四話
前回までの簡単なあらすじ。
竜王の息子を惚れさせるつもりが、逆に自分が惚れてしまった件。
「いやいやいや! 惚れてねぇし! 全然まっっったくこれっぽっちも惚れてなんかねぇし!」
場所は例によって幽閉所として使われている一室――そのベッドの上で、エリザは顔を真っ赤に染めながらゴロゴロと悶えていた。
端から見たら奇妙に映るのは言うまでもないだろう。何せ見た目は清楚かつ明らかに上流貴族と分かる人間――それも実に美しい容姿をした少女が、気品なんて微塵も感じさせない態で寝っ転がっているのだから。
それもそのはず。外見こそ頭に超の付く美少女ではあるのだが、その実とんでもない怠け者で、一部の事情を知る者から『怠惰姫』などという、有難くも何ともない渾名を頂戴している程なのだ。何も知らない一般の民や周辺国から、それこそ『白薔薇姫』と称賛を集めるぐらいに美麗な姿をしているのに、こんな粗忽な様を目の当たりにしたら、誰もが閉口するのは言うまでもないだろう。
もっともエリザ自身は周りの評価なんてさほど気にしておらず、むしろどうでもいいとすら思っていたりするのだが。彼女としては、ただひたすら怠けられさえすれば良いわけで、そう言った意味ではこの一国の姫という立場も存外悪くないと思っていたりする。まあ、周りにチヤホヤされる代償として、あれやこれや面倒な事(国費パーティーとか将来の為の勉強だとか)をやらされたりするので、一概に良い環境とは言えなかったりするけども。
なんて大なり小なり不満を抱えつつも、これからもこんな風に怠けて暮らせる日々が続けばそれでいいや、とエリザはそれなりに満足な人生を歩んでいた。
が、エリザのそんな優雅な生活は、ある日突然脆くも崩れ去った。
世界最強の民族と称される竜人の軍勢が、エリザの住む国へと侵略の手を伸ばしてきたのだ。
最初こそ国中でどうしたものかと大論争を繰り広げていたのだが、そんな折、竜人の王がある提案をしてきた事で事態は急変した。曰く、
――絶世の美女と名高いエリザ姫を我が国に貰えるのなら、侵略をやめるのも考慮しなくもない。
と傲岸不遜にも一国の姫を寄越す事を要求し、それで互いに血を流さずに済むのならと、エリザの父――最高責任者である国王もその交換条件を渋々呑む形となった。
こうして、エリザは戦争を回避する為の人身御供として竜人達の国へと連れて行かれ、竜王の息子と半ば無理やり婚約させられてしまったのである。
そこまで良い――いや全然良くないし、今度国王もとい禿げ親父と会う機会があったら、残り少ない毛根を全て毟り取って更地にしてやるつもりではあるが、まあひとまずそれは後回しにして、問題は竜人達の住まう国でいかにして怠ければいいか――それが一番の懸念事項であった。
自分のいた国ならいざ知らず、此処は仮にも敵地。自分が人質(とエリザは思っている)でいる間は危害を加えるような真似はしないだろうが、さりとて待遇が決して良いわけでもなく。
現に、こうして幽閉生活を強要されているのだ。周囲の信用なんて微塵もあるわけもなく、所詮はエリザなんてお飾り人形程度にしか考えていないだろう。待遇なんて、この時点で推して知るべしだ。
たまに竜王の息子――ドラシェとの親交を深める為に食事会とか散歩といった名目で外出できる日もあるが、それも大抵は監視の目があったりして自由なんて一切ない。ドラシェと正式に夫婦の儀を交わせば多少は改善するかもしれないが、おそらく微々たるものだろう。まあ部屋にいられる間は好き勝手できるし、衣食住にも不便はないから生命の危険性はないが、さりとて城での自由気ままな生活に比べたら雲泥の差。人生を自堕落に過ごしたいエリザにしてみれば、大問題だった。
そんな状況を打破するため、エリザが一計を案じたのが、
ドラシェ籠絡作戦――
である。
しかしながらこのドラシェ――これがとんでもない堅物で、想像以上の苦戦を強いられる事となり、エリザをとことん悩ませた。
だがそれも、とある一件で単なる引っ込み思案だったと判明し、図らずもドラシェの好感度を上げる事に成功。このままエリザの作戦通りに進むと思われた――その矢先で。
「何で私の方が照れて何も喋れなくなってんだよぉぉぉぉ!!」
なんて問題が発生。エリザの作戦は肝心要の時に暗礁に乗り出してしまった。
どうしてもダメなのだ。ドラシェと話す事はおろか、目線を合わせただけで胸が急激に高鳴り、熱でもあるのかというぐらいに顔が火照ってしまうのである。
そうなってしまうと、会話なんて満足に出来ず、むしろ何も言葉が思い浮かばなくなる。どうしても頭が真っ白になってしまって、いつも通りの対応――気品に溢れたお姫様然とした演技が上手くいかなくなってしまうのだ。
例えば一週間前にドラシェと庭園を散歩していた時も、
『み、見てエリザさん。す、すごく綺麗な花だよっ』
『そ、そうですわね。ドラシェ様はとても整った顔をされているので、綺麗な鼻梁をされていると思いますわ』
『えっ』
『えっ』
なんて事があったり。
また三日前には、
『ど、どうかな。シェフに頼んで最高級の肉を用意したんだけれど……』
『素晴らしいです! こんなに美味しいローストビーフは初めてですわ!』
『ビ、ビーフストロガノフだよ?』
『あっ。も、申し訳ありません! うっかり間違えてしまいました……。でも本当に良い牛肉ですね。程よく乗った油が口の中に嫌味なく残って、それがソースと絡まって絶妙な味を演出をしているんですもの。冗談抜きで舌がとろけそうな程美味ですわ、このビーフステーキ!』
『ビーフストロガノフ……』
と、噛み合わない会話を延々としてしまったり。
また、つい先日も頑張って自分から話題を振ってみたら、
『きょ、今日はとても良い天気ですわねドラシェ様!』
『そ、そうだね。今日は少し肌寒いから、お、お日様がポカポカしていて気持ち良いね』
『こんなに天気が良いと、あ、雨が降ってきそうですわね!』
『えっ。て、天気が良いのに……?』
などと支離滅裂な事を口走ってしまったり、実に散々たる有様だった。
これというのも全て、ドラシェがあんな反則的な笑顔でお礼なんぞ言ってきたからだ。エリザはただ、単なる自己欺瞞であの馬鹿共に怒りをぶつけただけなのに。それなのに……。
「嬉しい、とか……。ありがとう、なんて……」
シーツに顔を埋めて、胎児のように身を丸くするエリザ。
初めてだった。誰かに感謝されるのも、あんな無防備な笑みを見せられたのも。
エリザの周りにいる人間は、大抵その美貌や地位目当てで、腹底にドス黒いものを沈めた、打算的な輩しかいなかったから。
だから、ドラシェみたいにあんな真っ正面から好意(彼にしてみれば、お友達程度の感情なんだろうけれど)を向けられて、正直どうしたらいいのか分からなくなっていた。
「いや何弱気になってんだ私! 自分の人生が賭かってんだぞオイ!」
ガバッと勢いよく起き上がって、エリザは自らを鼓舞するように握り拳を作る。
これは折角のチャンスなのだ。今後の身の振り方次第で、エリザの目指す自堕落し放題のパラダイスが実現するか否かが賭かっている。
丁度明日は、もはや恒例ともなっているドラシェとの食事会だ。ここ最近はまともな会話が出来ていないし、向こうも不審に思っている頃だろう。こんな事でせっかく上げた好感度を下げるなんて愚の骨頂だ。
「決めた。明日中には攻略の足掛かりを掴んでみせる……!」
そうして、夢の怠惰生活を必ず成し遂げてみせるのだ――!
他者からしてみれば、不謹慎極まりない決意をしつつ、エリザは明日に備える為にも早めに就寝するのだった。
「そ、それでね。この間そのケルベロスに赤ちゃんが生まれたんだけど、すごく可愛くてね――」
カチャカチャと食器が鳴る音が、周囲から響くメロディ――少数のオーケストラが奏でる曲と相俟って、落ち着いた雰囲気を演出している。あくまでも食事を主軸にしながらも、所々会話が挟める程度の和やかな空気が、互いに向き合うエリザとドラシェをゆったりと包んでいた。
しかしそんな中、楽しげにしているドラシェとは反面に、エリザだけはどこか上の空で食事を取りつつ、掛けられる言葉にも必要最低限の受け答えにとどめていた。
というより、どの言葉にも「そうですわね」「わたくしもそう思います」「とても素晴らしい考えですわ」ぐらいしか口にしていない。幸いにもドラシェはその事に気付く気配もなく、また無作為に上記に述べた三つの内のどれかを選んでいるのに、絶妙なはまり方をしているおかげもあって、会話に齟齬が生じずに済んでいた。これもエリザの悪運がなせる賜物だろう。
だが、いつまでもそんな適当な相槌が通用するはずもなく。
「――で、でね? 良かったらエリザさんも一緒にどうかなって思うんだけど……」
「とても素晴らしい考えですわ」
「そ、そっか! 良かったぁ〜」
「……………………ん?」
ややあって、不意に貼り付けたような笑みから一転し、疑問げに小首を傾げるエリザ。
――あれ? ちょっと待て。さっき私、何に了承したんだ!?
まずい。ついボーッとしたまま、適当な受け答えをしてしまった。なんとなく何処ぞへと誘われた事は認識しているが、肝心の場所や日時まで聞いていなかった。内容によってはとても重要な事かもしれないし、どうにかして訊きだして――なるべくちゃんと話を聞いていた態を装って――確認を取らねば。
「え、えーっとドラシェ様。ご一緒するのは構わないのですが、何か準備する物とかお有りなのでしょうか? わたくし、その方面に関しては全くの無知でございますので……」
「だ、大丈夫。ケルベロスに会いに行くだけだし、何も必要ないよ?」
「そうですか〜。分かりましたわ」
なんだ。ケルベロスに会いに行くだけなのか。なるほど、ケルベロスケルベロス――
いや待て待て待て! ケルベロスってまさか、あのめちゃくちゃ獰猛で有名な魔獣ケルベロスの事なんじゃねぇのか!?
やばい。これは非常にやばい。そんな危険な生物に会いに行くだなんて聞いていない。聞いてないというか、右から左へと聞き流していた自分が一番悪いんだけど、しかしながら、何故そんな自ら命を捨てるような真似をしなければならないのだ。一度は了承したとはいえ、今からでも断れないだろうか。
でもドラシェの様子を窺うに、そこまで深刻そうにしていないし(むしろのほほんとすらしている)、何かしら身の安全を保証してくれる対処がしてあるのかもしれない。よくよく考えてみれば、危険なのはドラシェとて同じはずだし、少々お袈裟に捉えていただけなのかも。仮に危険な目に遭いそうになっても、ドラシェを盾に逃げ出せばいいだけだし。
「あ、あの。ぼくも訊きたい事があるんだけど」
「はい。何でしょう?」
先ほどまで卑劣な事を考えていただなんて億尾にも出さず、努めてにこやかな笑みを作りつつ、エリザは訊き返す。
「な、何で喋り方が戻ってるの?」
「? 喋り方と言いますと?」
「えっと。こ、この間の時は男前というか、すごくカッコいい話し方をしていたのに、どうしたのかなって……」
この間――というのは、陰口を叩いていた竜人の兵に、エリザが激昂して怒鳴りちらした件だろう。結局その後も兵達が再び来る事もなく、エリザの豹変ぶりも周囲に広まらずに済んで安堵していたのが(というより、ドラシェを通じて竜王に知られるのを恐れただけかもしれないが)、そういえばドラシェにはがっつりと見られていたんだった。これまで特に訊かれもしなかったので、すっかり油断していた。ここは白を切るしかあるまい。
「ほ、ほほほ。一体なんの事でございましょうか。わたくしはいつだってこんな喋り方でござるよ?」
「……ござる?」
「ございますわよっ!?」
慌てて取り繕うエリザ。危うくボロを出す所だった。
ふう、と内心で大息を吐きつつ、ふと正面にいるドラシェを見やる。
そこでエリザは「あれ?」と小首を傾げた。
妙だ。あれだけうるさかった胸の鼓動が、いくらか治まっている。それに思考もクリアになって、五感が研ぎ澄まされた状態だ。ドラシェとこうして会話を重ねる内に、緊張も緩和してきたのだろうか。
なんにせよ、これはチャンスだ。これなら今までの失態も返上して、本来の目的へと移行できそうである。
さて。さしあたっては――
「ところでドラシェ様。何度かこうしてお食事だったりお散歩だったり――いえ、決して嫌というわけではなく、むしろとても楽しいひと時を過ごさせて頂いてますが、ドラシェ様のご都合とか本当に大丈夫なのでしょうか?」
「えーと……つ、つまりどういう事なのかな?」
「とどのつまり、貴重な時間を割いてまでわたくしの為に使われておりますが、実はとてもご多忙なのでは、と」
「そ、それなら大丈夫! 勉強とか武道の稽古とかやらなきゃいけない事は確かに色々あるけれど、ちゃ、ちゃんとやる事はやって時間作ってるから」
「本当ですかっ? それを聞いてすごく安心いたしました。こんなわたくしの為に何かとご尽力して頂いて、常々申し訳ないと心苦しく思っていたものですから……」
「そ、そんなの気にしなくていいよ! ぼ、ぼくが勝手やってる事だし、それにすごく楽しいし……」
よし。ここまでは思惑通りだ。重要なのはドラシェのエリザに対する気持ちを引き出し――あわよくば互いに意識していると思わせれたら重畳。限りなくベターな展開だ。
どんな者であれ、誰かしらに好意を抱かれているというのは悪い気はしないもの。好感度は着実に上がっているし、ドラシェを完全に籠絡する為にもこちらの好意(言うまでもないが、あくまでも振りだ)を伝えるのは有効な一手となるはず。
その為にも、まずはこちらから誘導してやらねば。
「でも本当に良かったですわ。路傍の石の如くどうでもいいわたくしなんかと一緒にいて、とても退屈な時間を過ごさせているのではと気に掛かっていたもので……」
これで骨組みは完了。後はドラシェの口から「そんな事はない。友達くらいには好感を持っているよ」みたいな事を言わせれば――
「えっ? ぼくエリザさんの事、普通に、す、好きだよ?」
ごんっ。
エリザは額をテーブルの上に打ち付けた。
「わわっ! だ、大丈夫? すごい音がしたよ?」
「……っ。大丈夫です。何も問題ありませんわ」
打った額をさすりながら――たまたまテーブルの上に食器類が無くて良かった――エリザはゆっくりとその放心した顔を上げた。
好き? 好きだと? 人がこんなにドラシェの気持ちを訊きだそうと試行錯誤しつつあれこれ思索しながら反応を待っていたのに、あっさり「好き」だと明言しやがったよこの男は! 今までの徒労は何だったんだと声を大にして言ってやりたい。
いや待て。早まるなエリザよ。好きと言ってもラブとライクとでは意味合いが違ってくる。てっきりラブの方だと受け取ってドラシェに接したら本人にそのつもりはなくドン引きされた、となっては笑い話にもならない。奴は確実に奥手だろうし、ちゃんと確認を取らねば。
「あ、あの、ドラシェ様。先ほど仰られた『好き』というのは、勿論ライクの方意味なんですよね? ラブなんて微塵も介入する余地が無いぐらいに」
「え。ら、ラブのつもりで言ったんだけど……」
「ふぇ!? あ、そ、そうですか。ありがたく存じます……」
普通にラブの方でした。
ていうか、何でこうもあっさり告白できるんだ。てっきりこっちは長期戦になると覚悟していたのに。いや、見ると頬も若干赤いし、恥ずかしそうに指をもじもじとしているから、それなりに勇気は出したんだろうけども(乙女か!)。
まあいい。過程はどうあれ、エリザにしてみればビックチャンスだ。ここでエリザからも「好き」だと口にすれば、めでたく両思い成立。自堕落パラダイスへと至る道がぐっと近くなるというものだ。
さあ言え。言うのだエリザよ。そしてチャンスを逃さず掴み取ってみせるのだ――!!
「その……わ、わたくしも、す――好ひれふひょ?」
噛んでもうた。
それも、かなり盛大に。
「え? すひれふひょ?」
「いえいえいえっ! 何でもございません事よおほほほほほほ!!」
噛んだ事を必死に誤魔化して高笑いするエリザ。その顔は真っ赤に染め上がっており、誤魔化すにしても怪しさ満天の反応だった。
というより。
――こんな恥ずかしいセリフ、面と向かって言えるかあぁぁぁぁっ!!
なんて心情が、大いに含まれているせいでもあるのだが。
「えっと、き、急にどうしたの? ぼくに言いたい事でもあったの?」
「いえいえ! 本当に全然何でもないんですのよ。気にならさないで下さいまし」
「ひょっとして、ぐ、具合でも悪かったりするのかな?」
どうやらドラシェは、今し方のエリザの不審な言動を体調が悪いのだと判断したらしい。
無論どこも悪くなどないし、至って健康そのものだが、ここは敢えて乗ってみるべきかもしれない。どのみちもう一度告白なんてできそうにない上、下手に喋ろうものなら墓穴を掘りかねない。例の発作(まともにドラシェの顔が見れなくなるアレだ)も出てきたみたいで目も合わせられないし、不調の振りをしてさっさとトンズラしてしまおう、そうしよう。
「そ、そうですわね。言われてみれば心なし頭に腹痛が……」
「や、やっぱり。は、早く戻って休んだ方がいいよ。ぼ、ぼくなら大丈夫だから」
頭が痛いのかお腹が痛いのかどっちなんだというツッコミもなく(気が付いてないだけか? いやエリザも口にした後でやべぇと内心焦ったので正直助かったが)、心配そうにエリザの身を案じるドラシェ。
「申し訳ありません。せっかくのお食事会でしたのに……」
「だ、大丈夫。ゆっくり休んできて」
それではお言葉に甘えて、とエリザは楚々と椅子から立ち上がり、扉へと歩む。
今回は色々と思慮の欠けた言動をしてしまったが、特に呆れられた様子もないし、何より大きい収穫もあった。この経験を教訓に、次回からはもっと狡猾――じゃなかった。効率的に策を練るとしよう。さしあたっては、ドラシェの言質も取れたわけだし、今度こそこちらからも好意(嘘)を伝えた後に、なるべく周囲が祝福してくれるようエリザの株を上げておいて、それから――
「え、エリザさんっ」
あれこれ沈思黙考しながら扉へと歩を進めている最中、そんなドラシェの呼び止める声に、エリザは何だろうと振り返る。
「今日、す、すごく楽しかった。良かったらまた一緒に食事しようっ」
一瞬にして血流が上がったのが分かった。
こ、コイツ、去り際になんて事を言いやがるのだ。こっちにしてみれば不意打ちもいい所。心の準備なんて全くしていなかっただけに、動揺が全身に駆け巡る。
何よりも、ドラシェの言葉に顔が自然とにやけてしまう事が一番の問題だった。
何故だ。あんな社交辞令めいたセリフ、それこそ耳が腐るほど聞いてきたではないか。それなのに、何故ドラシェに言われただけでこうも胸が高鳴るのだ。頬がこんなにも熱くなるのだ。
分からない。分からない。分からないけれど、ひとまず今は――
「わ、わたくしもです。またご一緒しましょう」
それだけ言い残して、足早に退出したエリザは、扉の前にいた迎えの兵と伴ってその場を後にした。
胸の内に溢れる、形容できない熱い想いを必死に隠し通しながら。