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五話


 コツコツコツ――とかすかな灯りだけが辺りを照らす闇の中、そんな二人分の階段を下りる音が静かに響く。

 そこは地下へと続く長い階段の真っ只中だった。ひと気はなく、今は先導するドラシェとその背中に付いて歩くエリザしかいない。てっきりまた見張りが付いてくるのだろうと思っていたが、見るからに逃げ隠れできるような隙間なんて皆無だし、ドラシェならたとえ襲われたとしても返り討ちにできると考えての対応だろう。エリザとしてもいつも監視の目があるのは鬱陶しいし、逆にありがたいぐらいだ。

「く、暗いから足元に気を付けてね」

 歩調を合わせながら、背後にいるエリザを気遣うようにドラシェがそんな言葉を掛ける。

「ええ。お心遣い感謝します」

 両壁に設置された幾多に並ぶ灯篭の朧気な光を頼りにしつつ、置いて行かれぬよう後を追うエリザ。歩調も合わせてくれてはいるし、幅の間隔も広めなのでつまづくような事はないと思うが、周囲が暗いだけでこうも不安に駆られるものか。いつもは頼りなさそうに見えるドラシェの背中が、今だけは逞しく瞳に映る。想像していたより紳士的なのも好印象だった。

 いけない。あんまり意識過ぎると、またドラシェの顔が見れなくなる。数日前の食事会の後、何故だか余計にドラシェの顔が頭から離れなくなってしまい、以前より増して原因不明の熱病に悩まされるようになってしまったのだ。

 一体、自分はどうしてしまったのだろう。他人に対してこんなに感心を抱いたことなんて一度もなかったのに。生まれて初めての体験に、エリザは終始戸惑いを隠せないでいた。

 やめよう。今は作戦遂行に集中すべきだ。自分のこのよく分からない感情の推察は後回しだ。

 それにしても、と思う。随分と地下深くまで潜っているが、どこまで続いているのだろう。一応灯りはあるが階層が下がるにつれて闇も濃くなっているような気がする。それだけ厳重にしなければならない危険性があるのかと思うと、嫌な汗が背中を撫でる。

 だが、それもむべなるかな。なんせ向かおうとしている場所が場所なのだから。



 魔獣ケルベロス。



 今エリザ達が向かっているのは、獰猛かつ凶悪と呼ばれる魔獣ケルベロスが息衝く所。エリザにしてみれば――否。誰にしても死地に赴くようなものだといって過言ではないのだ。先が見えない長々と続く階段が、一層エリザの恐怖を煽る。

 しかしまあ、檻や枷もなく全くの野放しで飼っているとは到底考えられないし、何らかの制限は設けてあるのだろうから、それほど身の上を危ぶむ必要はないかもしれないが。それは最強の民族と呼ばれる竜人とて例外ではなく、現状のドラシェみたく一切の装備なく――それこそ無防備のまま飛び込みなんてしないはずだろう。でなければわざわざ命を捨てに行くようなものだし、何よりこんな呑気そうな顔なんてできないはず。

 それに――それに、だ。この状況は決して悪いものではない。むしろエリザにとっては好都合。言うなればこれは檻にいる獅子を鑑賞しに行くようなもの。それを逆手に取れば、この間不発に終わったエリザの告白も――そして何かと引っ込み思案なドラシェの気質を変える良い転換期に成りえるやもしれない。

 そう、名付けて――



・作戦その四【ドッキドキ☆怖がる女を演出して、彼の自尊心をくすぐっちゃえ】



 である。

 分かりやすく例えると、こうだ。



『きゃっ! 怖いわドラシェ様……』

『おやおや、何をそんなに怖がってんるだいマイラブエンジェル。ご覧よ、いかなケルベロスといえど、堅牢な檻の中にいれば単なる見世物さ』

『それでも十分に怖いですわ。今でも鉄格子を破ってきそうで……』

『HAHAHA。心配ないさマイラブマーメイド。仮にケルベロスが出てきたとしても、ぼくが命に代えても君を守ってみせるさ!』

『ドラシェ様……素敵! 大大大好きですわ!(ハート)』



 これだ。これである。ちょっと脚色が過ぎたが、まあ概ねこんな感じだろう。

 重要なのは、今回の件でドラシェに自信を付けさせる事こそにあるのだ。

 いくらドラシェが次期魔王候補(ほぼ確定しているようなものだが)と言えど、今後つつがなく夫婦の契りを交わしたとして、周囲の者達が素直に祝福してくれるとは思えない。それはこの間、ドラシェを陰で馬鹿にしていた兵達を偶然間近で目撃してしまった事でも明白だ。

 仮にこのままドラシェが魔王を引き継いだとしても、部下達が心から従って働いてくれるかどうかは怪しいものだ。いやそれ以上に――王が慕われていないのにその妻が周りに受け入れてもらえるはずがなく、そうなれば、エリザの望む自堕落生活なんて夢のまた夢。理想は風化し、栄華の時を迎える前に脆く崩れ去る事だろう。そうなっては本末転倒もいい所。

 それを打開する為に必要なのが、この作戦である。つまりこれはエリザの告白も兼ねたドラシェの地位向上計画であり、輝かしい夢の道へと至る一大プロジェクトでもあるのだ。

 必ずや成功をこの手に。今のエリザはかつてないほどにやる気に満ち満ちていた。

「も、もうすぐケルベロスのいる部屋に着くよ」

 ドラシェが微笑みを浮かべながら、人知れず心中で奮起するエリザに振り返る。

 さあ、勝負はここからだ――!




 長かった階段を下りきり、少しばかりの通路を歩いた後、その扉は見えてきた。

 大きさとしては、背丈が高めであるドラシェよりも頭二つ分ほどの余裕がある。幅はドラシェとエリザが横並びになっても尚余る隙間があり、そこに重厚そうな石造りの扉が眼前にそびえ立っていた。



 ここに、あの魔獣ケルベロスがいるのか……。



 ごくり、と生唾を嚥下するエリザ。知らずに掻いていた手の汗を握りしめて、目の前の扉を眇める。

 魔獣ケルベロス。文献や人伝ひとづてなどで大体の姿形や性格は存知ではあるが、実際に目にするのはこれが始めてだ。



 曰く、人の身の丈を悠に超える大きさをしており、姿形は狼そのもの。しかしながら頭は三つに分かれ、その牙は鋭く、肉はおろか極太の骨すら容易く貫く。性格は凶暴で、極めて残虐。その姿を視界に入れた者はまず眼を奪われ、その後心臓を奪われ、ついには絶命するであろう……。



 これが風の噂などで伝え聞いたケルベロスの概要だ。どれもこれもおどろおどろしいものばかりで、さしものエリザといえど、実物が扉の向こうにいるのかと思うと肝が冷える。

 とはいえ、先述にも触れたが、そんな凶暴な生物をそのまま放逐なんてあり得ないだろう。あくまで生後間もないというケルベロスの赤子を見に来ただけだし、襲いかかってこぬよう檻の中か、最低限鎖か何かで繋がれているはずだ。そうでないとエリザの計画が始まる前に頓挫で終わってしまう。

「そ、それじゃあ開けるよ」

 言って、懐から鍵を取り出し、錠前を外しにかかるドラシェ。

 いよいよだ。いよいよケルベロスとのご対面だ。そしてエリザの演技力が試される瞬間でもある。

 心臓が早鐘を打つ。少々煩わしくもあるが程よい緊張感があった方が演技も映える。日頃怠惰なエリザが、客人相手に培ってきたその腕前をお披露目する時が来たのだ(実を言うと、もう何度もドラシェや他の竜人達に披露していたりするが)。

 ぎぎぎ、と扉が硬質な音を立てながらゆっくりと前に開かれていく。通路にいた時とは比べものにもならない光源の束が室内から漏れ溢れ、エリザの視界を奪う。

「……っ! こ、これは――――!!」

 しばらくして、ようやく光りに慣れ始めた後、白く霞む世界の向こうでエリザが目にした景色は――



 手のひらサイズの、何とも可愛らしい姿をしたケルベロスがそこにいた。



「ちっさ! めちゃくちゃちっさ! え、ウソ? このちんまいのがあの魔獣ケルベロスぅ!?」

 つい丁寧語も忘れ、思わず指を差して声を上げるエリザ。

 そこには確かに、檻ではなく周りを柵で囲まれた中で、まだよちよち歩き状態のケルベロスが、四匹ほどまとまった状態で無邪気に戯れていた。そのどれもが三つ首であるし、確かに立派な牙が生えているが、はっきり言ってあれでは単なる子犬だ。しかもそのどれもが茶褐色の毛でもこもこと覆われており、まるでぬいぐるみそのもの。これでは肉食獣というより、完全に愛玩犬ではないか。死ぬほど可愛い過ぎるぞオイ。

「マジで? 本当にマジで? これがケルベロスなのか?」

「え? そ、そうだけど……何をそんなに驚いてるの?」

 驚くに決まっている。伝聞とは違う姿をありありと直視してしまっているのだ。驚くなという方が無理がある。

 いや待て。よくよく考えてみれば、これはまだ赤子だ。いくら姿形がこんなに愛くるしいとはいえ、その親までもがそうとは限らない。さずかに文献にあるような人間の背も超えるような大きさはしていないだろうが、少なくとも大型犬程度の体格はあると思っていた方がいいだろう。それに見た目と違って実際はとても獰猛かもしれないし(きゅーん、と子犬みたいに鳴く様を見るに、微塵もそんな凶暴性は窺えないが)、油断は禁物だ。

「で、でもこれってまだ赤子なんだろう? 成熟したケルベロスはもっとでかいんじゃないのか?」

「う、うん。せ、成犬はもう少し大きいよ」

 今コイツ、はっきりと「犬」って言わなかったか?

 訝しむエリザをよそに、「い、今から連れてくるね」とドラシェは端にあった小屋の方へと向かい、中へと入っていく。

 手持ち無沙汰になってしまったエリザは、ひとまず兄弟同士で遊び回っているケルベロスの赤子を生温かい目で眺めて時間を潰していると――

「つ、連れてきたよー」

 来たか。よし、これで今度こそ頃合いを見てドラシェに抱きついて――



「――ってちっさ! やっぱちっさ! 超可愛いけどちっっっさ!」



 そこにいたのは、ドラシェに軽々と抱えられ、腕の中で嬉しそうに尻尾を振るケルベロスの姿だった。

「何じゃこりゃ! ほとんど小型犬じゃん! どう見ても室内犬じゃん! 二メートルは超えるようなでけぇ三つ首の狼じゃなかったのかよ!?」

「え? ち、違うよ? ケルベロスは大人でもこれぐらいが普通だよ?」

「じゃあこんな広い部屋を用意したのは何なんだよ! でかいし獰猛だからこんな暗い地下に閉じ込めてんじゃねぇのかよ!?」

「そ、それはケルベロスがとても繊細な動物で、特に出産が近い時やその後はとても臆病になるから、ほ、他の生物の気配がしない静かな地下で住まわせてるだけで、ひ、広いのも他のケルベロスを別の場所に一旦移動させてるだけだよ?」

「じゃあ獰猛という話は!? 人間の肉を好むというのは!?」

「な、何の話か分からないけど……ケルベロスはすごく温厚な生き物だよ? お、お肉なんて食べないし、食べるといっても木の実とか花の蜜とか、あとはちょっとした、か、果実ぐらいなものだし……」

「妖精かっ!」

 いや正直、妖精よりもずっとプリティーとすら思うけども!

 にしても、これはさすがに困った。これではエリザの作戦が全く意味を為さない――それこそ白紙に戻ってしまうではないか。仮に無理やり遂行したとしても、こんなラブリーな存在に対して怖がろうものなら怪訝に思われかねない。道理でドラシェものほほんとしているわけだ。

 そりゃあ、こんなキャワワな生き物を見たら目も奪われますわ。心臓ハートだって奪われますわ。キュン死にだってしますわ。現にエリザだって今にもKOされてしまいそうな勢いなのだから。

 それにしてもしかし、どうしてこうエリザの作戦は裏目裏目に出てしまうのだろう。あれか、幸運を司る神に嫌われているのか。何を願ってもそっぽを向かれている状態なのか。一体エリザが何をしたと言うのだ。目の前にいたら文句の一つでも言ってやりたい。

 いやいや、この際文句なんてどうでもいい。それよりもまず、この状況をうまく使ってどうにか――



「きゅーん。きゅーん」



 と。

 黙考するエリザの元に、集団から離れてきたのか、一匹のケルベロスがよちよちと近寄ってきた。

 エリザのすぐそばへと辿り着いたケルベロスは、器用に首を取っ替え取っ替えで足に擦りより、ついには仰向けになって、その愛くるしい六つの黒目で見上げる。

 それはまるで、こうエリザに訴え掛けているかのようで――



『あそんでっ。ボクといっしょにあそんでっ』



「あああああああちきしょうぉぉぉぉぉぉぉ可愛いなあこのぉぉぉぉぉ! お姉さんがいくらでも遊んでやるよばっきゃろうがぁぁぁぁぁぁ!!」

 恍惚とした表情でケルベロスを存分にモフるエリザに、「可愛いよねー」と微笑ましそうに破顔するドラシェ。

 次第に他の赤子達も集まりだし、擦り寄ってきた一匹のケルベロスを猛烈に愛でるエリザを囲んで鳴き声を上げる。



 それから、エリザが本来の目的を思い出したのは、ホクホク顔で自身の部屋へと戻った後の事だった。





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