2 時間兎
宮麗が振り返る。目の合った璧玉は少し肩を揺らした。
「相模にでも習った?」
人間族の村で過ごした一冬、璧玉は主に相模に付いて魔法を習っていた。
「あ、はい。水魔法と相性が良いようだから治癒も使えるだろうと。宮麗さんとは正反対の性質らしく、逆にいいんじゃないかと言われました」
「璧玉」
良桜が呼ぶ。璧玉は顔を上げ、座りこんでいる女に近づいた。
「頼む」
身をかがめたところで、頭の上から良桜の声が降ってくる。
いつもと変わりない静かな声だ。しかし璧玉はそれだけで力が湧いてくるのを感じた。
「全ての力の源よ――」
両手をかざし、ぎこちないながらも正確に魔法を紡いでいく。
「よかったですわねえ」
雷奈が手を組んで喜びのため息をつく。
「早く言えよ……。というか、今のうちに何ができるのか聞いた方がいいのか?」
宮良は璧玉に目をやった後、宮麗を見上げる。
「うーん、相模がオレと正反対って言ったってことは……」
「え、と、これで大丈夫だと思います」
手を下ろした璧玉を見て、良桜は玉梓に手を出す。
玉梓は良桜の手を取り、そろりと立ち上がると、痛めた方の足をゆっくりと地につけた。
大丈夫そうだと見てとった良桜が離そうとする手を、玉梓は逆にぎゅっと握る。
良桜の嫌そうな視線をものともせず、
「痛みが引きましたわ。ありがとうございます」
手をつないだ状態で璧玉に礼を言う。
「いえ……」
「さあ、これで良桜さまを我が家にお連れできますわ!」
そしてどんどんと良桜の手を引っぱっていった。
「それで、何ができるんだ?」
前を歩く三人を眺めながら、宮良がうんざりとした声を出した。
玉梓が良桜の手を離さないのである。
すると当然のように、反対側の良桜の隣を雷奈が歩く。
雷奈はさすがに良桜の手を取ろうとはしなかったが、うんざりした表情にも気づいていなかった。
良桜はもはや半分、引きずられているも同然である。
何度か宮良はフォローを考えたが、玉梓という女性、どことなく怖いのである。
にこにこと良桜に話しかけているだけなのだが、なんとなく苦手だ、と感じる。
結局はあきらめて、宮麗と璧玉を振り返った。
「水魔法と相性がいいって言われたんだよな?」
「はい」
見下ろす宮麗に、璧玉はうなずく。
「毒消しはできるのか?」
「はい」
「周防の魔法は?」
「すみません、周防さんの魔法はよくわからなくて。相模さんにもあれはできなくていいと言われましたし」
「あ、うん。あれが理解できるのは安芸くらいだろうとオレも思う。呪縛は全部できるか?」
「火の呪縛はできません」
宮麗の質問は宮良にはわからなかったが、おそらく璧玉の能力を測っているのだろう。
一通り聞いてしまうと、宮麗は腕を組んで宙を睨んだ。
「オレは攻撃魔法が得意なんだ。だから火との相性が一番いい。ということはたぶん璧玉は、いわゆる治癒魔法との相性がいいんじゃないかと思う。攻撃魔法は使えないみたいだしな」
「治癒魔法って、さっきやってたやつだろう」
「細かく言やあそうなんだけど、おおざっぱに言えば怪我だけじゃなく病気も治せるし、毒を抜いたり、とにかく癒しの技全般だな」
ため息をつく。
「オレは地魔法の素養が全然ないんだが、璧玉は一応ひと通り使えるみたいだ。オレより魔法に適正があるってことだな」
「それはすごいな」
宮良の目が璧玉に向く。璧玉はあわてて首を横に振った。
「全部はできません」
「……。まあなんにせよ、仲間内に医者がいるようなもんだ。これから助かるわー」
「……。おまえも好きなだけケンカできるな」
そこはかとない沈黙の後、宮麗と宮良はそう続けた。
またしても人が走ってくる気配を感じ、良桜は足を止めた。
しかし今度は相手もこちらの気配を察したようで、走っていた音は歩く音になった。
しげみから顔を出すと一同を見渡し、良桜に向けて問うた。
「虎はやったのか?」
「ああ」
良桜が答えると、顔だけ出していた女は全身を現した。
「私は途中で村の人たちに聞いて探していたのだが……、先を越されたかあ」
軽く髪をかき回す。どことなく悔しそうな雰囲気である。
ずいぶんと背の高い印象を受けるが、それは長い耳と脚によるものだろう。
赤地に金の縁取り。あちこちに黒いベルトの装飾という一見派手な衣装だが、布地面積は少なく、何より本人に似合っている。
肌は黄色よりは濃く、茶色よりは薄い。薄い黄褐色とでもいおうか、微妙な色合いである。瞳は瞳孔の色がやや薄く、そのため透きとおるかのようなブルー。無造作に伸ばした膝裏までもありそうな長い髪は雪の白さ。
当人自身の色合いが薄いからだろうか、メリハリのある体に濃い色は、相性が良かった。
耳は頭上に長くとびでており、腰丈も裾も短いズボンの上部からは丸い毛玉のようなしっぽ。脚は秘めた力がそのまま表れたような筋肉質。足も大きい。
前髪も適当に伸ばしているので額の紋は見えにくいが、右頬と左腿には、ななめの二本線がはしっていた。
あまり人目には触れずに過ごしている種族だが、身体的特徴はとてもわかりやすい。
腰のベルトの後ろに小太刀を提げた彼女は、時間兎族である。
彼女はひとめ見て良桜が一番強いとわかったのだろう、体を向ける。
「あなたもどこかの村に頼まれて?」
「いや、この女が逃げているところに行き合った」
何とか玉梓の手を離そうと、良桜は腕を上げて女の方へと差し出す。
玉梓はそれでも離れなかったが、女の方は気にした様子もなく後ろを振り返った。
「それでは私が村人に報せねば」
そしてチョーカーから下げていた一見懐中時計に見えるそれに手をやると、短く何事かをつぶやく。
「村には私の影を残してきた。それが消えたら安全だと言っておいた」
顔を上げ、簡単に説明すると、今度は一同を見渡して訊いてきた。
「すまないがいくつか訊きたいことがある。今の王は誰だ?」
問われた側は顔を見合わせた。
不思議そうにこちらを見る視線に気づいたのか、女は少し照れた様子で頭に手をやった。
「ああ、すまない。私の名は雪虎だ。ずっと森や山の中、独りで修行していたので世の中の動きを何も知らないのだ。今回は一通り自分に満足したので、久しぶりにライバルと剣を合わせようと思い、出てきた」
納得した雷奈は、先程の質問に親切に答えた。
「現王は麗姫さまです」
すると雪虎と名乗った女は首をかしげた。
「麗姫? 麗宮王の娘か?」
「はい」
「晾炤は?」
「麗宮王陛下と時を同じくしてお亡くなりになりましたわ。現大神官は雷姫さまです」
「ああ、猊下ならさもあらんか。しかし意外と時を食ってしまったようだ」
腰に手を当て、ため息をこぼす。
「親衛隊長は変わらずかな?」
「はい」
雷奈の返事にほっとした笑顔を見せたが、
「確か狼牙さまですわよね、人狼族の?」
続けられたその言葉に、女の笑顔が凍った。
雪虎は、変な表情のまま固まっている。
「今の親衛隊長は、蛍夏ではないのか?」
口だけを動かして問いかける。
しかし王、大神官、占者に比べれば、親衛隊長の知名度などなきに等しい。
雷奈が狼牙の名を知っていたのも、ほんの偶然である。
「前に私が神殿にいた時、狼牙は副長だった。ということは蛍夏は引退したのか?」
さすがに狼牙の前の隊長の名前までは知らない。宮良ですら、狼牙以外の親衛隊長は知らない。物心ついた時からずっと狼牙だった。
しかし答えは意外なところから与えられた。
「その方ならお亡くなりになりましてよ。麗宮王陛下に殺されたのだと伺っておりますけど」
それはいまだ良桜の腕にしがみついたままの、玉梓だった。
雪虎の顔から表情が抜け落ちた。
「死んだ……?」
そういえば、玉梓の家は南の街にあると言っていた。それならば、ある程度王宮の事情にも通じているのかもしれない。
「なぜ」
雪虎の声は平坦だった。なんとなく怯え、玉梓は良桜の後ろへ半歩下がる。
「その方は化猫族だったのでしょう? 麗宮王陛下が化猫族殲滅の命を下した折に、命令取り下げを願って戦いを申し込み、殺されたのだと聞いております」
「化猫……? 何故……?」
その様子に、雷奈は思い当たる。
「あの……、雪虎さまがごぞんじの“予言”は何ですか?」
不思議そうな顔が、雷奈の方を向く。
「赤い三日月がかかる時、それぞれ二つ名を冠された七人によって、麗宮王は殺されるというものだろう? ああそうか、その予言が成就して、麗宮王は死んだか」
「そうなんですけれど、その予言の後に麗宮王陛下の占者が新しく七人の正体を占い、種族を特定しましたの」
「な……」
「化猫族はその中に含まれていました。“戦士”は化猫であると」
雪虎は笑いたかった。しかし声は出なかった。
信じられない思いと、何故そんなことになったのかという疑問が渦を巻く。
そして自分は一体、どれだけの時を浪費してしまったのだろうと、恐怖さえ感じた。
呆然とし、空っぽになった頭にまず浮かんだのは、悲しみよりも何よりも、怒りだった。
理不尽と知りつつも、雪虎はその怒りを玉梓にぶつける。
「何故あなたがそんなことを知っている! 何故そこまで……詳しいのだ!」
玉梓はさらに良桜の腕にしがみついた。
「わたくしの兄は近衛兵隊長の石貴です! 石貴の名もご存じなのでしょう!」
それはほぼ悲鳴に近かったが、その場にいた全員を驚愕させた。
「石貴は……、知っている……。蛍夏の友人だった。あやつはまだ近衛隊長なのか……」
「は……はい」
「何故だ、何故石貴はいまだ隊長の地位にありながら、何故蛍夏は……、死んだ、などと……」
天を仰ぐ。力が抜けて、雪虎はその場に膝をついた。
玉梓の兄が近衛兵の隊長だった。
それならば一般人よりも王宮内部に詳しいのだろう。
親衛隊、近衛兵、王宮軍。
王がその三つの武力を持っていることは知っていても、その役割の違いを説明できるものは少ない。
ましてや璧玉は、親衛隊も近衛兵も、その存在すら知らなかった。
ここはやはり王家である宮良に訊くべきだろうか。
しかし質問された宮良も、眉を寄せた。
「まず、親衛隊は近衛兵よりも強い。世界最強の王を護るための組織だから、当然のように強さが何より求められる」
親衛隊は少数精鋭である。とにかく強いことが第一であるので、数にはこだわらない。
だから服装も武器も決まっていない。己が一番強くあるための装備が一任されていた。
制服は一応あるが、何しろ式典に華を添えるという役目なので、隊長と副長、そして隊長の属している種族にしか下賜されない。見た目が第一の場だからである。
そして親衛隊には王宮内に宿舎が与えられるので、家に帰るものはほとんどいない。
「近衛兵はみんな制服着用だ。王個人を護るというよりは、王宮を護っているという感じかな。それも含めて市中警護みたいな事もやっている」
近衛兵は人数が決まっている。それぞれに制服と剣が下賜され、全員が常にそれを身につけていた。だから近衛兵に求められるのは個人の技量よりも剣の扱い、集団行動、そして礼節であった。
一応宿舎は用意されているが、希望者のみとなっており、街に居を構えている者の中には毎日通ってくるものもいた。しかし隊長、副長にもなるとそれも難しい。
そこまで詳しくは、宮良も知らない。
ただ王個人を護るのが親衛隊であり、王宮を護るのが近衛兵であるというくらいの認識だ。
しかし今はそれよりも、一つ気づいてしまったことがある。
雷奈は痛ましげな顔で雪虎を見つめた。
「雪虎さまのおっしゃっていた『ライバル』とは、その蛍夏さまのことだったのですね……」
しばらくそうしてうなだれていた雪虎が、ふっと顔を上げた。
「では、その麗宮王を殺したのは誰だ」
玉梓を除く全員の目が、良桜に向いた。
つられて雪虎も良桜を見る。
「あなたの名は」
「良桜」
「種族は」
「聖悪魔」
「知らないな」
ゆらり、と雪虎は立ち上がった。
虚ろな瞳で一同を見渡す。
恐怖にかられた雷奈は、思わず口にしていた。
「良桜さまが“修者”なんです!」
雪虎の目の焦点が徐々に合ってくる。
「他の六人は?」
暗い声だった。雷奈は口を開いてしまった責任上、全てをうちあける。
「“修者”良桜さま。“狩人”宮良さま。“剣士”あたし雷奈。“魔法使い”あきらさま。“女王”麗姫さま。“神官”雷姫さま。“戦士”桜奈さまです」
うなだれて、宮良と宮麗を示す。
「桜奈とは?」
「麗姫さまと雷姫さまの護衛をなさっていた方です。ここにはいらっしゃいません」
「つまりその桜奈は、化猫族なのだな。他は?」
「え?」
質問の意味がわからず顔を上げた雷奈に代わって、良桜が答えた。
「化猫族の生き残りなら、桜奈ひとりだ」
雪虎は顔を歪める。
「何故だ。何故麗宮王の親衛隊長が殺されて、何故その娘たちの護衛は生きのびている」
良桜はただ、哀しい瞳で雪虎を見た。
雪虎はそこに痛みを感じる。
重いため息をつくと、頭を振った。
「狼牙に聞くのが一番良さそうだ。私と共に中央神殿に行ってくれ」
「そんな……っ!」
「良桜だけでもいい」
「わたしなら…」
「ダメです!」
口をはさみかけて遮られ、それでも玉梓は否定の叫びを上げた。
「わたくしも行きます! わたくしが良桜さまを案内すると言ったのです!」
否定の内容の意外さに、雪虎は目を見張る。正面でうんざりした良桜の表情には気がつかなかったようだ。
玉梓はさらに良桜の腕に、ぎゅうぎゅうとしがみつく。
すると負けじと雷奈も良桜の反対側の腕を取った。
「それならあたしたちも行きます!」
宮良にとっては、中央神殿はいわば実家だ。すでにあきらめの境地に達している。
璧玉に否やはない。
ただ宮麗だけが、大きくため息をついた。
「雪虎さまはどこまでごぞんじなのですか?」
質問するため、雷奈は良桜の横から下がって雪虎の隣を歩く。
玉梓がちらりと見やって笑ったのには、気づかない。
「私が修行に入る前、予言はすでにあり、王は麗宮王、大神官は晾炤だった。双児の姫は生まれており、姉姫である麗姫様が次期王であることも知っていた。親衛隊長は蛍夏で、狼牙は副長だった。近衛兵の隊長は石貴だ」
「麗宮王陛下の占者の予言はごぞんじないのですね?」
「煌か……」
ため息とともに吐き出された名前に、雷奈は思わず良桜の背をうかがう。
「知らないな」
雪虎は前髪をかき上げる。雷奈は良桜を見つめたまま、話を続けた。
「ではそこからですね。その予言は前の予言で二つ名として挙げられていたひとたちの紋を表すものでした。そこで陛下はまず化猫族殲滅の命令を下し、生き残りは桜奈さまおひとりになってしまいました。それからしばらくして……、鬼族でいいですか?」
宮麗は少し考えてから答えた。
「そうだ。そして鬼族にプロテス教徒が多かったため、プロテス教禁止令が出た。ただのプロテス教徒なら改宗を誓えばそれで許されたが、鬼族だった場合には拷問を受けた。
それから半馬人だろ?」
うなずいて、雷奈が続ける。
「半馬人族への迫害が始まったのは割と最近です。収容所に集められて強制労働を。あたしは運よくそこから逃げ出して、良桜さまに会ったのですわ……」
うっとりと手を組む。良桜よりも先に宮麗と遭遇していたはずなのだが、宮麗の方も毎度のことで、もはやつっこむ気力もない。
「他の四人は?」
「うち二人は王家だったので、数が多すぎてわからなかったのです。身内ですし……。もう一人は王、つまり麗姫さまだとわかっていたのですが、さすがに次期王位継承者である娘を手にかけることはしませんでした」
「そして良桜……。聖悪魔族といったかな? 失礼、私は知らない種族だがどうなったのだ?」
さすがの雷奈も口をつぐんだ。
重い沈黙が降りるよりも前に、良桜が足を止めずに半身振り返る。
「二百年前、麗宮王が王になるよりも前に滅ぼされた。わたし一人を除いて」
目が合う。
雪虎は静かに息を呑んだ。