7 出会い
適当に休みながら雷奈と浪雷は汗を流し、他の面々はそれを適当に見学していた。
さすがに雷奈も“剣士”の二つ名を持つ者である。そして意外に教えるのも上手く、始めは侮っていた浪雷もすぐに真剣な面持ちとなり、わずか半日たらずですっかり雷奈に懐いてしまった。
結果、夕食を家でどうかという話になり、玉梓も一緒に誘われてしまっては文句の出しようもなく、一同は狼牙に挨拶して、訓練場を後にした。
道なりにある施設を適当に説明しながら、浪雷は先頭を歩く。
そしてこの辺りから近衛兵の敷地だという頃に、空を切る音が聞こえた。
「近衛兵の方ですかね」
興味を示した良桜に気づき、雷奈は誰とはなしにつぶやく。
「どうでしょう。近衛兵は基本団体行動なので、一人というのはめずらしいのですが……。自主練かな?」
浪雷がそれに答え、音のする方へと近づく。
「あ」
浪雷の気配に気がついたのだろう、一人槍を振るっていた女が動きを止めてこちらを見た。
そして彼女を目にした璧玉が、思わず声をもらしていた。
彼女は璧玉が外で初めて見る、蛇女族だった。
その蛇女は璧玉とは正反対の、黒い蛇だった。
蛇の尾をした下半身はもちろん、肌も髪もわずかに緑がかった黒である。
瞳の色は黄色く、肌はほとんど黒といってもよかったが、頭頂でゆるく束ねて流した髪と、着物の裾から見える蛇の尾は、見事な緑の光沢を持つ黒色だった。
長い髪にかんざしをさし、凹凸のない顔の目尻に朱を入れている。波模様の帯は前で結んでたらしていた。
紋は見える範囲で額と両頬。
彼女もまた、璧玉を見てびっくりした顔をした。
蛇女族において男は“種”と呼ばれ、村から外に出ることはない。
璧玉は逃げ出した元“種”であり、族長の許しを得て、蛇女族を捨てる代わりに名と自由を手に入れた。
しかしまだまだ世間知らずである。村の外で蛇女族を見たのも初めてだった。
一方女の方も璧玉の姿に驚いていた。
こんな所に、村の外に、“種”がいるはずはない――。
それでも村の外にいる女は、璧玉の身に思い当たるものがあったのだろう、“種”には必ずつけられている首の鎖がないのを見てとると、「族長の許しを得て」正式に村から出てきた“男”なのだと看破する。
「あ……、ごめんなさい。槍の練習中におじゃまをしてしまって。音が聞こえたから気になって」
雷奈が首を出す。
「いや、そうだな、私もそろそろ帰らねばならぬ時間だ」
槍を下ろし、空を仰ぎ、女は答えた。
「近衛兵の方ですか?」
「いや。今度の近衛兵入隊試験を受けようかと思い、この場を借りているだけだ」
女は真珠と名乗り、元は王宮軍にいたのだと言うと、雷奈を見て痛ましげに目を伏せた。
「半馬人狩りに参加するはめになり、ほとほと王宮軍が厭になったのだ」
真珠は言った。
王宮軍とは時の王によって招集される、寄せ集めの軍である。入りたいと言えば誰でも入ることができ、一応の責任者は選ばれるものの長というほどの権限はなく、自然、荒れた集団となる。
前王、麗宮王によって集められた王宮軍に真珠は志願したものの、運悪くと言おうか、半馬人狩りの命令に当たってしまった。
麗宮王の命令を正確に再現すると、こうなる。
「半馬人族を一人残らず収容所に集め、労働力とするように。あとは好きにするがいい」
しかし暴れたいだけのならず者集団にとって、「あとは好きにすればいい」という言葉は、「何をしてもいい」という免罪符に等しい。
結果、逃げる者は殺し、強制収容所にての乱暴狼藉へとつながり、「半馬人狩り」という名の暴挙となった。
明らかに拡大解釈されたことを知っても麗宮王はそれを制止せず、王宮軍のやりたいままにまかせた。
多少なりと心ある者は途中でどんどん脱けていったが、それでも機能しなくなる程に人数が減ることはなかった。
「途中でやめたからとて、罪が軽くなるとは思っていない」
真珠は自嘲する。
「だからといって、私一人がここで貴女に謝っても、それはただの自己満足なのだろう」
それでも。
「それでも言葉は尽くすべきだと思う。――大変、申し訳ないことをした」
そうして雷奈に対し、深々と頭を下げた。
驚いたのは雷奈である。
確かにつらい思いをした。王宮軍を恨んだし、王を恨んだ。
それでも何故か、“赦せない”と思ったことはなかったのだと気づく。
それはおそらく、悲しすぎて怒ることができなかったからだ。
そして良桜に助けてもらったからだ。
「あの、頭を上げてください」
真珠が赦しを求めていないことはわかっていた。そして雷奈一人が許すと言うことはできない問題だった。
それがわかっているから、もう何も言うことはできない。
「あたしは、あなたはりっぱな方だと思います。誰もあなたをうらんでいないとか、もう気にしなくていいとか、あたしが簡単に言うことはできないのだけれど……」
目を伏せる。頭を上げた真珠はそれを見て、少し微笑んだ。
「わかっている。ただ私の中のけじめをつけたかっただけだ。貴女は“剣士”だろう?」
「え?」
「貴女自身の中では、もう決着のついている事なのかもしれない。それを蒸し返すような私の言動は不愉快だろう。それでも貴女に謝罪せずにはいられなかったのだ」
「……」
雷奈は呆然と女を見やる。何もかもを飲みこんだ上でなされた謝罪に、雷奈が言うことは何もない。
「こんなところで、足を止めさせてすまない。帰りましょうか」
門までご一緒しても良いですか?
雷奈はただうなずくことしかできなかった。
南の門。
意を決して、浪雷は口を開いた。
「なあ、あんた。知っているとは思うが、近衛兵の入隊試験は剣技だ。槍をつかいたいなら親衛隊でないと無理だ」
真珠は振り向き、答えた。
「知っている。だが私の腕では親衛隊は無理だ。だが剣を習えるような知り合いもいないし、何もしないよりは槍でも振るっていた方がましだろうと思っただけだ」
「あの……」
浪雷は困った顔で雷奈を見上げる。真珠の話を聞いていなければ、すぐにでも頼みたかった。
雷奈は浪雷の言いたいことを察すると、ぱっと顔を明るくした。
「真珠さま、あたしでよければ剣をお教えしましょうか!」
浪雷の姉浪嵐は、シンプルな装いに身を包んだ人狼だった。
灰銀の髪は前髪が長く後ろが短い、それでもショートといえる髪型だったが、受ける印象はどこまでも大人しい。
瞳の色は血赤色。紋は額と右頬。その顔も目立って美しいわけではないのだが、内面の美しさが形となり、気品を添えていた。
胸からはカソレア教徒の証である、コウモリ羽十字のペンダントを下げている。
突然弟が夕食時に大勢の客人を連れてきても嫌な顔一つせず、にこやかに招き入れた。
それでも六人である。さすがに驚いてはいた。
「まあ浪雷、今日はシチューだから余裕があるけれど、そうでなければお客様の夕飯がなかったところよ。早めに連絡を入れてくれないと」
「ごめん姉貴、でも助かったよ。おれ、この雷奈さんに、今日から剣を教わることになってさ、この人たちみんな旅人なんだ」
「あら、それはそれは浪雷がお世話になります。泊まっていかれますか?」
「あ、宿は決まってるらしいんだけど、夕食だけでも一緒にどうかと思ってさ」
丁寧に頭を下げる浪嵐に、雷奈は恐縮する。実年齢はともかく、年上を感じさせる風格である。
一同はそれぞれに礼を言い、夕食をごちそうになることとなった。
招き入れられた部屋は決して大きくはなかったが、綺麗に掃除、整頓され、主の人となりを表すかのような、居心地の良さをかもしだしていた。
浪雷は雷奈に一生懸命話しかけ、雷奈はそれに答えながら浪嵐に質問する。
狼牙の婚約者という彼女に、聞きたいことはたくさんある。
玉梓はこれ幸いと、しきりに良桜に話しかけていた。
が――。
「良桜さま、良桜さま。浪嵐さまと狼牙さまのなれそめって、狼牙さまが悪漢に囲まれていた浪嵐さまをお助けしたのですって。あたしたちといっしょですね!」
良桜は視線を上げる。
「あなたはかなり強いと思うが」
「その、相手がどうやら親衛隊の方だったらしくて。けじめをつけたかったのだと思います」
ほのかに色づく頬に手をあてる。
「わかるんすか」
「おまえより姉の方が強いだろう」
「……ぐ」
「浪嵐さまはナイフ使い……ではないのですよね? ナイフが使えるなら、弟さんに教えられますし」
「なんかあの坊や、良桜に対しておびえていないか?」
「まさに瞬殺だったからな、仕方ないだろう」
「王子さまって、たまにヒドいよね」
「? ……しかし副長も言っていたが、狼牙が自分でやればよかったのにな」
「身内だからだろう」
良桜が答える。
「将来の弟だからか? あの兄さんに限ってそれはないと思うがなあ」
「同じように剣をつかう者同士という意味だ。狼牙に瞬殺されてもあきらめないだろう」
「同じって……、あの大きな刀とナイフがですか?」
璧玉も加わる。
「刀剣ってくくりなら、武器としては同じなのか?」
「扱い方はかなり違うと思うが」
「わたしなら素手だ。素手の相手に負けたら引かざるを得まい」
浪嵐と話していたはずの雷奈が前ぶれもなく良桜に話しかけ、そこから宮麗、宮良が話に入ってくる。璧玉は聞く一方だが、こちらも思わぬところで質問してくる。
結局玉梓が引くことになる。
良桜は、質問には答えてくれるが、会話にはならない。
雷奈とも会話が成立しているようには思えないのだが、雷奈本人はどうやら気にしていない。宮良と宮麗は、質問すれば答えてくれるという、無口で無愛想な良桜にしては意外ともいえる律儀さを踏まえた上で、巧みに話を振ってくる。
「身内って、親衛隊ってことか。坊やはまだ隊員じゃねえけど、希望者なわけだし」
「ああ、なるほど。いくら隊長にやられようとも、あきらめることはないか。もともと憧れているようだし」
「結局あきらめていないけどな。自分にまとわりつくのをやめさせたかったんだぜ、きっと。兄さん策士だな」
「良桜さま、良桜さま。いつ結婚するか、おふたりまだ決まっていないのですって!」
「けっこんって何ですか?」
こうして夕食の時間は賑やかに過ぎていった。
そしてやっと玉梓の家である。
こちらは妹が出迎えてくれた。
ずいぶんと風変わりな衣装だが、その表情からは誠実さが見てとれる。
髪は石灰の白さ。おそらく長さは肩ぐらいであろう、後ろの高い位置で束ねて、二つの玉飾りをさしていた。
姉とは正反対の、切れ長の瞳は黒炭の黒さ。
そして石を思わせる灰の肌。
色合いは全く同じなのに、兄とも姉ともあまり似ていない。ただ硬質なイメージは、兄の方に近かった。
石人形族の紋は、額と右頬。
手だけではなく、足の指やへそにも飾りをつけ、耳飾りも左に三つ、右には形の違う物を一つ。しかしどれもシンプルな作りで、決して派手ではない。
「その……、姉のわがままに付き合って下さってありがとうございます。私の名は玉兔。大したおもてなしはできませんが、せめてごゆっくりとおくつろぎ下さい」
その声音も落ち着いていて、身長も姉より高く、姉妹逆だと言われた方が信じるだろう。
玉兔は一同を見渡し良桜に目を止めると、全てを悟ったようだった。
そっと目を伏せる。
「すみません」
良桜はそっと首をかしげた。それは疑問ではなく、了承だった。
お茶などを飲みながらしばし雑談した後、玉梓が立ち上がった。
「そろそろ寝ましょうか。男性方は兄の部屋へ、雷奈さんは玉兔の部屋へ、良桜さまはわたくしの部屋へどうぞ」
「え?」
まさか良桜と別の部屋にされるとは思わなかった雷奈は声をもらすが、ここは玉梓の家である。
何か理由があるのだろうと納得し、客らしく玉兔に頭を下げた。
「よろしくおねがいします」
「え、いや。まずは男の方を兄の部屋に案内しますね」
玉梓の考えがまるわかりの玉兔は、雷奈の素直さにうろたえながらも、準備しておいた部屋へと客人たちを案内する。
良桜は仕方なく玉梓の後をついていった。
しかし部屋の様子を見て固まる。
そこに布団は用意されていなかった。それはすなわち――。
「さ、一緒に寝ましょう、良桜さま」
にこやかに玉梓は、自分のベッドをぽんぽんと叩く。
取られた手を外そうとして失敗し、良桜はため息をつく。
「悪いが玉梓、これではわたしは寝られない」
「何故ですか」
「……」
良桜は意図して表情を作る。「わかりやすく」しないと駄目なのだ。
「わたしは人に触られるのは苦手だ」
「でも」
「布団はいらない。部屋の隅を借りる」
そしてさっさと座りこむと、壁に身をもたせかける。下が柔らかな絨毯である分、野宿よりはるかに快適である。
あわてて玉梓はかけよった。
「そんな、雷奈には触らせていたではありませんか。横になるのが嫌だとおっしゃるならわかりますけれど、それともあの娘は特別ですか」
「雷奈とて普段はあんなに触らない。おまえに触発されたのだろう」
「ならば初めにそう言っていただければ……!」
夜であること、隣の部屋にはその当の雷奈がいることを、玉梓は決して忘れていなかった。
感情のままに声を荒げることはしない。しかしさらに良桜へとにじり寄る。
「そこまで無礼ではないつもりだ」
だが甘かった。玉梓のような相手は、初めからきっぱりと遮断するべきだった。
「良桜さまはあの娘がお好きですの? だからわたくしに冷たくなさるのですか?」
「何故そういう話になる」
良桜はうんざりした。ここまであからさまな嫉妬を向けられた記憶はない。
綺羅とは本当に小さい頃から一緒だった。自分たちも周りも、それがあたりまえだと思っていた。
麗宮王はそこまでわかりやすい男ではなかった。
麗宮王に関わった女たちは、むしろ哀れだった。
玉梓は良桜にかけ布団を渡すと、その前に姿勢を正して座った。
「良桜さまは人を愛したことがおありですか」
「ああ」
「ご一緒におられる内の誰かですか」
「違う」
「どこにいらっしゃる方ですか」
「どこにもいない」
壁に背を預けたまま、良桜は淡々と答える。
さすがの玉梓も、良桜の言葉の意味を察し、少しだけ言葉につまる。だがあえて口にした。
「亡くなられた方を今でも愛しておられるのですか」
「ああ」
良桜の表情は変わらない。それでも“悲しみ”よりもどこか“誇らしさ”を感じさせた。
「その方からしてみれば、いつまでも自分に捕らわれているよりも、新しい恋を見つけてほしいと願うと思うのですが」
「そうだろうな」
「それでも良桜さまは、もう誰も愛さないおつもりなのですか」
「それはわからない」
良桜とて、綺羅の最期の願いを無碍にするつもりはない。
だが今の良桜にとっての幸せは綺羅であり、それを一生忘れることはないだろう。
しかしもう一生誰も愛さないと決めているわけではない。そんなことはわからない。
ただ自分の時が二百年止まっていたのなら、あと二百年は無理かな、と自嘲を込めてそう思うだけだ。
綺羅への想いは間違いなく永遠だ。だがそれだけではないのだ。
それだけでは、綺羅を悲しませてしまうのだ。
わかってはいるが、焦るつもりもない。この先そういう相手が現れなければ、それでもいいと思う。
「何故わたくしでは駄目なのです」
それは絶対条件。
「綺羅を排除しようとするものは駄目だ。綺羅ごとわたしを受け入れてくれる相手でなければ」
それだけが、譲れない想い。
「何故わたくしがそうだと」
「おまえは、雷奈ですら受け入れることができないではないか」
言葉につまる。
良桜にとって綺羅は、もはや別ち難い存在だ。綺羅という存在は、すでに良桜の一部である。
それを受け入れないというのならば、それは良桜自身を受け入れないも同じだった。
「雷奈も、そこまでの存在だとおっしゃるのですか」
「違うな」
雷奈が自分に向ける好意は受け入れている。それは雷奈が自分に“好意を強要”しないからだ。
雷奈のことは好ましいと思う。だがそれだけだ。
「では良桜さまにとっての雷奈は、何ですか」
良桜は目を上げた。
「仲間だ」
それだけだった。
「わかりました」
玉梓は立ち上がる。
「それでもわたくし、あきらめませんから」
そう宣言すると、自分のベッドにもぐりこんだ。