6 試験
狼牙とても、勝てると思って勝負を挑んだわけではない。
ただ良桜との勝負は面白かろうと――、そう思っただけだ。
親衛隊などに身を置いている時点で、そういう人種なのだ。
そして笑って受ける良桜もまた――。
狼牙は大刀を肩にかつぐと歩みを進める。
それに合わせて良桜もまた、対峙する位置へと移動した。
今度は立会人はいなかった。
良桜は半身引いただけの自然な構えで、狼牙は大刀を片手に、おのおののタイミングで動く。
とても巨大な得物を手にしているとは思えない程、狼牙の動きは素速かった。
しかし良桜はさらに速い。大刀の腹を軽く払い、開いた体へ蹴りを回しこむ。
「良桜って基本、足技だな」
宮麗が息をつく。
「優雅ですわあ」
「いや、攻撃力だろ」
うっとりと手を組む雷奈に、宮良は真面目に訂正してみせる。
強化した拳も脅威だが、同じように強化できるなら、拳よりも蹴りの方が攻撃力は高い。
玉梓は、戦う良桜を見るのは初めてである。
声もなくうっとりと眺めていた。
そして今度は先程よりも早く決着がついた。
狼牙の大刀を良桜は足ではじき、踏む。そして逆の足が延髄をおそう。
ぴたりと。
見事なまでに二人の動きが止まった。
狼牙の腕力ならば、良桜ごと大刀を持ち上げることは可能である。しかしそれよりも先に、急所に良桜の一撃が決まることは確実であった。
完敗だった。
狼牙は大刀から手を放し、両手を挙げてみせる。
見物していた者たちは、一斉に息を吐いた。
それからしばらく狼牙は良桜と話をし、昼食を共にどうかということになった。
なるべくなら玉梓の家には行きたくない良桜である。ありがたく申し出を受けた。
玉梓は不服そうだったが、文句は言わなかった。そして食堂で、わざと雷奈を追いやる形で良桜の隣をぶんどった。
雷奈は不思議そうな顔をしたものの、何をされたかはわかっておらず、玉梓さまも良桜さまの隣に座りたかったのね、と思った程度だ。ならばと見渡すが、反対側は壁、正面は狼牙に取られていた。それならば、と雷奈は狼牙の隣の椅子をどける。
「ああ、そうか。嬢ちゃんには机が低くないか? 一応半馬人用の席もあるんだが」
「いいえ、大丈夫ですわ」
狼牙ににっこりと答える雷奈に舌打ちが重なるが、幸い届かなかったようだ。
そして良桜の戦いぶりを見ていた隊員たちが、次々と声をかけながら去っていく。良桜はまったく返事をせずに黙々と食事をすすめていたが、誰も気にすることなく、ただ「すごかった」だの、「強いなあ」だの、てんでに賞賛の声だけかけて席に着く。玉梓だけがやけにピリピリしているのでさすがに狼牙も気になったが、声はかけなかった。
そうして人の流れに一段落がついた頃に、副長である火売が姿を現した。
「あ」
狼牙が手を挙げ呼ぶ暇もなかった。
「修者!!」
とんでもない勢いで、良桜の背中めがけて飛びついてきたのである。
しかしそれは最小限の動きでかわされ、それでもさすがといおうか、机にぶつかることなく、何事もなかったかのように傍らに佇んだ。
「あー……、修者、これは副長の火売だ。いろいろとアレだ、とにかくすまん」
「いや」
「すごかったね、あの殺気! ボクが殺されるかと思ったよ!」
妙に明るい男である。額と両頬、鎖骨に紋のある海魔族で、身につけているのは黒いチョーカーとズボンだけである。
太いしっぽと手足に水かき、腕と耳にヒレのある青い肌。波のゆらめきのような、青と緑の髪を肩まで伸ばし、琥珀の瞳にはそこはかとなく色気が漂う。
「おまえなあ、メシの最中に何やってんだよ」
狼牙にとってはいつものことだが、雷奈たちには驚きである。
「ボクはまだだよ。それに狼牙たちはもうほとんど終わってるじゃん」
「なんだ、まだ食っていなかったのか。どこかに行ってたな」
「んー、噴水」
狼牙はため息をつく。これもまたいつものことである。
「ボクもアナタと戦ってみたいけれど。狼牙がヤられたんじゃあムリだろうなあ、瞬殺だろうなあ」
「そうでもないと思うがな」
狼牙は肘をついて、行儀悪く食後の茶をすすっている。
狼牙が隊長、火売が副長ではあるが、二人はまるでタイプが違う。
狼牙が力で押すのに比べて、火売は瞬間移動と見紛う不規則なスピードが武器だ。
「そういえば来てたよ、義弟クン」
「誰が義弟だ。面倒臭ェなあ。瞬殺ったらあいつだろう」
「あ、狼牙悪いコト考えてる」
そんな会話を聞きつつ、良桜もまた食後のお茶を、こちらは丁寧に飲んでいた。
再び訓練場に戻ると、そこには人狼の青年が待っていた。
「あ! 兄貴!」
「げ」
思わずうんざり、といった声が狼牙からもれる。
「なんだ本当に弟か?」
「違う」
尋ねた宮麗に、狼牙は首を振る。
「今度の入隊試験を受けるってんで、俺につきまとっているんだ」
「ひどいなあ、姉貴の婚約者なんだから、兄貴でいいだろう」
「婚約者がいるのか!」
「あー」
さらに驚く宮麗に、狼牙は視線を飛ばす。
「あの、入隊試験って何ですか?」
ずっとひっそりと息をひそめていた璧玉が、とうとう好奇心に負けて質問する。
良桜の殺気で飛んでいた意識が、戻ってきたようだ。
「親衛隊の入隊試験が近いうちにあるんだよ。近衛兵も同じ日にやるからにぎわうぜ」
「親衛隊は強いことが第一条件だからさー、兄貴に稽古つけてもらいたくて来てるのに、全然相手してくれないんだよ」
青年は頬をふくらませる。見た目も仕草もどことなく幼い青年だ。
血赤色の瞳。肩につく灰銀の髪は、赤い紐で適当にくくってある。紋は額のみ。
左頬には絆創膏がはられており、「青年」というよりは「やんちゃ坊主」といった風情だ。
首からはカソレア教のコウモリ羽十字のペンダント。襟と手首にファーのついた短ジャケットを、素肌に直に着ている。
「客ですか?」
「あー……、ああ。そうだ、そこまで言うならおまえ、この女と闘ってみろよ」
尋ねた青年に、狼牙は良桜を指さす。
「うわ」
「なんで女相手に! 兄貴はなんで相手してくれないんだよ」
思わず声をもらしてしまった宮麗である。
(ひでェ……)
内心そう思ったのだが、不服を鳴らす青年に、やめておけとは言えなくなった。
「狼牙」
その声音だけで、もはや宮麗たちには良桜の機嫌がわかってしまう。それは単に付き合いの長さと深さ故だが、狼牙もまた、直接感情を叩きつけられただけに察してしまったらしい。
冷や汗をかきながらも笑顔を浮かべた。
「こいつは浪雷。どう見ても入隊試験を通る腕じゃないんだがしつこいんだよ、頼むよっ……と」
思わず“修者”と呼びかけて口をつぐみ、良桜を拝む。
浪雷と紹介された青年は、ますます不服そうだ。
「だから兄貴に修行つけてくれって言ってるのに」
「この女に勝てなきゃだめだ」
「狼牙」
「兄貴」
今度はお互いに不服そうな声が重なった。しかし浪雷の方はさすがに覚悟を決めたらしく、それでも嫌々ながらナイフを取り出した。
妙な形をした、大振りのナイフである。
特に構えもせず、近くにいた良桜に無造作に切りつけた。
――!!
多くの者が、何が起きたのかわからなかった。
浪雷自身もである。ナイフをはじき飛ばされた格好のまま、動きを止めていた。
良桜はただ、ナイフを手で払っただけである。
しかし尋常ではない速さそのものが、すでに武器と化していた。
何が起きたのかはわからない。だが浪雷は顔を怒りに染めてさらに殴りかかってきた。
あ馬鹿――!
今度はその場にいた誰もが同じことを思った。
良桜は表情すら動かさず、向かってくる拳を受け止め、そのまま地面へと容赦なく叩きつけた。
「――ッ!!」
浪雷は声も出せないままに気絶した。
「うわー、ホントにやっちゃった。狼牙キチク。まさに瞬殺」
背後から聞こえるのんびりした声に、狼牙はびっくりして振り返る。
「火売! おまえいたのかよ!」
「いたよー。義弟クンも可哀相に。相手が誰だかもわからないままだよ」
「わからなくても、なめてかかってくる時点でだめだ」
「んー、まあそれはそうなんだけど」
「狼牙」
はっきりといらだった声に、狼牙の背筋が伸びる。
「すっ、すまんっ! とにかくこいつに身の程を知らせたかったんだ!」
「自分でヤれよって話だよねー」
「いや、本当にすまなかった! 今日の宿はこいつに提供させるから、なっ!?」
「ちょっと、良桜さまは家に泊まっていただくのですよ!」
良桜の機嫌がどんどんと下降するような言い合いを続けているうち、浪雷が目を覚ました。
ハッと立ち上がると良桜に向かって姿勢を正し、勢いよく頭を下げた。
「おれの負けです、すみませんでしたッ! どうかおれに修行をつけてください!」
「雷奈」
「はいっ!」
それはうんざりとした声だったが、雷奈の方は嬉々として応える。良桜の意図も察していた。
「剣だからあたしですね!」
「え、ちょ……っ!」
「浪雷」
良桜の声に、浪雷の動きはぴたりと止まる。
「おまえには雷奈を薦める。わたしは剣術を知らないからな」
(うそだ……)
根拠もなく皆の心の声は一致した。
確かに剣は使わないかもしれないが、使えないとも思えない。
「はい、あなたがそうおっしゃるなら」
「なんだ浪雷のやろう、やけに素直だな」
「だから狼牙がヤればよかったって言ったのに」
「あっ! あなたの名前を教えてください」
「良桜」
「良桜さん、さっきも兄貴が言ってましたけど、今日はウチに泊まりませんか? おれはともかく、姉の浪嵐はよく気のつく人ですし、ご不便はかけないと思いますが」
「だから良桜さまには我が家にお泊まりいただくのですってば!」
良桜の返事を待たずして、玉梓が割って入る。
いきさつをまったく知らない浪雷は、あっさり納得した。
「それならええと、雷奈さん? あなただけでもどうですか? おれの師匠になっていただくんですし」
「師匠だなんててれますわー! だけどあたしは良桜さまと一緒がいいんですの」
またしても舌打ちがしたが、狼牙や良桜たちは聞こえなかったふりをする。
「えっとそれじゃあ、明日の朝またこちらでお会いしましょうか。兄貴、場所くらい貸してくれるだろ」
「あー、好きにしろ」
そうして結局良桜たちは、玉梓の家へと連れていかれることになった。
しかし日はまだ高い。
浪雷は雷奈に軽く相手をしてもらいつつ、璧玉の質問に答えていた。
「浪雷さんは親衛隊に入りたいのですか?」
「だってかっこいいだろう? おれは姉貴を通じて兄貴と知り合ったんだけどさ、そん時からずっと憧れてんの」
「ではもう何度も試験を受けているのですか?」
「ああ……。今回こそはって思ってるんだけどなあ」
「近衛兵の試験も同じ日にあると聞きましたが、両方受験はしないのですか?」
「あーそれな、それはできないんだよ」
雷奈も興味を示したため、浪雷は一息ついて詳しい説明を始めた。
昔より親衛隊と近衛兵の入隊試験は、同日開催されている。
それは二重応募を防ぐためだ。
まず親衛隊に必要なのは、なんといっても強さである。落ちたら近衛兵でもいいか、というような心構えでは絶対に通らない。
ましてや近衛兵の試験に落ちるような腕では、実力不足である。
そして近衛兵が必要としているのは数であった。近衛隊員は人数が決まっている。
試験では引退などで隊を退いた者の補充人数しか採用しない。
近衛兵では、始めから近衛兵で働きたいのだという人材しか選ばない。だから親衛隊の試験に落ちたから、という理由では受からないし、それ以前に時間に間に合わない。
このようにして、親衛隊と近衛兵は、同じ日に入隊試験を行うのである。
「おれはどうしても親衛隊に入りたいんだ」
そう言って話をしめくくった浪雷に、璧玉は何か思うところがあったらしい。
それ以上の質問はせずに、考えこんでいた。
「だから雷奈さん、よろしくお願いします!」
「あ、はい」
そして浪雷もまた、雷奈相手に稽古を再開した。