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三話



・作戦その三【泣き落としで男を思うままにコントロール☆】

 元来、涙には周りにいる人間の気持ちを揺らがせる作用を持つ。赤子が泣くのも言葉が話せない代わりの代弁であると同時に庇護欲を駆り立てる効果があるし、悲恋や近しい人を亡くして泣く人を見れば、憐れみを抱く人だって少なくないはずだ。それがエリザのような美女となれば以下略。いよいよ前口上を語るのも面倒くさくなってきたエリザなのだった。

 というより、前回も前々回も同じくような事を言って見事に失敗してしまったので、あまりフラグになるような真似はしたくなかった。こんな惨めな気分を味わったのは、数年前に誕生日プレゼントと称して小難しい人生指南本を渡された以来だ。あの時の虚無虚無しい気分は一生忘れやしない。

 何だか、仮にも怠惰姫と呼ばれている自分が――どちらかと言わなくても汚名以外の何物でもないが――何故こんなアクティブに動き回らにゃならんのだ。本当だったら今頃自室でベッドに横たわりながらお菓子を貪り食って悠々自適とした生活を送っていたはずなのに。これも全部竜王が悪い。おのれ竜王め。

 などと現状を嘆いた所で何も始まらない。少しでも自分の思うがままに生活できる頑張らない未来を掴み取る為に、今は頑張るしかないのだ。

 そして、必ず竜王の息子であるドラシェをデレさせてみせる――!



 前回のお茶会から数日後。とある城内の庭園。

「今日はよく晴れて本当に気持ち良い日和ですわね。こんな青々した空の下をドラシェ様と二人でお散歩できるだなんて感激ですわ〜」

 穏やかな陽だまりの下、色鮮やかな花々や観葉植物がそよ風に揺れる中、エリザとドラシェは二人っきりで歩いていた。

 周りに人影は見当たらない。おそらく視界に映らないだけで監視が何処ぞに潜んでいるのだろうが、ひとまず表立って干渉するつもりはないようだ。竜王としても、さっさとドラシェと関係を深くして、孫の顔の一つでも見たいのかもしれない。それとも、絶世の美女たるエリザを懐柔し、周囲に自慢の息子夫婦だと言い張りたいのか。どちらにせよ、迷惑極まりない話だ。

 何としてでも、向こうより早くこちらが主導権を握らなければ。もう二度も失敗しているわけだし、今度こそ足かがりぐらいは掴みたい。

 さて、こうしてドラシェに話し掛けつつ庭を歩いているわけだが、例によって相手は無反応。鉄面皮もここまできたら呆れを通り越して尊敬にすら値する。

 だからと言って、このまま泣き寝入りなんて御免だ。いくら鉄面皮とは言え、一切感情が動かないわけではないはず。ここらで一石投じて、静かな水面に波紋を作ってやる。

「ドラシェ様は、わたくしに微塵も興味が無いんですのね……」

 はらり、と。

 エリザの瞳から一筋の涙が零れ落ちた。

 涙はそれだけに収まらず、次々に頬を伝っては、雫となって地面に滴り落ちていく。

「ドラシェ様は、わたくしの事がお嫌いなのですか? 今までずっと、わたくしの事を疎ましく思われていたのですか? もしそうならわたくしは、わたくしは…………っ」

 そこで顔を両手で覆い隠し、いかにも傷心したように俯くエリザ。

 無論、これは演技だ。

 少しでも自堕落に生きるが為、これまで培ってきた演技力を、ここぞとばかりに発揮する。

 さあ、これでどうだ。

 向こうからは表情が悟られないようにほんのりと指の隙間を開けつつ、ドラシェの様子を窺う。



 ドラシェは。

 あの鉄面皮が。



 これまで一切合切何も動じなかったドラシェが、ここに来て初めて瞳を揺らがしていた。

 その事実に、エリザは泣き真似を続けつつも、はっと目を見開かせる。

 ――おっ? これはひょっとしたらひょっとするぞ!?

 期待に胸を膨らませ、ついには言葉を発そうとしているドラシェに注視していると――



「それにしても、竜王様にも困ったもんだな。突然人間の娘を迎え入れるなんて」

「それだけ息子が可愛いって事なんだろ。いくら美人だからって、人間をオレ達竜人の姫にするなんてどうかしているとは思うけどな」



 不意に聞こえてきた、男と思われる二人分の声。

 その唐突に聞こえてきた話し声に、エリザもドラシェもついそちらのほうに意識を奪われる。

「よく知らないけれど、人間の大陸じゃあかなり有名らしいぜ。俺はまだ見た事ないけど、知り合いの話じゃあかなりの美人だったってさ。それも屈指の大国の姫様なんだとか。だから人質としても都合が良かったんじゃね?」

「だからってなあ、竜人でもない奴がオレ達の上に立つとか、あんま面白くはねぇよな。ま、竜王様が決めた事なら文句なんて言えねぇけど。お妃様も全面的に賛成しているみたいだし」

 相変わらず、竜王様にベタ惚れだよなあ。

 そう言って笑い合っていたのは、兵装した二人の竜人だった。こちらの存在に気付いていないのか、大木の幹を背に誰にも憚る事なく会話を楽しんでいる。くだんの人間が、すぐそばにいるとも知らずに。

 やはり他の竜人にしてみれば、エリザが優遇扱いされるのが気にいらないらしい。こちらとしても別に好きで来たわけでないが、説明した所で耳を貸さないだろう。元より、説明する気なんて皆無だが。

 まあ、凡俗の陰口など至極どうでもいい。それよりも、せっかくドラシェの情を誘いつつあったのに、このままだとあの二人に気が逸れてしまう。

 演技を続行しつつ、早くこの場から去らなければ。とりま、手でも引きながら何処かに追い詰めて――

「それよりも、気に喰わないのはドラシェ様だよ。いくら何でも甘やかし過ぎじゃないか?」

 手を握ろうとしたその時、唐突に自分からドラシェへと矛先が変わったのを聞き、エリザはピタッと動作を止めた。

「甘やかし過ぎって?」

「美人の女を連れて来たのもそうだけどさ、色々と与え過ぎだろ。自室もとんでもなく豪華だし、お付きの侍女とか執事とかもかなりいるらしいぜ? それなのに何にも仕事しなくていいとか、オレ達一般兵にしてみれば羨ましい限りだよ」

「まあ、なんせ竜王様のご子息だしなあ。次期王になる方でもあるし」

「でも何か頼りなくないか? 竜王様はリーダーシップもカリスマ性もあるし、素直に尊敬できるけど、あいつ何にも出来ないじゃん」

「おいおい。仮にもあちらさんは竜王様の息子だぜ? あいつなんて言い方していいのかよ?」

「いいんだよあいつで。実際あいつ、頭が切れるわけでも、武術に長けているわけでもないじゃん。しかもいつも無口で何考えてんだか分からないし」

「ああ、それは確かにあるな。何だか不気味って言うか。ああいったタイプの下で働くのって、すげぇ大変そうな気がする」

「分かる分かる! ありゃ絶対こっちで尻拭いさせられるタイプだぜ。無能な上司ほど厄介な奴はいないよな」

「違いねぇや。あははは!」

「あははははは!」

 品のない下卑た笑い声が、静止したままのエリザの耳朶に届く。

 彼らにしてみれば、なんて事ない世間話のつもりなのだろう。愚痴を言い合う事で日頃のストレスを発散する、ありふれた風景。

 陰口なんて平気だ。悪意を向けられる事にも慣れている。蔑視さえ適当に受け流すすべも身につけた。

 他人なんてどうでもいい。少しでも自堕落に生きられるなら、どんな物でも利用する。それがエリザの矜恃であり、絶対変わらない人生観だ。それを否定し、阻害してくるというのなら、徹底的に――されど相手の敵愾心を煽らないよう上手く立ち回って抗ってみせる。

 だから、きっとこれは気の迷いだ。

 彼らの陰口を耳にして、柄でもなく愚熱に浮かされたのに違いない。

 でなければ、横に立つドラシェを盗み見して。

 一切表情が変わる事がなかったあのドラシェが、寂しそうに瞳を伏せているのを見て。

 こんなにも怒りが込み上げてくる事なんて、あるはずがないのだから。



「――やっっっかましぃんじゃボケナスがあああぁぁぁぁぁぁ!!」



 突如、喉が張り裂けそうなほどの大声で激昂するエリザ。

 全くの不意打ちだったせいだろう、二人共揃って肩をビクつかせ、さらには鬼気迫る表情で近付いてくるエリザを見て、呆気に取られている様子だった。

「さっきからネチネチとしょーもない事ばかり言いやがって! 本人の前じゃあビビって何も言えんってか? このフライドチキン共めっ!」

「げぇ!? 何でエリザ姫がここに!?」

「ていうか、チキンはともかくフライドって一体……?」

「こまけぇこたぁいいんだよ! この三下が! 自分達の無能を棚に上げて他人を侮辱してんじゃねぇよ! カスにも劣るゴミ屑がっ!」

「っ。んだとてめぇ! 言わせておけば好き勝手言いやがって……!」

「待て! 見ろよあれ――!」

 袖を捲って喧嘩腰になっている同僚を、もう一人の兵が肩を掴んでエリザの後方を指差す。

 今まで、エリザの背に隠れて視界に入らなかったのだろう――微動だにせず突っ立ったままでいるドラシェを見て、さあっと顔色を青ざめて凍り付いた。

「ド、ドラシェ様? まさか、俺達の話を聞いて――」

「す、すみませんでしたっ! 決して悪気があって言ったわけでは……。おい! お前も謝れ!」

「すみません! 何卒、先ほどの話はなかった事に……!」

「じゃかぁしぃわ! 調子の良い事吐きやがって! ええい目障りだ! 散れ散れ散れぇぇぇ!!」

「ひぃぃ! 何でこの人がブチ切れてんのぉ!?」

「分かりましたぁ! 今すぐ目の前から消えますぅ! おいもう行くぞ! これ以上ここにいたら騒ぎで誰かが来ちまう!」

 それだけ言い残して、二人の兵は脱兎の如く何処かへと去って行った。

 はぁはぁ、と息を切らせながら、逃走する兵の背を睨みつけるエリザ。

 そうして姿が見えなくなった後、しばらくして――



 や、やってもうたぁぁぁぁぁ!!



 我に返ってすぐ、己のやらかした事に頭を抱えた。

 やってもうた。完全にやらかしてもうた。これまでの我が儘が言えないストレスがここにきて決壊してしまったのか、つい自制が利かないまま暴走してしまった。

 これはまずい。非常にまずい。せっかくドラシェの気をこちらに引きつつあったのに、完全に化けの皮が剥げてしまった。これでは計画がご破算だ。

「あのー、ドラシェ様? 今のはですね、あの方々を懲らしめる為の演技でございまして……」

 どうにか釈明してこの場を切り抜けようと、へりくだった姿勢で背後にいるドラシェに振り返ると――



 泣いていた。

 ぼろぼろと頬を伝う涙を拭いすらせず、泣き続けていた。



「えぇ!? 何で泣いてんの!? お前そういうキャラじゃねぇだろ! どっちかと言うと『この俗物が』と唾でも吐き捨てるタイプのはずじゃね!?」

 己を偽る事すら忘れて、ドラシェのキャラを勝手に断定するエリザ。化けの皮どころか、もろに正体をひけらかしていた。

 しかし、それも無理なかった。何せあのドラシェが――表情筋が無いのではないかと言うぐらい無愛想だった寡黙王子が、人目を憚らず落涙しているのだから。

 一体何が彼の感情を激しく揺らしたと言うのか。わけが分からないままに彼の反応を待っていると――

「……ご、ごめんね」

 と。

 体格の割には高音の――しかもか細い震え声が、ドラシェの口許から発せられた。

「ほ、本当だったらぼくが言い返さなきゃいけないのに、ずっと黙ったままで……」

「いや、ごめんて……。つか、え? ぼく? 一人称がぼく?」

 色々と信じられない光景に、思わず呆然とするエリザをよそに、

「あの二人が言ってた事、う、嘘じゃないんだ……」

 とドラシェは先を紡ぐ。

「ぼ、ぼく、父上みたいに強くなんかないし、みんなを引っ張る統率力もない。何にも才能が無いんだ。そ、それに気も小さいし、争い事も苦手だし、周りからも親の七光りとか馬鹿にされてて……」

 言葉通り、気弱そうに両の指を突ついて話すドラシェに、エリザはふとある事に気付いた。

 今の今までずっと寡黙でクールな男だと思っていたが――



 ――こいつ、単に引っ込み思案なだけかあぁぁぁぁぁぁ!!



 何だろう、この虚脱感。狼だと警戒していたら、実は人畜無害な子犬だった的な。これまで気を張り続けていただけに、落差が半端ない。

 大体こいつ、今のエリザを見て何とも思わないのか。これだけキャラが変わっているというのに。鈍感なのか、はたまたエリザといる時は終始緊張していて、そこまで意識が回らなかったのか。まあ、こちらとしては大いに助かるけども。何故だか分からないが、監視役も駆けつけて来ないし、トラブルが広がらずに済んで何よりだ。もとより、監視役なんて始めからいなかったのかもしれないが。

 いや、それはありえないか。だったらこれまでの執拗な監視は何だったのだという事になってしまう。そうなると、何かしらの事情で駆けつけられなかったと考えるのが妥当か。どういった理由なのかは定かでないし、邪推するしか今は方法がないのだけれど。

「……だ、だから、ありがとう。エリザさん」

「……は?」

 思索に耽っていたせいもあって、思わず素っ頓狂な返事をするエリザ。

 つーか、いきなりありがとうって何だ。そもそもこいつ、私の名前ちゃんと覚えてたんかと色々思う所はありつつも、「ありがとうって一体何が?」と聞き返す。

「えっと……さっき、ぼ、ぼくの代わりに怒ってくれて……」

「ああ、ついさっきの。いや別にお前の為ってわけじゃあ……」

「そ、それでも、すごく嬉しかった。嬉しかったんだ……」

 にへら、と。

 未だ涙の軌跡を残しながら、締まりのない笑顔を見せるドラシェ。

 その無防備な表情に、ドキっとエリザの胸が高鳴ったのを感じた。

「さっきも言ったけれど、ぼく、周りに馬鹿にされてばかりだったし、こんな性格だから、今まで何も言えなかったんだ。ち、父上の言う事にも逆らえなかったし、エリザさんとの結婚が決まった時も、何も言えなかったんだ。どうせ向こうも、こんなぼくに呆れてすぐ愛想を尽かすに決まってるって、みんながそんな風に話しているのを耳にして、ぼ、ぼくもそう暗く考えてたんだ。

 でも、違った。エ、エリザさんは、こんなぼくの為に真剣になって怒ってくれた。適当に流すんじゃなくて、正面から立って反論してくれた。それがすごくすごく、嬉しかったんだ。

 だ、だからエリザさん。改めて、ありがとう……!」

 何やらドラシェが熱っぽく語っているが、今のエリザの頭には何も入ってこなかった。今の話を吟味すれば、監視が途中で緩くなったのも、元々そんなにやる気があったわけではなかったのだとか、冷淡そうなドラシェが、何故かこれまで言われた通りにお茶会などに参加していたのも、単純に親である竜王に反抗できなかったからなのだとか、そういった推察が思考から抜けるほどに――今のエリザは目に見えて動揺していた。

 鼓動は収まるどころか強く脈打ち、それに呼応するように、顔がすごく熱くなる。いや顔だけじゃない。全身が火が付いたように熱かった。



 ――なんだこれなんだこれなんだこれなんだこれぇぇぇぇ!?



 一度も経験した事ない感情に、内心で慌てふためくエリザ。少しでも熱を冷まそうと頬を両手で当ててみるが、一向に収まる気配が無い。自分では分からないが、ひょっとして今の頬は真っ赤に染まっているのではないだろうか。

 きっとこれはあれだ。慣れない礼に浮かれているだけに違いない。でなければこんな根暗に、自分が揺れ動くわけなど――

「エリザ……さん?」

「うわあっ!?」

 いきなり視界に入ってきたドラシェに、物思いに没入していたエリザは驚愕の声を上げた。

「エリザさん? どうしたの? 体の具合でも悪いの……?」

「何でもない何でもない! だからこっち寄るなっ!」

 心配げに顔色を窺うドラシェに、エリザは焦りながら後退る。

「えっ、で、でも……」

「だ、大丈夫だから。ちょっと風邪引いただけだから。ちょっと熱っぽいだけだからぁぁぁぁぁ!」

「エ、エリザさん……!?」

 唐突に奇声を上げて走り出したエリザに、ドラシェは呼び止めつつも追いかけるような真似はせず、その背を静かに見送る。

 そんなドラシェに構わず――否。最早構う余裕もなく、エリザはドレスが乱れるのも厭わず、ただがむしゃらに全力で庭園を走り抜ける。

 その顔は目を見張るほど紅潮しており。

 まるで初めて恋を知った、純な乙女のようであった。




 それはまだ、白薔薇姫と竜王の息子が正式に夫婦となる前。

 後に険悪だった人間と竜人の仲を取り持ち、おしどり夫婦として歴史に名を残す事となるのですが。

 それはまた、別のお話。




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