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七話



「これじゃあアカンがなああああぁぁぁぁぁ!!」



 絢爛豪華に彩られた部屋に、およそ不釣り合いな絶叫音が反響する。

 声の主は言わずがもな、エリザである。場所がいつもの幽閉部屋なので、いくら叫んだ所で外に漏れる心配はないが、そんな事が瑣末に思えるほど、エリザは焦燥していた。

 問題は昨日に行われた社交界だ。社交界そのものは、あれこれとトラブルに翻弄されつつも、紆余曲折あって無事に幕を閉じた。

 そこまではいい。そこまでは良かったのだが、当初の目的であったドラシェを目立たせて株を上げる作戦が、ドラシェのあんまりなダメっぷりに思惑通り事が進まず、逆にエリザの方が異様に目立つ結果に終わってしまったのである。

 まあ、エリザに対する悪いイメージをある程度払拭できたので、結果的には良かったとも言えなくはないが、どのみちドラシェの評価は上がらず、どころか、一歩間違えれば信用ガタ落ちの――最悪再起すら難しくなるほどの危ない道を渡る所だった。

 だいたい、何が『心地よい感覚にいつまでも浸っていたかった』だ。おかげで今日は全身筋肉痛。しかもずっと笑顔を張り続けていたせいか、頬がびきびきと痙攣を起こして痛いというオマケ付きである。昨日、その場の雰囲気に酔って悦に入っていた自分を激しく罵ってやりたい。ハゲてしまえ、昨日の自分。

 問題はそれだけに終わらない。結局の所、ケルベロスの件も含めて、ことごとく作戦が失敗に終わっていた。厳密には、最初の作戦から一つも成功していないのだが、何にしても実に由々しき事態であった。

 これではドラシェを立派な竜王へと成長させる事はおろか、告白すらまともにできず、流れでそのまま夫婦の儀とやらを行われそうな気がする。そうなってはお終いだ。絶対にやたら肩身の狭いをする未来しか見えてこない。

 このままじゃあ本当にアカンのだ。一切気を緩む暇もなく、皆が望む竜王の妻を演じ続けるなど死んでも御免である。そうならない為にも、周囲が甘やかしてくれる最適な環境作りをせねば。

 とは言ったものの、具体的にどうしたものか。とりあえずドラシェに嘘の想いを告げるという件は必須事項であるが(でないと、甘やかしてくれない危険性があるので)、重要なのはいかにしてドラシェを改造するかにある。

 が、これまでの経緯から見るに、今のドラシェを一人前の男に仕立てるのはかなりの労力と時間を要するのではないだろうか。少なくとも、一朝一夕で済む話ではあるまい。最悪、ドラシェが竜王を引き継ぐまでに間に合わないかもしれない。

 いっそ他者に協力を仰いでみるのはどうだろう。一人だけでは無理でも、誰かの助けがあれば、ドラシェの心構えも少しは変容し――

「いや無理か。そもそも私、信頼できる人なんていないしな……」

 すっかり失念していたが、自分はあくまで人質。しかも竜人がこぞって毛嫌いする人間だ。たとえ誰かしらに相談を持ちかけた所で、すげなく断れるのが関の山だろう。聞く耳すらあるかどうかでさえ疑わしいものだ。

 早くも袋小路に嵌ってしまった。周りは当てにならないし、エリザも行動を制限されていて、殆ど自由のない身の上だ。何より、長期戦に構えるほどの余裕がない。いつ頃に儀式をやるのが分からないが、そう幾許も残っていないだろう。

 事は早急に対応する必要がある。しかし、もう手が思いつかない。

 せいぜい、あるとすれば――

「竜王自体に取り入るしかない、か」

 昨日、社交界で小耳に挟んだ情報では、エリザの事をそこそこ重宝(不穏な発言もあった気がするが)しているみたいだし、それなりに成果も望めるのではないだろうか。相当妃に熱心らしいので、さすがに略奪愛的な真似は無理だとしても、義娘として可愛がってもらえるだけの情を抱いてくれたらこっちのものだ。

 称するなら――



・作戦その六【たとえ義理でも娘は可愛いもの。パパさんのご機嫌を取っていっぱい甘えちゃえ☆】



 である。

 しかしながら、この作戦は失敗した時のリスクがでか過ぎる。媚びを売るつもりが、逆に竜王の不興を買ってしまっては意味が無い。エリザの人格など鼻から興味の対象にない可能性すらあるし、そうなっては本末転倒どころか、一層憂き目に合う危険性だって考えられる。それに何より――

「あの髭面に演技とは言えど媚びるだなんて……。ううっ、想像しただけで寒気が……」

 ダメだ。ドラシェはまだ綺麗系のイケメンだったからこそ、さして抵抗なくアプローチを仕掛けられたが、これが竜王となるとどうしても鳥肌が――拒絶反応が出てしまう。生理的嫌悪感が背筋を撫で、吐き気すら催す。

 だが、もはや残された手はこれしかない。ちょうど明日は、竜王が凱旋から帰国する日――ドラシェにも一緒にどうかと誘われているし、作戦を実行するならその時しかあるまい。

 やるしかない。賽は既に天上高く投げられている。覚悟を決めて竜王と相対するしかないのだ。

 そう全ては――日々を怠惰に自堕落に、ベッドの上で寝っ転がるだけの理想的な生活を送る為に。



「でもやっぱり嫌だあああああ! あんな汗臭そうなオッサンに嘘でも擦り寄って媚びを売るなんて絶対嫌だあああああああっ!!」



 賽というか、今にも匙を投げそうな勢いのエリザなのだった。





 作戦決行当日。

 その日は、澄み渡るような青空だった。風こそ冷たいが、朗らかな陽気が程よく大気を中和して気持ちが良い。

 城門前では竜王の帰りを今か今かと大勢の民が押し寄せていた。雑然とはしているが、いつでも竜王と兵達が通れるように中央の道だけ空いており、それが町から城の前まで長々と繋がっている。老若男女関係なく入り乱れたその列は、誰もが揃って歓声を上げて竜王を待ちわびていた。

 ドラシェとエリザは、その観衆から離れた位置――竜王城の大扉付近で静かに遠く先を眺めていた。大勢の民が列を為して喧々囂々と喜色に沸き上がっているが、あくまで城門前までの事であり、敷地内までは入ってきていない。その為、民衆にもみくちゃにされる心配もなく、平穏に待つ事ができている。周りに城内中のメイドや兵達が集まっているので、ドラシェと二人きりというわけではないが、それでも民衆と違ってわきまえているせいか、騒ぎ立てるような真似はしなかった。



 そこにあるのは、厳かな空気。

 草花のざわめきや、木々の葉擦れだけが許される絶対の静謐。

 その厳格な雰囲気を隔てる者など、ここに誰一人して存在しなかった。



「な、何だか凄いですわね……」

 眼前の光景に心ともなく圧倒されつつ、エリザは声を潜めてそんな感想を漏らす。

 周囲こそしんと静まり返ってはいるが、従者やメイド達の集まりから離れた位置――入口に一番近い地点にいるので、声を聞かれる事もなければ、この雰囲気に水を差す心配もない。

「う、うん。久しぶりの帰国だしね。ち、父上が凱旋帰国した時は、い、いつもこんな感じだよ」

 隣りに立つドラシェが、エリザの漏らした感想の真意を察してか、疑問に答える形で言葉を返す。

 エリザも父親である国王の誕生日パーティーなどで、城下町から祝福しに来た民達を目にした事あるが、ここまでの規模ではなかった。それだけ、竜王が国民から支持されている証左なのだろう。いかにも恐怖政治をやってそうな風格なのに――いや、正確には現に侵略した人間の国々で圧政をしているらしいが、それを鑑みても、異常なまでの慕われようだった。

 あれか、人間に対しては残虐かつ冷酷であるが、同族である竜人には情が厚いというわけなのか。おのれ差別主義者め。自分も特例で優遇しろ。

「ところで髭――こほんこほん。竜王様はいつ頃来られるのでしょうか?」

「そ、そろそろだと思うよ。じ、事前に伝令が回ってるはずだし」

 つまり竜王が現れた時には、伝令者が知らせに来てくれるというわけか。まあその前に一際歓声が上がるだろうから、すぐ分かるだろうけど。

「それにしても、こうして改めて見ますと、圧巻と言いますか――思わず息を呑むものがありますわね」

「ち、父上はみんなに尊敬されてるからね。お祖父ちゃん――先代の竜王も別に悪い人じゃなかったんだけど、父上ほど強くはなかったから……」

 それは肉体的な意味なのか、それとも精神的な意味なのか。

 どちらかは定かではないが、不本意な形で先代が退いた事は間違いないらしい。



 でなければ、ドラシェがこんな憂いた瞳で祖父の話など語ったりしないだろうから……。



「お、お祖父ちゃんはとても優しい人だったんだ。こんな意気地無しのぼくにもすごく可愛がってくれて……」

「………………」

 エリザは何も応えない。ドラシェが大切な思い出を反芻するように視線を遠のかせているせいもあって、口を挟める隙がなかった。

「でも、ま、周りの人はあんまり良く思っていなかったみたい。り、竜王であるなら、もっと毅然とした態度でいるべきだって。もっと力を誇示すべきだって、みんなに言われてたみたいなんだ。けれど、お祖父ちゃんはみんなの期待に沿えなくて、ず、ずっと悩んでて、とうとう体まで壊しちゃって、それでそのまま……」

 それは。

 それはきっと、想像以上に辛い経験だっただろう。

 本来の自分を見てもらえず、周囲の望むままの理想の王を演じる事すらできず、ただただ重圧だけがのしかかってくる。

 エリザはまだ良かった。境遇こそ似てはいるが、周りを巧みに騙しつつ、自分を保つ事ができたのだから。

 誰にも理解されない辛苦。そんなもの、エリザはとっくの昔に見限ってしまったが、誰か一人でも親身に寄り添ってくれる人がいたら、少しは違ったのだろうか。



 亡くなった祖父をいつまでもたっとぶ――今のドラシェのように。



「ち、父上の事を決して尊敬していないわけじゃない。こ、これだけみんなに慕われて素直に凄いと思う。で、でもぼくは――」

 と。

 その瞬間、大気が震えるかのようにわっと大歓声が上がった。

「伝令致します! 竜王様がお見えになりました!」

 通りから急ぎ足で姿を現した一人の兵が、離れた所にいるエリザ達にもちゃんと届くよう声を張り上げて皆に伝える。

 雄叫びにすら聞こえる民衆の沸きように、エリザは面食らいつつ、遠方をじっと直視する。

 ドラシェもつい先程までの話を中断して、竜王の到着を黙して待つ。

 熱狂的なその歓呼の声は、竜王の後を追うように城前近くまで押し寄せ、数刻の後、僅かな静けさを取り戻す。

 永遠に続くかと思われた賑わい振りが、いつしか鳴りを潜め、形容し難い緊張感が皆に走っていた。

 そしてついに――



「皆の者、迎えご苦労」



 と。

 竜王が黒馬に乗りながら、野太くも威厳ある声でそう部下を労った。

 後方には幾多の屈強そうな兵を従えており、その誰もが勇敢な面立ちで前だけを見据えていた。



「お帰りなさいませ、竜王様」

「お帰りを心よりお待ちしておりました」

「貴方様の此度の武勇伝、城の皆にも行き届いております」



 恭しく低頭する部下達に、「うむ」と軽く頷きを見せながら、竜王は城内へと向かう。

「ち、父上。お帰りなさいませ。壮健そうで何よりです」

 と、竜王がそばへ寄る先に、ドラシェ自ら足を運び、その場で一礼して口火を切る。

 その様を見たエリザも、多少出遅れつつ慌ててドレスの端を摘み、「お帰りなさいませ」と頭を下げた。

「ドラシェか。留守の間、何かと迷惑を掛けたな。それと――」

 そこで言葉を切り、目線をドラシェから隣りに並ぶエリザへと移して、矯めつ眇めつ眺める竜王。

 その妙に鋭い双眸にビクっと射竦められながら、エリザは恐る恐る相手の顔色を窺う。

 身の覚えは無いが、何かしら気に障る事でもしただろうか。基本部屋に閉じ込められてばかりなので、会話はおろか接触すら指で数える程度しかないし、憤慨させる原因など一切心当たりがないのだが。

 とにかく、今回は作戦を一旦中止して大人しく様子見に徹した方が良いかもしれない。

「何故」

 と。

 暫しの沈黙の後、竜王はエリザから視線を逸らし、そばに立っていた待機兵に疑問を投げかける。

「何故エリザ姫がここにいるのだ。めいが無い限り、城外に出すなと言っておいたはずだが?」

「そ、それは、ドラシェ様たってのご希望で、ここまでお連れした次第でございますが……」

「痴れ者が」

 それほど大きな声ではなかった――にも関わらず、一喝されただけでその兵は血の気が引いたように顔色を青褪めて硬直した。



大事な品(、、、、)に傷でも付いたらどうする。早急に元の部屋へと戻せ」



 その威圧的な一言に、エリザはぐらっと視界が揺れたような気がした。

 勿論、実際に地面が揺れたわけではない――だがまるで魂を掠り取られたかのように、今のエリザは茫然自失とした表情で立ち尽くしていた。

「ち、父上! その言葉はあまりにも――!」

「ドラシェよ、話ならば後にしろ。余はこの後も忙しいのだ」

 珍しく声を荒げるドラシェに対し、竜王はろくに構う素振りも見せずに、早々に横を通り過ぎる。

 そんな光景を虚ろな眼差しで見つめながら、エリザは近くにいた兵達に両腕を掴まれて、その場を無言で後にした。





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