつの間に居たのか、竜王が扉を豪快に開け放ち、どこか殺気を纏いながら部屋の中にずかずかと無遠慮に入ってくる。

「ち、父上。どうしてここに……」

「それはこっちのセリフだ。ここに来る事を――余の了解もなくエリザ姫の所へ訪ねるのを禁じていたはず。だのに何故お前がここにいる。しかも軽々に手を繋ぐ浮わつき様ときたものだ」

「わっ! ご、ごめんエリザさん!」

「い、いえ。こちらこそ……」

 竜王に指摘され、慌てて手を離すドラシェ。ひょっとして竜王が急に現れた衝撃で、すっかり忘れていたのだろうか。

 というか、そんなに頬を紅潮させないでほしい。生娘じゃあるまいし、逆に反応に困ると言うか、こっちまで顔が熱くなる。

「ふん。どうやら、仲はそこそこ良好のようだな」

 と、この切迫とした場にそぐわないやり取りを見せてしまったせいか、いたく呆れ果てた様子で竜王が鼻白む。

「父上、こ、これは――」

「御託はいい」

 刃で斬りつけたかのような鋭利さで叱声を正面から受け、ドラシェは顔面を蒼白にさせて閉口した。

「余の言い廻しが悪かったせいも少なからずある。だからこそこれだけは言っておく」

 それまで、ドラシェにしか向けなかった目線をここで始めて――さながらその存在に今更気付いたかのような態で竜王はエリザを視界に入れ、こう言い捨てた。



「これはあくまで()だ。あまり情を抱くな」



「も、物ってそんな言い方……!」

「物を物と言って何の問題がある」

 若干怯えを見せつつも憤るドラシェに、竜王はまるで意に介さず、むしろ冷笑すら浮かべてのたまう。

 やはり、あれは聞き間違えなどではなかった。竜王はエリザの事を、人間としてではなく、物としか思っていなかったのだ。

 否――竜王にしてみれば人間全般が物同然なのかもしれないが、改めてその事実を認識させられて、ショックがより大きかった。

 そんなエリザに気を掛ける素振りもなく、竜王はドラシェに向き直ってこう続けた。

「確かに余はエリザ姫をドラシェの妻として連れてきた。だが、必要なのはその外見と遺伝子のみだ」

「が、外見と遺伝子って……」

「白薔薇姫の名はお前も存知だろう。世界的にも有名な美貌の持ち主だ――手にしているだけでも十分な価値がある」

 名高い画家が描いた、どんな芸術品よりもな、と間に挟む竜王。

「それに、だ。その遺伝子は必ずや生まれる子にも受け継がれる。ドラシェも周知の通り美形だ――子が生まれれば、大層美しい姿となるだろう。そうなれば、外見だけで大いに民衆を惹きつける者となる。これほど素晴らしいアドバンテージはなかろう。故に、それら以外に用はない」

 竜王は断言する。曖昧な表現で濁しもせず、否定材料を与えないほどの簡潔さで。

「確かに、余は何度か食事会や社交界を企画してエリザ姫とドラシェの仲を持とうした。が、それはエリザ姫に自分の立場を分からせる為であり、付け加えるなら、滞りなく世継ぎが作れるようセッティングしたまでの事。それ以外に他意はなく、愛情などというくだらない念は微塵たりともない。お前もあまりうつつを抜かず、便利な道具ぐらいに思っておけ。妙な情を抱かれては、後で面倒だからな」

 エリザは。

 エリザはその言葉に対し、仄暗い井戸の底から傍聴しているような気分で佇んでいた。

 率直に表すと現実感のない――行く当てもなく海面を無我に漂っているだけのような、どうしようもない虚無に包まれていた。

 もう何も考えられなかった。何も考えたくなかった。

 大方の予想通りであったが、ここまで言われてしまっては、もう為す術がない。

 竜王に取り入ろうにも、当の竜王はエリザを人間と見なしていない。きっとどれだけエリザが必死に媚びを売った所で、一切靡かないだろう。

 そして今、ドラシェにも竜王直々からエリザを道具として見るよう命じてきた。気の弱いドラシェの事だ――反抗もできず、多少なりとも心を痛めながらも、言われるがままエリザと接するようになるだろう。

 もはや、救いなんてどこにもありはしないのだ。

 エリザは竜王達の望むままに綺麗な操り人形として動き、今よりもっと行動も制限され、ずっと搾取され続ける毎日を送るのだろう。

 自堕落なんて夢のまた夢。人間らしいまともな生活を送れる保証もなく、今や希望は潰えて、絶望しか残っていない。

 味方なんてここにいるわけがない。周りは全て竜人()だらけ。誰も助けになんて来るはずがない。

 そう、誰も助けになんて――――



「ふ――ふ、ふざけんなっっっ!!」



 その声は。

 まるで天上から手を差し述べるかの如く――不意を突く形でエリザの耳朶を打った。

 そんなまさか――あり得ない。だってアイツ(、、、)だぞ? あんな小心者が――いつもおどおどして、自信なさげで、覇気もなくて、滑舌も悪くて、腰もやたら低くて――そんな頼りない彼が、コンプレックスであろう父親に怒鳴るだなんて、平仄が合わない。信じられるわけがない。

 でも、現に彼は――――



「ドラシェ…………」



 ドラシェが。

 あのドラシェが柳眉を立てて、内心の小胆を跳ね飛ばすように拳を握りしめて、竜王と対峙していた。

「彼女は――エリザさんは物なんかじゃない! れっきとした人間なんだ! 生まれも育ちも違うけど、種族も違うけど! ぼく達と何も変わらない人間なんだ!!」

 ドラシェがまくし立てる。激情に駆られているせいか、一度も噛む事もなく流々と。

「人間にだってちゃんと感情があるんだ! 泣いて、笑って、怒りだってする人間だ! むしろぼく達竜人よりもよほど慈しむ心を知っている素晴らしい者達だ! 何故貴方にはそれが分からない! 何故理解しようとしない! 何故歩み寄ろうとしないっ!」

「………………」

 ドラシェの怒号に、感情が窺えない表情をしながら、竜王は静かに黙していた。

「ぼくも最初は人間に対して苦手意識を持っていたよ。竜人達の話や本の中でしか知らないけれど、きっと野蛮な民族なんだろうなって思ってた。でも違った。エリザさんと出会って、それは誤りだって分かった」

 そこでドラシェは固唾を呑んで慄いているエリザに視線を向けた。

 それはとても優しい――どこか陽だまりを彷彿とさせる、とても温かな瞳だった。

「エリザさんはとても魅力的な女性だった。勿論見た目もだけど、それ以上に内面がすごく素敵だったんだ。

 こんなぼくを――周りの皆が出来損ないの竜王候補と馬鹿にする中、エリザさんだけは普通に接してくれた。ぼくを馬鹿にする事もなかったし、無口なぼくに気味悪がらず、ずっと話し掛けてくれた。そしてぼくの為に、本気で怒ってくれた。こんなに真剣になってくれた人――エリザさんが初めてだった」

 そっと胸に手を起き、反芻するように瞼を閉じて微笑みドラシェ。大切な宝物に触れるかのような――そんな情念に溢れた笑顔で。

「だから、エリザさんを粗末に扱ったりするのは決して許せない。ぼくの大事な人をこれ以上傷付けるのは、絶対許せない――っ!」

 閉じていた瞼を開けて、その苛烈な双眸を竜王へと向けつつ、ドラシェは肩を怒らせる。



「言いたい事はそれだけか」



 突如として衝撃音が響いた。

 竜王がドラシェの首筋を強引に掴んで壁に叩き付けたのだ――そう理解するのに数秒を要した。

「かはっ――!?」

「ドラシェっ!」

 エリザの悲鳴に振り向きすらせず、尚指に力を込めて、ドラシェの首を片手で締め上げる。

「どうやら、余は随分とお前を甘やかしてしまったようだな」

「ぐぅ……っ!」

 ドラシェが苦しげに呻く。その額からは大粒の汗が垂れており、事態の緊迫さを如実に物語っていた。

「余なりに厳しく躾を施したつもりだったが、更なる教育が必要らしい。頭で分からせるより体で分からせた方が手っ取り早い。さしずめ、爪の一枚でも剥がしてみようか……」

「おやめ下さい! お願いですからこれ以上酷い真似をするのは――――」



「――好きにしていい」



 止めに入ろうとしたエリザを遮る形で、ドラシェは苦鳴混じりにそう言い切った。

「ぼくの事はどれだけ傷付けてもらっても構わない。けれど、これだけは死んでも言わせてもらう」

 辛そうに渋面を浮かばせながらも、キッと精一杯に眼光を尖らせて、ドラシェは声高に叫んだ。



「これ以上エリザさんを――ぼくの好きな人を愚弄するなあぁぁぁぁ!!」



 それは、魂をも揺らがす強大な雄叫びだった。

 冷たく閉ざされた氷の檻が、灼熱の太陽によって溶かされる感覚。エリザの心はこれまでにないほど、熱く火照っていた。

「…………ふん」

 やがて、竜王は興醒めしたようにドラシェから手を離し、踵を返した。

「人間なんぞに毒されおって」

 その場で咳き込むドラシェに、竜王は背中だけを向けて、風格あるどっしりとした足運びで扉へと進む。

「お前の再教育は近い内に行う。それまではせいぜい自省して、己を端正しておけ」



 バタンっ。



 扉が閉じられ、静寂が戻る。いつしか空が晴れていて、雨音も聞こえなくなっていた。

「ドラシェ……!」

 一連のやり取りを見た後、エリザはようやく座り込むドラシェの元へ慌てて近寄り、呼吸がしやすいよう背中を撫でた。

「げほげほっ。あ、ありがとうエリザさん」

「ドラシェ、その手――」

「あ…………」

 ふと見ると、ドラシェの両手が小刻みに震えていた。

 手のひらにはびっしりと汗が滲んでおり、よほど緊張していたのがありありと分かる。

「えへへ。か、カッコ悪いよね。こ、こんなに震えちゃって……」

「そんな事ねぇよ……」

 未だ震えたままのドラシェの両手を取って、エリザは口を開く。



「そんな事ない。すごくすごく――どんな男よりもめちゃくちゃカッコ良かったよ……」



 すごく怖かったに違いない。心細くて、心が折れかけていたに違いない。

 だって自分の意見すらなかなか言えないドラシェが、竜王に対してあれだけ啖呵を切ってみせたのだ。

 きっとエリザの想像を遥かに超える葛藤があったはずだ。たとえ息子とは言え、あの竜王に反抗する事がどういった意味を指すのか、ドラシェとてそれは理解していたはずだ。

 だのに――自分の地位を危うくしてまで、覚悟を持ってエリザの為に怒ってくれた。



 そんな彼をカッコ悪く思うなんて、そんなはずあるわけないだろう。



 気が付くと、エリザの瞳から涙が溢れていた。

 決壊したように止めどなく流れる涙は、エリザの頬を伝い、輝線を描いて続々と床に滴り落ちる。

「わわっ! な、ななな泣かないでエリザさん! そ、そうだよね、怖かったよね。ご、ごめんね。怖い目に合わせて本当にごめんね!」

 竜王と衝突していたのが嘘みたいに狼狽するドラシェに、静かに首を横に振るエリザ。

 違う。そうじゃない。確かに怖かったせいもあるが、決してそっちの方ではない。



 エリザは――嬉しかったのだ。



 ここまで自分の為に親身になってくれた人なんていなかった。殆どの人間はエリザの外面だけを見て判断していた。表明こそ希代の美姫として丁重に扱われていたが、内面などまるで不必要だと言わんばかりの対応ばかりであった。実はとんでもない怠け者と知れた時は輪を掛けて酷くなっていた。

 だからこんなにも自分の為に――白薔薇姫としてではなく、一個人としてエリザの為に心を砕いてくれて、言葉にできないほど嬉しかったのだ。



 ああ――ようやく理解した。何故ドラシェがエリザにやたら感謝しているのか。そして、この胸の内に灯る温かな正体も。

 詰まる所、エリザとドラシェは似ているのだ。種族や境遇は違えど、生まれた時の周囲の環境が似通っているのだ。



 二人共、周りに内面を認めてもらえず、それが負担となっていた。エリザ自身は言うほど負担に感じていなかったのだが、精神的には結構追い込まれていたのだろう。自覚はなかったが。

 そんな二人だからこそ、互いに認め合う事ができた。きっかけ自体は些細なものだったかもしれないが、おかげで惹かれ合うようにまでなっていた。

 今なら分かる。ちゃんと口にして言える。この気持ちを伝えられる。

「ドラシェ」

 未だおろおろとしているドラシェの顔に優しく両手を添えて、エリザは思いの丈を真っ正面にぶつけた。



「私は、お前が好きだ……」





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