一話
とある世界のとある国に、それはそれは大変に美しい姫様がいました。
そのあまりの美貌に、国中の誰もが憧れと畏敬の念を込めて、こう呼んでいました。
白薔薇姫、と――。
「いや冗談じゃねぇよ。何で私がこんな目に遭わされなきゃなんねぇんだよこのやろうチキショーめ」
白薔薇姫ことエリザは、天蓋付きのベッドで豪快に胡座をかきながら――ともすれば今にも唾を吐き捨てそうな様相で、そんな悪態を吐いた。
齢は17前後ぐらいか。態度こそすこぶる悪いが、目鼻立ちははっきりとしており、一つとして文句の付けようが無いほど整った顔をしている。純白のドレスに包んだその身は全体的に細く、しかしながら出ている所は出ている理想的な体形だ。
それより何より、最も目を惹くのはその髪だ。腰まで伸びる長い髪は銀糸に近い美しい白で、他の色は一切合切交じってなどいない。枝毛一つ、否。僅かな乱れすら見当たらない流線状の髪は、さながら荘厳な滝を想起させる素晴らしい外見だった。
装飾過多な一室――そのどれもが高級品であろう事は推察に難くない絢爛豪華な部屋に、見目麗しい姫が一人。それだけならば、まさしく絵になるような光景ではある。が、
「何で私がこんな右も左手も分からない、おまけに人間ですらない敵国なんぞに嫁がなきゃなんねぇんだよ。どうしろっつーんだよ、ったく」
この一言でお分かりの通り。
というより、先述にあった言動で大体の見当は付いておられると思うが、この姫様、口が悪いと言うか何と言うか――所作一つ一つが粗暴極まりなかった。
それもそのはず。何も知らない民衆にこそ『白薔薇姫』と敬れているが、その実この姫、相当な怠け者なのである。
まず何と言っても、動かない。基本自室からは一歩も出たりせず、する事言えばベッドで食っちゃ寝。もしくはゴロゴロと読書(無論学術書といった高尚な物ではなく、殆どが恋愛系や旅行記といった娯楽物だ)をするか、それか適当にメイドを捕まえてのお喋りぐらいだ。
さすがに国賓を招いての大事なパーティーなどにはしぶしぶ出席するが、それ以外は滅多に人前にも出ず、無駄に体力を使う事を良しとしていなかった。正直、自分で歩くすら面倒だとも思っている。
エリザがこんなにも自堕落な人間になってしまったのは、そもそも周囲の者がやたらと甘やかしてしまったのが主原因で、エリザも幼少の頃から非常に容姿が整っていたのを自覚していたので、余計付け上がってしまったのである。
そうして気が付いた時には既に手遅れ。王族としてこれはいくらなんでも見兼ねるものがあると様々な人間な奮起して色々と躾けてみたものの、結果は言わずもがな。もうどうにもならない状態へと成り果てていた。
そうして付いた渾名が――
怠惰姫。
まさに、今のエリザを評するのに最も適切な呼称であった。
まあ。
これだけ堕落しきった生活をしていれば、このような蔑称を付けられても無理からぬ話だろう。だからと言って更生する気など更々持ち合わせてなどいないし、別段、歯牙にも掛けていない。陰口など、好き勝手に言わせておけばいいのだ。
働いたら負けがエリザの信条。働かずして食う飯こそ何よりの至高だ。
これからもその考えを改めるつもりなど毛頭無く、今後もずっと優雅に自由気ままに過ごして生きるのだ――そう思っていたのだが。
ここに来て唐突な縁談話。それもあくまで表向きで、実際は人質として迎えられたようなもの。相手方には嫁ぎに来たという体裁でいるものの、心情的には敵国へわざわざ捕らわれに来たといった感覚に近い。
そも、何故このような事態になってしまったのかと言うと、本国と敵国の間に政治的駆け引きがあった、と思ってくれて構わない。
先ほどから敵国敵国と述べてはいるが、エリザの独白にもあった通り、向こうは人間なんかではなく、竜人と呼ばれる種族なのだ。
それもこの竜人、人間よりも遥かに優れた身体能力をしており、元は海を挟んだ遠い土地に住んでいたはずが、エリザのいる国の近くまで勢力を伸ばしてきたのである。
そこで泡を食ったのは現国王――エリザの父親だ。どうやら竜人達が支配権を広めつつあるのを事前に知っていたようなのだが、こんな遠方(竜人の国から本国まで、あらゆる交通手段を用いても約半年は掛かる)にまで手を出すはずがないと高を括っていたらしく、今更になって危機感を持ったようなのだ。
はっきり言ってしまえば――それこそ歯に衣を着せぬ言い方をすれば、エリザ達に勝てる見込みなどありはしない。いやエリザの国も世界から見たら屈指の大国ではあるので、力の限りを尽くせば、それなりの打撃を与える事はできようが、しかしそれでも、決定打には足りない――展望が見えないほど、勝利への道を切り開けそうになかった。
そこで持ち込まれたのが、エリザ姫と敵国の王子との縁談だ。
何でもエリザの噂――どれだけの美句麗句を並べても足りないほどの美しい姫がいる、と何処ぞから聞き及んできた敵兵が竜人の王――つまり竜王へと伝えたらしく、それならば我が王子の妻にと、縁談話が持ち上がったという次第なのである。
言わずもがな、これには普段から低燃費思考であるエリザも烈火の如く猛反発した。その剣幕に、周囲にいた召使いやメイド達が皆一様に驚愕を露わにするほどに。
それはエリザの怒気を真っ正面に受けた王も例外ではなく、心なしか以前より老け込んだように見える、と後に臣下達が語っている。
以下が、そんなエリザの罵詈雑言の一部を抜粋した一文である。
「――ざっけんなクソデブが! 何で私がそんな生け贄みたいな真似をされなきゃなんねぇんだっ! 寝言はお前の毛根みたいに死んで永眠してからほざけやこのハゲブタが! あぁん!?」
いやはや。
怖い物知らずというか後先知らずというか――散々甘やかされ、好き放題やってきた女の成れの果てが、これである。
しかし、何も悪罵だけではなく、それなりの正論も述べていたりする。その一つが、それだけの強国ならそんな窺いすら無く力付くで奪ってくるんじゃないのか、だ。
だが、そこは腐っても世界屈指と呼ばれるだけの我が国。話を聞けば向こうもそれなりにリスクを重んじたらしく、侵略しない代わりに姫を寄越せと恐喝紛い――もとい妥協案を提示してきたのだ。
受け入れれば暫しの安泰を約束されるが、断れば即戦場。こちらの敗戦はどうしたって免れない。
そうなれば、どちらにせよエリザとてただでは済まないだろうし、一歩間違えれば死すらあり得る。
エリザは悩んだ。もう脳が発酵するんじゃないかというぐらいに悩みに悩んで悩み抜いた。
そうして出た結論が――
「はあ。どうしたもんかなぁ。とりあえず丁重に扱ってもらえるみたいだけれど、いつまで続くか分からないし、所詮は人質みたいなもんだしなぁ」
と、なんだかんだで現状に至る。
どうにか五体満足のまま、海を越えての長い旅路(この間、ずっと見張りに付きまとわれて心底鬱陶しかった)を終えて無事に竜王の根城へと辿り着いたまでは良しとしておこう。今迄と違って一切我儘が言えないのが痛恨の極みではあるが、命があるだけでも物種だ。こうして殆ど幽閉という形ではあるが、それなりの豪華な自室を与えてくれたわけだし、人並みの生活は保証してくれる事だろう。
それよりも問題なのは、竜王とその息子だ。城に着いた早々にその両者と対面を果たしたわけではあるが、これがまた、一筋縄ではいかなさそうな輩だった。
以下、回想――
「ほう、貴様が件の白薔薇姫か。なるほど、噂に違わぬ美しさよ。これならば、次期竜王の妃として何ら申し分あるまい」
後は、竜王の妃に相応しい教育を施すだけだ。
と。
品定めするように立派に蓄えた髭を撫でながら、竜王は終始唖然と立ち竦んでいるエリザを見やって、そんな感想を漏らした。
エリザの反応も無理はなかった。二メートルは悠に超えようかという巨漢に、服の上からでも覗ける筋骨隆々とした肉体。見た目は四、五十ほどの中年だが、王たる風格を思わせる精悍な顔付きをしており、その場にいるだけで萎縮してしまうほどの雰囲気を纏っていた。
何より目を引くのはその角だ。竜人は皆一様に頭が角が生えているとのは前以て知っていたが――というより、此処に連れてこられた時に何人かの竜人の角を実際にこの目で確認した事ではあるが、しかしそれを差し引いても驚愕に値する大きさだった。
他の竜人達は、せいぜいが中指程度の太さと長さだったのに対し、竜王の角はそれの倍――否、むしろ成人男性の腕ほどはあるのではなかろうか。角の大きさがその者の地位の高さを示すと何かの文献で読んだ事があるが、さもあろう、これほど巨大な角は他にないであろう様相を呈していた。
いや、まだいた。竜王ほどではないにしろ、十二分に立派な角を生やした男子がすぐそこに。
「息子のドラシェだ。余の後継ぎにして次の王――そして貴様の夫となる男でもある。不敬な態度を取らぬよう、重々気を付けよ」
上から押し付けるかの如く威圧のある言葉に、エリザは厳粛な表情で静かに頷きつつ、先ほど紹介されたばかりのドラシェ――竜王の隣りで始終無言かつ無表情で立っている竜人にそれとなく視線を向ける。
歳はエリザと変わらない程度か、高くても19〜21ぐらい。竜王ほどではないにせよ、それでも190はあろうかと言う長身痩躯。全体的にクールな感じで、容姿も端麗なせいか、黒髪と黒い瞳と相俟って、とても物静かな印象を受ける。見た目だけならすぐにでも女子勢に取り囲まれそうなほどの美形ではあるが、有象無象には一切感心が無いといった鼻持ちならない雰囲気が、エリザの警戒心を煽っていた。
「ご挨拶が遅れました。竜王様、ドラシェ様、わたくしはエリザベート・フランシス。どうぞエリザとお呼びくださいませ」
とは言え、ここは仮にも敵地でもあり嫁ぎ先でもある。第一印象は大事だし、挨拶は今後を左右する重要なファクターだ。明らかにキャラが変わっていたりするが、なに、人間(?)関係なんていうのは、表面だけ取り繕っておけば大体支障は無いのだ。今ここで本性を露わにしては、立場を危うくするだけだし。
「うむ。ではそのように」
「………………」
果たして、そんな外面をいかんなく発揮したエリザに対しての両者の反応は、どちらも無愛想という共通点はあるものの、ドラシェに至っては一貫して無反応であった。
ひとまず今回は顔合わせというだけで竜王達との邂逅は特に波乱もなく終了したが、ことドラシェに関して、一筋縄ではいかないというか、この先の不安を残す結果となってしまった。