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六話



 その日の竜王城は、いつもより喧騒に包まれていた。

 どの給仕も慌ただしく辺りを動き回り、メイド達も食器の準備や城内の清掃などで忙殺されていた。



 今宵は、竜王城主催の社交界。

 さらに言い含めるなら、次期竜王たるドラシェの妻――白薔薇姫ことエリザ姫のお披露目パーティーでもあるのだ。





「あ〜、スーパーミラクルハイパーウルトラ超絶面倒くせぇ……」

 と。

 そんな賑やかな雰囲気に反して、いつもとは居る幽閉場所とは違う一室にて、普段とは異なる姿でめかし込んだエリザが、周りに誰もいない中で独り気怠げに呟いた。

 床まで届くロングドレス。裾はふんわりとボリュームがあり、光沢のある瑠璃色のレース素材が、清楚な容姿をしているエリザにとても良く映えている。胸元はマチネー――長さ50センチほどの真珠が散りばめられたネックレスが控えめに掛けられており、足元はというと、踊りやすいようにと脱げ難い構造になっているヒールを苦もなく履いていた。

 一方、いつもは流したままの美しきその白髪は、小振りなティアラを添えてアップに纏めてある。あまりこういった髪型は好きではないので――皮膚を無理に引っ張ったような感覚がどうにも慣れないのだ――何度も髪に触れては顔をしかめていた。

 もっとも、着飾ったのはメイド達の方なので、あまり文句も言えないのだが。これがまだ自分の城にいた頃ならあれこれ難癖付けられたはずなのに。これも人質の辛い所だ。

 憂鬱げに嘆息を吐きつつ、エリザは眼前にある姿見から改めて自分の全身を眺める。

 我ながら惚れ惚れとするプロポーションに、文句どころか賛美の言葉しか思い浮かばない顔造形。『白薔薇姫』と称される由縁である自慢の髪は、残念ながらアップにされているのでいつものように目立ちはしないが、それでも十二分に人目を惹く魅力を放っている。

 あえて今回の良かった点を上げるならば、平素は装飾過多の窮屈なドレスから、こういったシンプルで楽なボールガウン(それでも華美な方だが)を着れる事ぐらいだろうか。シンプルではあるがエリザが着ればそれだけでゴージャスに見えるのだから、伊達に白薔薇姫と呼称されているだけの事はある。さすがは私。びゅーてぃふぉー。

 ……本来なら準主役であるし、もっと派手め物を想像していたが、そこは誰かしらの意思が働いたのか、その辺りは最小限に止められていた。まあ、あんまりゴージャス過ぎても逆に下品になりがちだし(特に、エリザみたいな容姿の人間は)、竜人達としてもそこまでする理由が無かっただけかもしれないが。未だエリザに対する垣根は高いまま――むしろ表面化していないだけで、反発心の方が根強く残っているのだから。

 だが、それも世界情勢を鑑みれば仕方のない話。何せ竜人達にとって唾棄すべき存在である人間が、あろうことか魔王の息子と婚約したとあれば、反駁する輩も多かろうという話だ。それがいくら余計な争いを防ぐ為の道具だとしても。

 エリザとて今尚肩身の狭い思いをしているくらいだ――その内に秘めたるドス黒い感情は相当なものであると推察に難くない。せめて竜王の口から直接諌めてくれれば多少は変わるはずだろうに、当の本人はといえば、どこか消極的というか――いっそ無関心さながら、問題解決に動く兆候が微塵も見受けられなかった。

 そんな些事に構っていられないという事なのか。はたまたエリザそのものに関心が薄いのか。竜王城主催だというのに、その当主であるはずの竜王が別件(さる大国が反乱を起こしたとかで、その対応に追われているそうだ)でしばらく不在しているらしいので、どちらかと言えば前者なのかもしれないが、とはいえ、側近などに口添えとかそんな心配りはできなかったのだろうか。やはり所詮は人質でお飾り人形でしかないのか。あの糞ヒゲめ。

「ドラシェがもっとしっかりしてくれたらなあ。それは無理かあ」

 何せあの性格だ――生まれてからずっと親の言いなりになってばかりで主体性のないあのお坊ちゃんに、場内の空気を変えるだけの器量があるとは思えない。むしろ酷というものだ。

 だがそれも、今回の作戦がうまく功を奏せばちょっとは改善するだろう。

 そう。またとしてもエリザは、数々の失敗にもめげずに、新たな作戦を組んだのだった。

 名付けて――



・作戦その6【レッツダンシング!〜意中の彼を目立たせて、周囲の株を爆上げしちゃえ☆〜】



 である。

 この作戦の肝は、各要人達にドラシェは次期竜王に相応しい存在であると思わせる事だ。さすれば城内の竜人達もドラシェを見直し、ひいてはその妻も無下には扱えなくなるだろう。そうなればエリザの描く未来設計は現実のものとなり、堕落を尽くした生活を送れるはずだ。考えただけで思わず下卑た笑みが零れる。

 その為にはまずドラシェのダンス力とコミュ力が試されるわけだが、前者はともかくとして――きっとそれなりに教育を施されているだろうし――問題は後者の方だが、まあこれもエリザの方でカバーしてやればいいだろう。惜しむらくは衆人観衆の前で告白はできそうにない点だが、別にいつでも言えるし(未だに言えてないが)、それに関してまた今度考えればいい。

 後はエリザの手腕次第だが、エリザとて怠惰姫と散々揶揄されつつも、今まで何ら教養を受けなかったわけではないし、外面女王という異名をも持っているほどなので、まあ何とかなるだろう。

 何とかなる。何とかなる、が――



「あああああっ! やっぱ面倒くせぇぇぇぇぇ! 社交ダンスなんてかったるい事したくねえぇぇぇぇぇ!!」



 天井向けて咆哮しつつ、イヤイヤと首を横に振りまくるエリザ。

 どうしてもダメだ。これから踊らなきゃいけないのかと思うと拒絶反応が出てしまう。頭では淑女として気品ある所作をと分かってはいるのだが、どうにも心が拒否してしまうのだ。

 けれど、それも仕方ない。何せエリザの本性はグータラ大好きの超怠け者なお姫様。疲れたくないなら歩かきゃいいじゃないを信条にしているダメ人間。そんなエリザがダンスを踊るなんて、少しの間心臓を止めろと言われているにも等しかった。

 だがしかし、これは最重要案件。仮病を使って抜け出すのは容易だが、そうなればせっかくのビックチャンスも棒に振ってしまう。それだけは阻止せねば。



 覚悟を決めろ私。ここで逃げたらずっとこんな気疲れする生活が続くだけだぞ。ちょっとだけの我慢だ、奮い立て私――!!



 ぱぁん! となけなしの克己心こっきしんを使って両頬を叩き、キッと顔を引き締める。

 姿見に映る自分は、今から戦場に向かう男のごとくキリッとしていた。よっしゃあと自らを鼓舞しつつ、髪型は崩れていないか、ドレスに乱れはないか、入念にチェックする。

「エリザ様、そろそろお時間です」

 とそんな折、扉が僅かに開き、メイドが顔を覗かせて声を掛ける。

「はい。今行きますわ」

 先ほどの凛々しい顔から、まるで仮面をすげ替えたように柔和な微笑を浮かべて、メイドに招かれるまま、エリザはパーティー会場へと向かった。





 宴もたけなわ。皆一様に豪華なドレスコードを身に纏い、一部の者は料理を嗜みながら、またある者達はグラスを片手に談笑に興じている。

 ドラシェとエリザの二人は、一番奥の椅子――他所より小高い位置にあるVIP席で腰を落ち着けていた。そばにはいつでも二人の要望に応えられるようメイド達が控えており、他の者達とは一線を画している。まあ主役はドラシェ達であるのだし当然の待遇ではあるのだが、自国で開いていたパーティーとは違い、何とも言えない居心地の悪さを覚える。笑みこそ崩さず、時折訪れる客人にも問題なく対応できてはいるが、はっきり言って心労が半端ない。いくらエリザが外面女王と呼ばれていようとも、筆舌に尽くし難い苦痛だった。

 周囲には聞き取れほどのか細い溜め息を吐きつつ、改めて大陸中から来訪した竜人達を見やる。

 皆、外見こそ人間そっくりだが、やはりその頭部だけは大小様々な角が生えており、会場全体が異彩を放っている。否、この場合異分子はエリザであるのだから、むしろ奇妙に映っているのは自分の方か。完成されたジクソーパズルの中に、一つだけ間違ってはまったピース。例えるならそんな所。

 実際、エリザを見る竜人達の瞳は、そのどれもが奇異と侮蔑に満ちたものばかりだった。表面上こそ相好を崩してはいるが、眼だけは笑っておらず、中には害意に溢れた者もいる。それだけエリザが歓迎されていないという事を雄弁に語っていた。



 ――そりゃなあ。ぽっと出の人間の小娘がいきなり次期竜王の嫁になるなんて聞かされたら、こうなるのもしゃあないわなぁ。



 エリザとて、ある日突然やってきた正体不明の奴が、いきなり自国の上層部に関わるようになったら警戒心だって沸きだつ。それが敵対している者なら尚の事。竜人達がこぞって敵視するのも別段おかしな話ではない。

 だからと言って、やはり気分の良いものではない。よくよく思い返してもみれば、拍手万雷で迎えられた中、ドラシェと共に入場した時もひそひそと嘲笑と嫌悪の混じった会話が、聞くともなしに小耳に入ってきていた。

 そのどれもがはっきりと聞こえていたわけではないが、概ねこんな感じであった。



『あれが噂の白薔薇姫か。なるほど、噂以上の美貌だ』

『でも所詮人間でしょう? どうしてわざわざそんなよそ者を竜王家に招いたのかしら。理解に苦しむわ』

『何でも人質にしているという話らしいが、それ以上に竜王様が白薔薇姫の姿に惚れこんでいるそうだ。もっとも竜王様には既にお妃様がいるし、恋情は皆無らしいから、きっと芸術品収集みたいなものなんだろうよ』

『竜王様らしいわね。あの方、名のある宝品に目がないってよく聞くし。世界中に威厳を示したいという野望もあるのかもしれないけれど。それが世界でも名高いエリザ姫ともなれば、という事なのかしら』

『どちらにしても、私達竜人にしてみれば嘆かわしい限りだわ。あんな得体の知れない下賤の血が、今後竜王家に混ざる事になるだなんて』



 以上が、エリザが聞き及んだ竜人貴族達の話である。

 予想通りというか何というか――よほどエリザは竜人達に歓迎されていないらしい。竜王もまあ随分と禍根を残すような真似をしてくれたものだ。

 ややもすると、隙あらばエリザに取って代わって婚約者の立場を奪おうとしている輩も紛れこんでいたりするのだろうか。気のせいか、先ほどから妙にドラシェに対して熱視線を送っている女性もいるし、中にはそれとなくアプローチしてくる場面もあったぐらいだ。

 次期竜王の妻となれば、その恩恵も莫大となる。家督も上がるし、竜王家が滅びない限りは一生安泰。まさに竜王家さまさま。そりゃあ、既に余計な虫が付いていたとしても、目の色を変えて狙いを定めるわけだ。

 もっとも、当のドラシェが普段の人見知りっぷりをいかんなく発揮してくれているおかげで、その心配は全くないのだが。

 たとえば、こんな風に。



「ドラシェ殿、お初にお目に掛かりまする。此度はこのような素晴らしいパーティーにお招き頂き、感激の極みにこざいます」

「…………いえ」

「何でも今宵は婚約披露宴を兼ねた社交界とかで。いやー、あの白薔薇姫をめとる事ができるだなんて、男冥利に尽きますなあ」

「…………ええ」

「……は、はは。ドラシェ殿はとても物静かな方でございますなあ。しかしまあいずれ王となり将となる御身を思えば、そのぐらい落ち着いていた方が戦場でも様になるというもの。今後が非常に楽しみにございます」

「…………はあ」

「………………は、ははは。少々お喋りが過ぎましたかな?」

「………………」

「あ、あの! ドラシェ様はこういった賑やかな場所に不慣れなようで、少し疲れているだけかと……」

「……あ、ああなるほど。ご助言感謝致しますエリザ姫。それなら早めに離れた方が良さそうですな。ではドラシェ殿、これにて失礼」



 と、かように――軽く挨拶を述べてきた御仁にも仏頂面であしらっているので(本人にしてみれば、必死で応対しているのだろうが)、どれだけ他の女が擦り寄ってきた所ですげない反応をされる事だろう。その分ドラシェのフォロで負担が大きくなるが。ドラシェ仕事しろ。

 それはそれとして――



 ――これ全部大陸中から来た竜人の貴族共かー。何人いるかは知らないけど、こいつらを相手取るのにも一体どれだけの兵力が必要なのやら。



 椅子に座って眼下にいる竜人達を眺めながら、エリザはふとそんな事を考える。

 元々竜人が住む大陸は一つ存在しておらず、人口自体もエリザ達人間に比べたら少ない方なのだが、恐るべきはその強靭な肉体にこそある。実際に目にした経験はないが、聞いた話では常人を遥かに超えた身体能力を保有しており、竜人一人と闘うだけでも人間達が束にならない限り、まともに渡り合うすら難しいらしい。

 戦争は数によって決まるものではないというのはいくさの常套句ではあるが、とはいえ、明らかに数だけではこちらが圧倒的にまさっているはずなのにここまで戦況がはっきり分かれるだなんて、竜人とはどれだけ常軌を逸した存在なのだろう。しかもそんな化け物に捕らわれて、あまつさえこうして大衆に敵意を向けられているのだから、つくづく不幸この上ない。

「さて皆さん、場もだいぶ賑やかになってきた所で、そろそろダンスに興じてみるのは如何でしょうか」

 と、エリザが己の身を嘆いている間に、パーティーを取り仕切っていた司会役の男が、不意に会場全体に響き渡るほどの声量で呼びかけた。

 ついにこの時が来てしまったか。本当はこのまま踊らず、椅子にずっと座ったまま楽にしていたかったのだが、残念ながらそうもいかないらしい。

 まあいい。いや決して良くないが、こうなってしまうのはあらかじめ分かっていた事。それならば、踊りながらも適当に気を抜けばいい。どうせ皆と踊る事になるのだ――ちょっとサボった所で気付かれるはずが、

「そこでどうでしょう。まずは今回の主役である、ドラシェ様とエリザ様二人で先に踊って頂くというのは」



 余計な事言ってんじゃねぇよカスがああああぁぁぁぁぁぁ!!



 エリザは激怒した。無論顔には出さなかったが、心中は荒れ狂う波のようにささくれ立っていた。

 せっかく人がしぶしぶながら(この怠惰姫が!)踊ろうと決めたのに、横からくだらない茶々を入れおって。こんな衆目の中では、あまりに目立ち過ぎてサボろうにもサボれないではないか。

 どうしてこう運命はエリザに過酷な道を進めるのか。あれか、この試練を乗り越えて一皮剥けよという神の啓示なのか。そんなものはいらん。

 そうこうしている間に、司会の言葉に賛同した皆が、今か今かとこちらに視線を向けてきている。それはドラシェも同様で、突然の指名にポーカーフェイスを保ちながらも困惑している様子だった。ポーカーフェイスというより、単に頭の中が真っ白になっているだけかもしれないが。

 場を諌めようにも、下等生物と見なされているエリザにそんな権限はないし、ドラシェがこんな有り様では期待も当てにもできない。まさに袋小路な状態だった。



 ――あーもういいや。さっさと終わらせてさっさと楽になろう。そしたら後は見てるだけで済むだろうし。



 諦めの境地でそう決断すると、「さあドラシェ様。共に踊りましょう」と以前放心したままのドラシェの手を取り、楚々と立ち上がった。

「え? え? エリザさん……?」

「さあ、こちらへ。皆様がお待ちしておりますわ」

 当惑したままのドラシェの手を無理やり引いて、段差を降りるエリザ。行く先には大衆の図らいで円を描くように大きく空間が作られており、人垣を離れた辺りには、いつの間に控えていたのか、先ほどまで見当たらなかったはずのオーケストラ隊が楽器を手に取り始めていた。

 やがて円の中心へと辿り着き、歩みを止めてドラシェと向き合う。

「あの、ちょ、ちょっと待っ――」

「ドラシェ様、早くお手を」

 何かしら呟くドラシェの言葉を途中で遮り、エリザは片手を取ったままホールド――組手を促す。

 戸惑いつつ、ドラシェは言われた通りに右手をエリザの左肩甲骨辺りに添え、エリザもそれを見届けた後、ドラシェの左腕に右手を置く。

 少しして、準備が終わったのを頃合いに、テンポの良い曲――社交界ではお馴染みのワルツが一斉に奏でられ始めた。

 さあ、ここからが正念場だ。ワルツは幼い頃から踊らされているし、要領も把握している。

 まずは、エリザが先んじないようドラシェの動きに注視しつつ、リズム良く息を合わせて――――



 ごんっ!



 息を合わせる前に、額と額がしたたかに打ち合わせてしまった。

「――っ!? 〜〜〜〜〜〜っっっ!!」

 声にならない叫びを上げて、あまりの痛さに額を手で抑えてうずくまるエリザ。

 エリザと同じく額を強打したドラシェも、うずくまりまではしなかったものの、瞳に微かながら涙を溜めて悲痛そうに呻いていた。

 突然の事ですぐに理解が及ばなかったが、この野郎――一歩踏み出す前に足をもつれさせて、あろうことか、こっちに転倒してきやがったのだ!

「ご、ごめんねエリザさん! だ、大丈夫? い、痛かったよね……?」



 ――大丈夫じゃねぇよ! めちゃくちゃ痛ぇよ! 頭が割れそうなほど痛ぇよ! むしろ割りてぇよ! お前の頭をっ!!



 などと罵声を浴びせたい気分に駆られたが、もはやそんな余裕もなく、今はただ痛みが引くまでじっとしていたかった。

「ご、ごごごめんね本当にごめんね! ぼく、実は、だ、ダンスがすごく苦手で……」

 エリザの顔色を窺うように、ドラシェもその場で屈んで、そんな謝罪をいつも以上にどもりながら口にする。

 なるほど。直前まであんなに狼狽えていたのは、これが原因だったのか。それならそうと早く言え。いや、ちゃんと耳を貸さなかったエリザにも非はあるが。

 そういえば以前にも、武術の才能が無いみたいな事を言っていたが、単にコイツ、鈍臭いというか――運動音痴なだけではないだろうか。いかにもインドア派ぽいし(エリザほどじゃないにせよ)。

 しかし困った。またしても作戦通りにいかないどころか、序盤で文字通りつまづいてしまった。これを修正するのは、なかなか一苦労だ。

 そろそろ痛みも引いてきたし、何事もなかったかのように嫋やかな微笑を浮かべつつ、体勢を取り直して――



 クスクスクスクス――



 と。

 エリザが黙考している間に、そんな忍び笑いがふと鼓膜に触れた。

 そのあからさまに嘲りを含んだ失笑は、最初は僅かながら――されど次第に周囲へと伝播していき、会場全体がエリザとドラシェの二人を指して陰湿な笑みを浮かべていた。

 否。正確には失笑だけではなく、ひそひそと陰口すら叩いていた。

 それも、あまりの可笑しさに隠す事すら頭から離れてしまったのか、誰もがエリザ達に目線を向けて、こう聞こえよがしに囁くのだ――



『さっきの見まして? 無様な姿に思わず笑ってしまいましたわ』

『見た見た。まさかあんな初歩でぶつかるなんて。滑稽極まりないな』

『ふん。いい気味よ。竜王家に取り繕うとしている虫なんて、ちょっとぐらい痛い目に合うべきなのよ』

『でも今の、ドラシェ様の方から接触したのではなくて? 運動神経が悪いとは前々から聞き及んでおりましたけども、まさかあそこまでだなんて。本当に時期竜王として相応しいのか、疑問が拭えませんわ』

『噂だとドラシェ様だけでなく、他の血族の方にも権利を与えるべきだという話も上がっているらしい。もっとも竜王様が全部はねのけているとかで、話にもなっていないみたいだが』

『でも、現に不満を持っている方は大勢いるんでしょう? あれじゃあそう思うのも無理ないわ。手遅れになる前にちゃんと他の候補を選ぶべきよ』

『仮に他の候補者が選ばれたら、あの薄汚い女ももはや用済みですわね。ふふふ……想像しただけで愉悦ですわ』

『本当にそうなってもらいたいものだな。案外ドラシェ様が転けたのも、あの女のせいかもしれないし』

『そうね。あんなろくに踊りも出来ないゴミなんて――さっさと消えればいいのに』



 ぶちっ。



 その時、エリザの中で何かがブチ切れた。

 それは堪忍袋の緒かもしれないし、血管の方だったかもしれない。どちらにせよ――どちらにしたって、エリザの我慢もここらが限界だった。

 この散々な言われ様――しかも自分だけでなく、ドラシェにまで矛先を向けてきやがって。自分はまだいい。奴らの言う通り、無理やり連れてこられたとはいえ、所詮はよそ者だ。竜人達が面白く思わないのも仕方のない事ではある。

 が。

 が、だ。仲間であるはずのドラシェにまで非難するとはどういった了見なのだ。同じ竜人のはずではないのか。いずれ王になるかもしれないのに――ドラシェなりに努力しているのに、それを評価せず、表面だけ見て決めつけやがって……!



「立て」



 と。

 静かに――しかしながら険の篭った口調で、エリザはそう告げた。

「え……?」

「立てと言っている」

「あ、はい……」

 その有無を言わせない語勢に、ドラシェは命じられるままにすぐさま立ち上がる。

 エリザも合わせるようにゆっくりと立ち上がり、自然な動作でドラシェの手を取り、ポジションに付く。

「お前は私に合わせろ。無理に自分から動かなくていい」

「えっ。で、でも……」

「いいから、合 わ せ ろ」

「はい……」

 反論する余地すら与えず、ギロリと睨むを利かせるエリザ。

 今のエリザは、傍目には分かりづらいが、しかし確実に――紛れもない怒りに染まっていた。

 この腹の底から湧き上がってくるふつふつとした黒い感情――これは完全に怒りだ。溢れんばかりの憤怒だ。



 ――今に見ていろ畜生共が。格の違いってヤツを見せつけてやる!



 そうこうしている内に、オーケストラ隊が空気を読んでくれたのか、唐突に立ち上がってホールドを決めた二人に僅かながらどよめきが走る中、先ほどと同じワルツが演奏され始めた。

 基本的に社交ダンスは男性側が先導し、その後を追うように女性が相手の動きに合わせて踊りを披露する。それが社交界の常識であり、不変的なルールだ。

 しかしそのルールも、ドラシェが踊れないというこの状況に至っては、単なる強固な鎖縛りにしかならない。曲調を緩めてもらうなど、ある程度スローテンポであればどうにか踊れるかもしれないが、ドラシェの不器用さを鑑みるに、それすらも未知数だ。無理に踊ろうとすれば、またしても転倒する羽目になりかねない。

 なら、どうすればいいか。

 そんなもの――



 ――私が先導してやればいいだけの話だろっ!!



 曲が始まったと同時に、軽やかにステップを繰り出すエリザ。

 上手く付いて来れるよう、手を引いて方向を指示しつつ、1、2、3、のテンポでターンを繰り返し、時に滑らかな足捌きで取り囲う衆人のそばに寄り、艶美な微笑を見せる。

 常識? ルール? そんなもの知った事か。あんな辱めを受けたまま終わるぐらいなら、ルールなんて思いっきりぶち破って、一矢報いてやった方が断然マシだ。

 リバースターン。ホイスク。サイドターンと技を決めながら、エリザはドラシェと優雅に踊り続ける。

 これでも、嫌々ダンス特訓を受けさせられ、本番だって何十人と相手をしてきたのだ。実際に男性側として踊るのはこれが初だが、何度も目にし、身体に染み込ませた経験のおかげか、考えるより先に次の動作へと移り、躊躇いもなく自然とステップを踏める。半ばヤケ気味で踊ってしまったが、意外と何とかなるものだ。

 ――いつしか、会場は静寂に包まれていた。楽器を弾き続けているオーケストラを除いて、観衆の誰もがエリザのダンスに魅入られていた。

 そうして、ワルツもいよいよ終盤へと入り、最後の締めに取り掛かる。

 スピンターンを繰り出し、終わりに合わせてランニングフィニッシュ。

 そして――トドメのナチュラルターン。

 最後に満面の笑みを湛えて、エリザはようやくホールドを解いた。

 最初は呆気に取られたように静まり返っていた場から、次第にぽつぽつと手を打つ音が鳴り、やがて盛大な拍手へと広がっていた。

 久方ぶりに激しく動いたせいか、若干息を荒くしながら、エリザは周囲を眺める。

 歓声こそ上がっていないが、皆一様に惜しみなく賛美を送っているのを見渡して――



 ざまあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!



 と、エリザは内心ほくそ笑んだ。

 ぶっちゃけ、頭の中では大衆に向けて中指すら立てていた。

「すごい! すごいよエリザさん! ぼ、ぼく、一度も転けずに最後まで踊れたの、これが初めてだよ!」

 周囲の雰囲気に当てられたのか、子供のようにはしゃぐドラシェに、精一杯の微苦笑を向けるエリザ。

 何やらこの先が思いやられる発言を聞いたような気がしたが、ひとまず後回しにしよう。

 今はただ、この心地よい感覚にいつまでも浸っていたかった。





 そうして、エリザが本来の目的を思い出したのは、上機嫌で寝床に付いた後の事だった。





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